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1123「モンゴルに帰るな」

この日記では、大相撲の場所の季節になるごとに、元大関にして休場を重ね、序二段の地位まで陥落して、春場所から復帰している照ノ富士について言及してきた。何の歩みかよくわからないが、この日記は照ノ富士とともに歩んできたとも言える。その照ノ富士が、金曜日、幕下10枚目の地位で幕下全勝優勝し、関取復帰を決めた。やはりこの人は非常に勝負強い上に強心臓だな、と思わざるを得ない。


序二段で復帰して以降、初めての優勝を、この「全勝優勝すれば十両昇進」という大事な番付に入ったタイミングで見事に決めるのもそうだし、そもそも幕下上位というのはある種相撲界で最も残酷で熾烈な戦いが繰り広げられている「戦場」だ。関取になれば大銀杏も結えるし、化粧廻しも入手できる、付き人もつけてもらえる。そういう意味で、関取を目指さない力士など存在しないし、その関取にリーチをかけている人たち、それが幕下上位の人たちなのだから、そう簡単に勝てない地位であることは間違いない。何年も何年も幕下上位から抜け出せないような人もいる。

そこで全勝優勝をするというのはそもそも並大抵のことではないのだが、そもそも「大関」という並大抵ではない地位で相撲をとっていて、幕内優勝経験すらある照ノ富士なわけなので、本来の力を発揮したならそれは当然ありうべき結果だ。

しかしながら、いま、私たちが目にしている照ノ富士の快挙は、長い相撲の歴史上、初めてのことであり、ある種私たちは奇跡の復活を目にしているとすら言える。それがデータ上どの程度に奇跡なのかは、相撲ファンにとっての「日本のopenframeworks使いにとってのyoppa.org」に相当すると言える「大相撲データアナリストの大相撲日記」でも取り上げられている。

これを読んでおけば、いま起きていることのヤバさがわかる。

データ的にもそういうことなのではあるが、それ以上に、照ノ富士というのは、エモーショナルな意味で日本の相撲を変えてしまう可能性がある存在だと思う。

照ノ富士は、モンゴル人だ。私は、大相撲が日本人だけのためのもの、あるいは日本人を中心としたもの、という考え方は古いと思っているし、何しろ有史以来で最も優勝を重ねているチャンピオンオブチャンピオンは白鵬でありモンゴル出身なわけだから、それでも「大相撲は日本のものだ」などと言うのなら外国人力士なんて入れなければよいのだ。

高見山以来で言うと、多くの外国人力士がいろんなエピソードをつくった。小錦もいたし、曙も武蔵丸もいた。マイナーなところで言うと南海龍とか琴天太とかもいた。朝青龍が顰蹙を買い、琴欧洲とか把瑠都みたいのも出てきて、金髪力士も珍しくなくなった。

一つのポイントになったのは平成24年5月場所の旭天鵬の優勝だと思っていて、これは実は6年ぶりの「日本人」による優勝だった。「日本人」とカッコ付きになるのは、言わずもがな旭天鵬はモンゴル出身だからだ。しかし、旭天鵬は既に日本に帰化していたし、モンゴル人ではなく日本人だった。これは、37歳という最高齢での優勝だったし、モンゴル人初の力士(他に2人いた)として日本にやってきてから、苦節22年で成し遂げた涙なしでは語れない努力の末に達成したものだった。

しかし、この偉業をメディアはどう扱ったかというと、「日本人の優勝としては久しぶりだけどこの人モンゴル人だからね」的に扱った。お祝いムードではあったが、小骨が喉の奥に刺さったような反応だったように思う。

この二十数年間、外国出身力士は常にヒールとして扱われてきた。「日本出身」として10年ぶりに琴奨菊が優勝した際のメディアの盛り上がりっぷりも然り、その後の稀勢の里フィーバーも然りで、新しく登場して活躍した「純正日本人」は常にもてはやされた。いまこの瞬間だってそうだろう。白鵬は日本人力士たちにとってのラスボスだし、モンゴル人力士についてニュースになるのは誰が誰を殴った、とかそういう話でしかない。

照ノ富士は、最も嫌われるタイプの外国人力士だった。気が強いしビッグマウス。大事なところで稀勢の里を倒す。そのくせ、めちゃくちゃ強くて若くして苦労せずに優勝、苦労せずに大関、というわけで、結果的に照ノ富士は朝青龍以上に嫌われた外国人力士の1人となった。

それが最高潮に達したのは、2017年の春場所の14日目のことだった。新横綱の稀勢の里と並んで優勝争いのトップに立っていた照ノ富士は、この、優勝を占う上で最も大事な、最もエキサイティングなタイミングで迎えた琴奨菊戦、立ち会い変化のはたき込みで勝利した。このとき、会場は異様な空気に包まれたという。国会でも問題になった有名な「モンゴルに帰れ!」の野次が飛んだのはこのときのことだ。稀勢の里はその後の取り組みで敗れ、此の場所は照ノ富士が千秋楽で単独トップだった。しかし、この事件の後、千秋楽の時点で、ほぼ100%の人たちが稀勢の里を応援していただろう。

ちなみに稀勢の里は13日目の日馬富士戦(日馬富士は照ノ富士の兄弟子で、もちろんモンゴル人)で、結果的にその後の力士生命を断つことになる怪我を負っていて、絶体絶命の状態にあった。

見事なまでに「苦労人の日本人=稀勢の里 vs 苦労知らずの空気が読めないモンゴル人たち=照ノ富士(+日馬富士)」の図式が成立し、稀勢の里の本割と優勝決定戦の2連勝での優勝をみんなが祈っていたように思う。私だって祈っていた。

結果的に稀勢の里が2連勝、新横綱で逆転優勝した。これは今思えば、稀勢の里にとっては、圧倒的なホームゲーム、照ノ富士にとっては圧倒的なアウェイゲームになってしまったことにもよるだろうし、照ノ富士の膝の状態がこの優勝争いの中で実はすごく悪化していた、ということにもよるだろう。実は双方とも苦しい状態にあったのだ。

これを最後に稀勢の里が優勝することはなかった。稀勢の里は、休場しなかった。照ノ富士はこの後大関をすぐに陥落して、何度か出場したものの、最終的には稀勢の里と対称的に長期休場を選択した。稀勢の里が不振にあえいだ末に引退に追い込まれた裏で、表舞台から姿を消していた照ノ富士はいつの間にか序二段という、元大関としては前代未聞の地位にまで番付を落とした。

そこから始まったのが今の復活劇だ。何が重要って、あの「モンゴルに帰れ!」とまで言われた圧倒的ヒールである照ノ富士と、地獄の釜の底からよみがえってきた「奇跡の人」である照ノ富士とは同一人物なのだ。もう、この人に「モンゴルに帰れ!」などと言える人は誰一人としていないだろう。来場所から十両の土俵に上がる照ノ富士は、恐らく、今まで以上の歓声に包まれる人気力士になるはずだ。もうそこにいる照ノ富士は決してヒールではないはずだ。これでもし、照ノ富士が再度の優勝や大関だけでなく、横綱にまで到達したとして、それはもう間違いなく映画化決定だろう。そうなったら、照ノ富士は、外国人かどうか云々とは別の次元で、白鵬以上に尊敬される力士になりうる。照ノ富士は、大相撲と国籍がエモーショナルな意味でも全く関係ないことを示せる可能性がある。

そこで思うのは、この十両復帰というタイミングは、「クリエイティブな四股名の改名」のタイミングなような気がしている。もしこれから番付を上げていける手応えがあるのなら、もともと照ノ富士の「照」の字の元となっている、伊勢ヶ濱部屋の横綱「照國」の名前をこのタイミングで襲名すると、ブランディング的にもマニフェスト的にもすごく良いのではないかと思う。外国人力士で伝統的な四股名を継承した例は少ない。それこそ高見山と小錦くらいのもので、それ以来、外国人力士は過去に日本人力士が名乗った伝統的な四股名を継承することはなかった。照ノ富士には照國を襲名するだけのポテンシャルはまだまだあるように思うし、ここで照國を襲名することは、日本人云々ではなく、照ノ富士が大相撲という伝統的な競技の中で、その精神を継承する尊敬すべき競技者になっていくことを示す手段になるのではないか。あと、地獄を見て帰ってきた伝説の力士が新しい名前で生まれ変わって復活するとか、めちゃくちゃかっこいい。広告っぽい文脈においても、これはやるべきなのだが、恐らくまだ誰も考えていないことなので、誰か、つながっている人がいたらこれを伊勢ヶ濱親方にこの記事を送って欲しい。照ノ富士本人でもいい。

あと、もし本人に届くならこれも言っておきたい。頼むから「モンゴルに帰るな」と。