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0214「4時44分」

朝から、年末から続いている問題についてのさらにストレスフルな連絡を受け取り、精神状態はここに来てほぼ最悪の状態に至った気がする。この国というか街では年の1/3くらいは住居に関するゴタゴタに苛まれている気がする。そしてこういう問題は大概の場合金で解決できるのもこの街の傾向であるし、このレベルでいうとうちは本当に余裕がないので、代わりに苦しみ続けるしかない。

日本に帰って同じ給与ならある程度余裕はあるはずなのに、ここでは金で精神状態を買えない程度には余裕が無い。ニューヨークは間違いなく文化的に物好きの街だが、物理的・経済的にも物好きじゃないとやってられない。
昼に、設営先の美術館の現場チェック。精神状態がひどいので、おかしくならないように頑張ろうと思いつつ、機材周りの指示をワーっとやる。これが割とよくて、英語で細かい指示出ししていると、結構MPを使うのでつらいことを忘れられる。

現場が日本語でいうところの23丁目だったので、行くときに「Landmark Liquor」を通った。この店は、恐らくマンハッタンで一番いろんな焼酎を扱っている酒屋で、たまに近くに来ると酒を買う。この酒屋の主人はずっと日本人だと思っていたのだが、いつぞや酒を買いに来たときにチベット人だということが判明した。どういう人生を辿ってチベットで生まれてニューヨークで日本の酒を売るようになったのだろう。黒糖焼酎を飲りたかったので、れんとを買った。で、その後道でカバンをひっくり返してしまい、中身が全部出て、しかも焼酎のボトルの栓が変になって少しこぼれてカバンが焼酎臭くなった。最悪だ。

用があって領事館に行ったら、隣のババアの香水が強すぎて頭痛を覚えた。最悪だ。

その後にギリギリ遅刻しそうになって次の予定の場所に行って仕事を進めようとしたら、ネットが遅すぎてどうにもならない。最悪だ。

昨日、今日も精神状態が悪かったらアメリカ横断ウルトラクイズについて書くとか書いていたが、そういう好きなことを書く価値もないほど荒んでいて、何も良いことがないので、もうこれは高校の頃の嫌な思い出について書く。

私は池尻大橋の進学校に通っていた。お勉強ができる感じの学校ではあったが、男子校なので、学校で普段接触する女性というのが妙齢の保健の先生だけで、かつ私の場合一人っ子なので、つまり母親と保健の先生以外の女性と基本的に話すこともインタラクトすることも何もない状態だった。

男しかいない学校の男しかいない吹奏楽部の男しかいないトロンボーンパートでで部活をやった後、田園都市線で、桜新町まで戻って自宅(実家)に向かって歩く。その際に、いつもすれ違う女の子がいた。たぶん、農大の高校か駒大高校だったかの女子生徒で、男に囲まれて生きている自分にとっては、リハウス感のあるいい匂いがしそうな女子だった。いや、男しかいない極限の世界に住んでいると、どんな女性でもリハウス化してしまうし、それは仕方のないことだ。

いつもだいたい自宅近くの同じ場所ですれ違うので、存在が気になっていた。毎日会うのだから、仕方ない。この女子は、そういう意味で、母親の次の保健の先生の次の、世の中で3番目に近しい女性であったと言っても良い。場所はこのへんだった。

で、たぶん秋の日だったか。いつもこの女子とすれ違う場所近辺に、わりと大きい犬のウンコが転がっていた。私は、あと一歩で踏んでしまいそうなところで「あ。ウンコだ!」と気づいてこれは踏んではいけない避けようと思ったが、人間、「あ。ウンコだ!」と思うとそっちに気が行ってしまって、意思とは裏腹にウンコの方向に歩みを進めてしまった。やばい。このまま足を下ろすとウンコを踏んでしまう。「あーーーっ!」。バランスを崩しながら足を下ろした。私は気づきつつ、叫びながらもウンコを避けることができず、思い切りウンコを踏んだ。

カイジの鉄骨渡りで、鉄骨から落っこちそうになったときに、バランスを失って結局落っこちてしまうあの感じだ。

見上げると、すれ違う女の子が、大爆笑していた。

あの日もこんな最悪の日だった。

さっき時計を見たら、4時44分だった。最悪だ。

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