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1231「横綱ファンとしての品格」

2021年も最終日だ。昨日は事務所に荷物を持っていったり不在で送り返されていた届け物を郵便局に取りに行ったりしていたら新橋近辺まで来てしまったので、夕方に子供が塾から帰ってくるまで何もしないぞと思ってアスティル(サウナ施設です)に入ったら、有名熱波師による年末スペシャルロウリュみたいなことをやっていてとてもラッキーだった。

enyaの壮大な曲に合わせて恰幅の良いスキンヘッド男性がタオルで風を送る。よくよく考えたらこれはなんなのか。フィンランドで生まれたサウナ、ドイツで生まれたアウフグースが日本でガラパゴス的な進化を遂げて、客観的に見ると独自の新しい文化的儀式を形成している。

昨日ロウリュをしてくださった熱波チャンピオンの大森熱狼さんのロウリュはこちら。

客観的に見ると何でこんなことになっちゃったんだろうという、独自の新しい文化的儀式、と言えば、大相撲だ。土と俵でできた台の上で、太った半裸の男性たちがチョンマゲを結ってぶつかり合う。それを中心として、塩撒きに土俵入りに化粧まわし、行司に呼出に床山、さらに深いところで、「テッポウ禁止」の貼り紙に、優勝額が除幕されるときのやたら壮大な音楽、溜席の妖精に、国技館の廊下でなぜかパンを売っている大乃国に至るまで、大相撲の周縁には、よくよく考えると「どうしてこうなった」と言いたくなるような、奥深い文化系が広がっている。

私の文章をよく読んで頂いている複数の方に、「あなたの文章は面白いんだけど相撲についての文章だけはわからん」と言われたりする。本当は毎日相撲について書きたいのだけれど、そんなこともあるのでたまにしか書かない。毎日書きたいのにたまにしか書かないので、書くべきことが溜まっていく。しかし今日は大晦日なので、そもそも誰も人の文章なんか読まないだろう。今日こそ、ひっそりと相撲について書かなくてはいけない。

私がこの日記で照ノ富士に初めて言及したのは2019年の春場所、つまり、今年ついに横綱という頂点まで上り詰めた照ノ富士が一度大関から陥落、序二段という「どん底」まで地位を下げて再出発したタイミングのことだ。大関が序二段に陥落して相撲を取るなんて、前代未聞のことだし、当時はそこまでして現役を続けることへの批判すらあった。私は照ノ富士が番付を落としていく間も、「どこまで下げて、いつから出るんだろう」と注目していて、そしてついに照ノ富士が土俵に戻ったのがこの平成31年春場所、平成最後の場所だった。

それ以来、照ノ富士を応援し、折に触れて照ノ富士について書いてきたし、どんなに時差があっても夜中まで起きてABEMA TVを開いて照ノ富士の相撲だけは見逃さなかった。照ノ富士が番付を上げて幕内に戻ってくると、夜中まで起きるのではなく、早く寝て超早起きして照ノ富士の一番が終わると二度寝する、という形に変わった。

照ノ富士が序二段から十両に上がるくらいまでは毎日日記を書いていたのでちょこちょこ触れることがあったが、その後は2020年の7月場所の幕尻優勝〜大関復帰といろいろあってもそれについてきちんとは書いてこなかった。

この記事で初めて横綱になる可能性に言及しているっぽい。

私は大相撲を見始めて32年になる。32年ってすごい。新生児がベテラン力士になる年月だ。実際、私が大相撲を見始めたときに照ノ富士は生まれていない。その長い大相撲ファンとしての歴史の中で、当然贔屓の力士というか「推し」が常にいた。

霧島の吊り出しに魅了されたのに始まって、なぜか大善が好きになった。そのあとはまあ若の里だったり安美錦だったり。照ノ富士については最初に大関に昇進したあたりでは全く応援していなくて、興味もなかった。双羽黒みたいな相撲取るなあと思っていたくらい(双羽黒が「不動心」を獲得していたら、今の照ノ富士のようになったのかもしれない、と思う。)。あの有名な稀勢の里の二度目の優勝時(照ノ富士と優勝を争っていた)も、もちろん稀勢の里を応援していた。照ノ富士が私の「推し」になったのは、序二段に陥落して復帰したところからだ。

この1年、照ノ富士は関脇以下としては史上初となる三度目の優勝をし、大関に復帰し、白鵬と全勝相星決戦をし、横綱に昇進して本場所を二連覇した。最後の九州場所では全勝優勝をした。これが私にとって何を意味するのか。

横綱初日、9月場所初日は向正面椅子席で観戦した。ので、照ノ富士の公の場での初の土俵入りは肉眼で見ることができた。緊張して写真がブレている。
NHKにも5ピクセルくらいうつっていた。

32年間相撲ファンをやってきて、推しが大関に復帰するのも初めてだし、そもそも推しが優勝するのが霧島以来31年ぶり。推しが連続優勝するのはもちろん初めてで、苦節32年、ついに、推しが横綱になった。そして全勝優勝をした。2021年は、相撲ファンである私にとって、「ずっと相撲を見続けてきた甲斐があった」と言わざるを得ないほどの大きな「初めて」が毎場所のように立て続けに起こり続けた記念碑的な年となった。30年以上も相撲を見てきても、自分が全ての取り組みを見逃さないレベルで推してきた力士が横綱になるのは初めてだ。そのくらい、ファンにとっても横綱というのは特別な地位なのだ。どんなにすごい相撲評論家の方でも、推しが横綱になったことがない方はいるはずだ。

照ノ富士の復活劇(大関に復帰しても「復活」とは思っていなかったが、流石にもう復活と言って良いだろう)については多くの場所で語られているし、最近照ノ富士関の著書が出たので、それを読まれるのが良いかと思う。相撲ファンじゃなくっても全員読むべき、大切なことが書かれていると思うので、読んで欲しい、とかじゃなくて、読め、と思う。

そんなわけで、この一年、照の富士は新たなステージに入り、場所を追うごとに相撲の形が変わり、変化と成長を遂げた。それに伴って、私も相撲ファンとして、そして相撲ファンである一人の人間として、変化と成長をすることになった。

まず、徐々に、毎日の取り組み前の心境が変わってきた。「1日1日、思い切ってやるだけ」と照ノ富士は言う。私も、ファンとして、星勘定に捉われず、その日の一番一番をしっかり応援する、という心境になっていった。

膝をしっかり曲げて前に出ること。相手の力を受け止め切って土俵を残すこと。怪我をしないための相撲を取ること。自分で相撲を取るわけでもないのに、常に、それらを念じながらテレビの前で、オフィスの屋上や電車でABEMAを見ながら、時には国技館で、照ノ富士とシンクロしながら六場所の土俵を務めた。相撲に限らないのかもしれないのだが、スポーツ・競技において、ファンは応援する対象に自分の何かを委託しているのだ。スポーツ選手や様々な競技者は、自らとシンクロしてくれたファンに対して、新しい感覚とインスピレーションを与えてくれる。霧島のファンじゃなかったら、今の私という人はなかった。

照ノ富士は横綱になった。私は、横綱ファンになった。しかも一人横綱となった。

「不動心を心がけ、横綱の品格、力量の向上に努めます。」

これが、照ノ富士の横綱昇進時の口上、つまりマニフェストだ。

そこからの照ノ富士は、そのマニフェストを体現するかのように泰然自若とした、受け止めて勝つ相撲を進化させた。それに伴って、私は私で、常に、横綱ファンとして、どういう態度で一番一番に臨むべきかを考えるようになった。横綱の相撲というのは、大相撲全体に対する指針=ディレクションであるべきものだ。勝てば良いというものではない。横綱は相撲を取ることで、そのときの大相撲のデザインをしていると言っても過言ではない。だから、以前より、相手力士の力を引き出すために照ノ富士はどうすれば良いのか、みたいなことまで考えるようになった。

先月の九州場所14日目の阿炎戦。先場所の阿炎は長い手を使った、休ませない押しを展開する相撲で、照ノ富士としては最も危険な相手であったはずだ。しかし、私は横綱ファンとして、敗けてはならないが、しっかり受けなくてはならない。横綱ファンとして乗り越えなくてはならないのだ。という心境で臨んだ。以前だったら、阿炎が前に落ちるのを期待したり、相手のミスを願ったかもしれない。しかし、私はもうタダの相撲ファンではない。責任ある横綱ファンなのだ。大相撲全体のために、これからの大相撲のために、ベストな相撲とは何か。それを照ノ富士とシンクロしながら考えなくてはいけない。

結果、照ノ富士は受けた。完全に阿炎にとってこの上ない攻めを受け止めた上で退けた。そしてその上で、勝ったことを喜ぶのではなく、納得をする。それが不動心というものだ。などと、ただのファンなのだからテレビの前で喜べば良いものの、喜びを表現せずに頷くだけで済ます。霧島が優勝した中学生時代は、霧島が優勝して小躍りして喜んでいた。今は、心の奥で静かに納得する。それが横綱ファンとしての品格であり、責任、そして「不動心」だ。

今週発売された月刊相撲一月号、照ノ富士と安治川親方の対談、そして阿炎のインタビューは必読だ。照ノ富士はこの一番を不安どころか、とても楽しみにしていたらしい、そして、取り組みの後、阿炎に、自分の持っていた作戦と思考プロセスを伝えたそうだ。来場所も対戦があるのに、出し惜しみをしない。それが横綱だ。そして横綱ファンである私も、そうあらなくてはならない。

おかげさまで、普段仕事をしたり生活をする中でも不動心を心がけるようになった。トラブルがあっても、理不尽なことがあっても、全て受け止めて退ける。稽古場でできることしか本場所ではできない。だから日々、見えないところで努力をする。

2021年は、自分にとっては、ただの相撲ファンから横綱ファンになり、大きく成長した年だった。2022年、第一人者としての強さを確立させた照ノ富士は、私たちファンにどんなインスピレーションをもたらしてくれるのだろうか。

私は私で、横綱ファンとしての名に恥じぬよう、2022年も精進していく所存です。

本年は、大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

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