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ピアノを始めて4年経ちました

もう4年前ということになるが、2020年の3月末、ニューヨーク在住だった私は、日本人としてはすごく早期に新型コロナウィルスに罹患し、家族全員に伝染し、情報が何も無い中でよくわからない病と闘うことになった。

そのときの様子を記事にして、その「よくわからない病」のあらましをレポートしたところ、全日本的に話題になり、今となっては「私があのときの有名感染者です」なんて自己紹介できるほど、いろんな方に読んでいただいた。むしろそんなふうに冗談めかしてこのトピックを扱えるようになったのだから、私たちはパンデミックを乗り越えたのだな、と、ほのぼの実感してしまう。2024年4月、中目黒は花見客で立錐の余地も無いし、京都に行けば外国人でごった返している。

あの闘病生活から4年が経った。この3年間、毎年この時期になるとその経過を記事にして公開しているのだが、私はこの4年間、毎日欠かさずいくつかの日課を確実にやる、という生活を送ってきた。

新型コロナウィルスから回復した後、体調がどうなるかもわからなかったし、仕事もあんまりしないでダラダラゴロゴロと暮らしていた私は、1週間の自堕落な生活の後、突然起き上がって「よし! せっかく生き残ったんだから、今までやりたかったけど諦めていたいろんなことをちゃんとやるぞ!」なんて突然一念発起して、「死ぬまでずっと続ける」みたいな呪いを自分にかけて、いくつかの日課に取り組み始めた。そのへんの経緯については、1年目の報告記事に詳しい。

その日以来、一日も欠かさずにそれらの日課に取り組んでいる。これを書いている今日の時点で1465日目。丸4年以上が過ぎた。ここまでの3年はいろんな日課を1つの記事にまとめてレポートしてきたが、今年は派生的に1つ1つの活動が広がるような展開もあったし、いくつかの記事に分けてレポートしてみようかと思う。

その中の1つが、「ピアノを弾く」だ。毎日50分間、土日も含めて欠かさずピアノを弾く、ということを続けてきた。もともと私はトロンボーンでジャズやらファンクやらを演奏してきた人間だが、自分で好んで聴くのはジャズピアノがやたら多く、しかもピアノだと、複数音が出せるので、アンサンブルの中でどうにかしないといけないトロンボーンより、一人でも楽しく音楽をやれるだろう、というのが動機ということになろうか。他にもいろいろ動機はあったけど。

ちなみに、弾き始めたDay 1の時点では、ほぼピアノを真面目に弾いた経験は無く、真っ白な素人だった。子供の頃にもピアノを習った経験は皆無だ。

2年目からは、ずっと愛聴させて頂いていたジャズピアニストの西山瞳先生に弟子入りして、ガチでジャズピアノを学ぶようになった。そのへんの弟子入りの経緯は下記の記事に書いている。

それからというもの、世界中のどこにいて何をするにしても電子ピアノをかついで出かけては必ず50分ピアノを弾く、というのは遵守していて、昨年、「ドバイでトランジットした際に預けてた電子ピアノをロストバゲッジ食らってドバイの楽器屋さんに頼み込んでピアノ借りてどうにかする事件」というので苦労した反省から、海外に出かける際は、カバンに入る(預けなくて済む)折りたたみピアノを保険でもう一枚持ち歩く、という我ながらおかしな方法で確実にピアノを弾けるようにしながら生きている。

さすがに弾き始めた頃の音源は無いんだが、練習始めて1年目の音源は残っていて、それがこれだ。なかなかのパキパキ加減と不安定さだ。これが3年経つとどうなるのか。

世の中でよく言われていることで、「1000時間の法則」というのがある。

分野を問わず「セミプロ」「中上級者」と言われるレベルに到達するには1,000時間の努力が必要という理論。

というあれだ。1日50分なので、すでに1000時間は超えているわけだが、自分がセミプロかというと一点の曇りも無くアマチュアであると断言できる。もう、やればやるほど課題が出てくるし、やりたいこともどんどん増えてくる。

4年目にもなると、たまーにそのへんのジャズのライブハウスのジャムセッションに参加してみたりもするし、そういったところである程度パッと弾いても大丈夫なレパートリーも身につきつつはある。当然何でも弾けるわけではなくて、一部のやったことがあるスタンダードじゃないとできないわけだが、ジャムセッションなので、特に事前の打ち合わせも無く、自由に演奏してご一緒させて頂く方々とどうにか音楽としてそれっぽくすることはできるようにはなってきたかとは思われる。「体重をかけて演奏する」みたいなことも、昔よりは身についてきたんじゃなかろうかと思う。

とはいえ、前述の通り、練習すればするほど、演奏すればするほど、ピアノとの距離は縮まるようでなかなか一体化はできないし、ジャズ演奏においては自分のボキャブラリーというか、ネタの無さを強く自覚してしまうところがある。要するに、これは果てしなく奥が深い世界で、ゴールなんてものは無いわけだが、4年もやると、その広さと深さのレベルのごつさを感じることはできるようになってきたのかもしれない。

下記、自分の記録用も兼ねて、ここのところ録音した演奏をいくつか貼らせて頂く。「全くのゼロからでも4年弾くとこのくらいにはなる」あるいは、「4年くらいだとこの程度しか弾けない」のどちらにもなってしまうかとは思うが、お時間があるときにお聴き頂ければ幸甚です。

そんなわけで、まずはジャズではないが、まずは上に貼った2021年4月時点(練習開始1年経過時点)での演奏との比較用に弾いた「メヌエット」がこちら。さすがにうまくなっている笑。

続いて、これもベンチマーク的に弾いているジャズのソロピアノの2曲。「When You Wish upon a Star(星に願いを)」「Donny Boy」

浜松に出張した時に、浜松駅に置いてあった、めっちゃ高そうなピアノで弾いた「Misty」

あとは、去年末のクリスマスに演奏して録っておいた「White Christmas」

下記は、今年に入ってからジャムセッションで演奏したものを2曲。マイルス・デイヴィスの「So What」と、スタンダードの「It Could Happen to you」。So Whatの方はテーマを間違えまくっていてごめんなさいだが、両方とも打ち合わせ無しでアドリブで弾いたもの。

で、師匠の西山先生の弟子筋で、毎年3月にちゃんと準備をして演奏会をやるのだが、そこで演奏した2曲。

1曲目は、昨年の「Neptune's Ring」に続いての自作曲。「キーがEbのワルツをつくるぞ!」みたいなところを出発点にしつつ、昨年、人生に迷って二級ボイラー技士の免許を取った経験を経て、ボイラー的には重要な概念である「潜熱」をテーマにして「Latent Heat」という曲をつくった。

2曲目は、ジャズを聴き始めた大学1年の頃に、先輩が演奏しているのを聴いて感動して以来、最も好きなスタンダード曲と言って良い「Bolivia」に、無理を言って挑戦させて頂いた。

演奏会の後に、兄弟子や姉弟子から「もうさすがに初心者ではないよねー」なんて言われて、嬉しかった。

以上が、全くの無から4年間毎日ピアノを練習してきた成果報告ということになるが、この世界の広さも深さも感じたうえで、4年前に憧れていた「ピアノでジャズが弾く」という行為はある程度できるようになってきているわけで、楽しいか楽しくないかと言ったら、もうそれはめちゃくちゃに楽しい。80歳とかになるまでにどのくらい上手になれるのか、どんな曲を弾けるようになるのか。

そして今年は、ピアノの練習に付随して、「思いついた曲名が余って困る」という事象と、「ボイラーの試験に受かってしまってその時間を埋める何かが必要」という要請があって、成り行きだが、ソロミュージシャンとして秋口に音源をリリースした。この経緯は下記の記事に書いた。

9月にリリースしたのはミニアルバムだったが、現在、私こと「QS」のファーストフルアルバムを準備中で、もうちょいしたら完成するかなーというところまで来ている。5月末くらいか、6月になるかどうか。1日10分くらいしか作業しないので、時間は掛かってしまうが、リリースしたらまた記事にする。

こんな感じで、打ち込み音楽という、意図しない形ではあるが、楽しんで作曲したりアレンジしたりできているのも、やはりピアノをやっていて、より立体的に音楽を捉えられ始めているからではあって、総じてまとめると、音楽楽しい、ということになる。

そんなわけで5年目も良い音を出していきたい。続いては、同じく4年やり続けている中国語学習について、数日後に書きます。

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