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0124「NY子育て日報・最終日」

7時に起きる。昨夜、長女がちょこっと、次男がかなり盛大に吐いた。長男はもとより吐いている。ということで、全員嘔吐状態になったところで、今日は全員学校も幼稚園も休ませることに決めていた。そうすれば週末になるので、週明けには全員回復できているだろう。長男は明日、英検の試験を受けることになっているのでそれはそれで厳しいかなとも思いつつ、少なくとも学校は休みだ。

そうこうしているうちに、予定通りなら昼前には妻が帰ってくるはずだ。昨夜も全員の様子を見ながら遅くまで起きてはいたので、各先生にお休みの連絡をして、ちょっと寝る。昨晩突然嘔吐復活した次男がかなり元気になっていて、私がウトウトしている間に私に構ってほしくて、ライトセーバーのおもちゃで私の股間を結構な力で強打した。

「ギャアアアアアア」

と言って、のたうち回る。股間への攻撃で起きるのは辛い。つらくて叱るタイミングを逸した。次男は「あ、ごめんねごめんねー」と言って去っていく。

一番調子が悪そうな長男の様子を見に行く。ちょこちょこ吐いたりしながら、学校の宿題用で使っているパソコンでYouTubeを見ているらしい。アメリカの学校の宿題は、今や概ねGoogle Classroomで出題も提出も行われるので、わりとパソコンが必須だ。そして、宿題の中身が親の目に触れにくいので、あんまり何をやっているのかわからない。

妻が帰ってくるので、掃除と洗濯と洗い物をやる。この12日間で、いかに家事をしっかりやって、最低限の環境を保つことが、日本国憲法的に言うと、「健康で文化的な最低限度の生活」を守るための防波堤であることを思い知った。環境整備が破綻し始めると、ズルズルと全体が堕ちていく感じがする。家庭内パンデミックが起こったのは、12日間の後半だったのがまだ良かった。前半に起こっていたら、その感覚がわからなくて、もっと地獄絵図になっていたような気がする。直接関係あるかどうかわからないが、私自身が熱も出て吐き気も感じていたが、1日位で弾き返すことができたのも、掃除と洗濯と洗い物をちゃんとやったからだったような気すらする。

そうこうしているうちにも、妻が登場しているNH110便をFlightRader24のアプリでちょこちょこ確認し、無事に飛んでいるかを確認する。

無事に着陸し、入国し、Uberを呼んで、妻が家に戻ってきた。

結局今日は吐かずにかなり元気になっている次男と長女が歓声を上げて妻のところに走っていく。彼らは、私が出張から帰ってくるときもそうなのだが、こういうとき、感動の再会みたいな感じでもなく、「お土産はーーー?!」と、物欲ドリブンでグイグイくる。今回もそうだ。

妻は、次男に仮面ライダーのパジャマと長女にプリキュアのパジャマを買ってきたらしい。パジャマ攻めすることにしたらしい。長男は私がまた東京に行ったときに何か買ってくるということらしい。子供向けの雑誌なんかもある。

彼らはすぐにパジャマに着替える。時差ボケですぐに寝てしまった妻の横で、お土産のパジャマに身を包んで2人で雑誌を読んでいた。

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私は、やっとこさ、数日前からつくりたかったカレー鍋をつくることにした。数日前韓国スーパーで買ってきた湯葉みたいなものを入れてみたが、香りがあんまり合わなくて、失敗した。

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とはいえ、ようやく体温が下がりはじめて立ち上がることもできるようになった長男も、久しぶりに食欲を感じたらしく、カレー鍋に箸をつけた。

パンデミックが収束しようとしている。

わかりにくい例だが、映画「プライベート・ライアン」の終盤でドイツ軍の戦車部隊とかにやられて絶体絶命に陥った主人公たちの部隊が、「もうあかん」というところで、ギリギリ間に合った味方の戦闘機の部隊に救われるというシーンを思い出す。妻はあの戦闘機みたいなものだ。

家族5人の忘れられない12日間、とか言ってしまうとドラマチックに聞こえてしまうが、いや、そこそこドラマチックではあった12日間が終わった。

この12日間の中で感じたり考えたことはまとまらない状態ながらこの日報に書き連ねた気もするので、改めてまとめるということもないかなと思うが、そういうのとは別に書いていないことがいくつかある。

まず、この12日間、一緒に戦い続けてきた同志と勝手に思っているのが、一度は序二段まで番付を落としつつも、この初場所で十両に復帰した元大関の照ノ富士だ。そう。この育児チャレンジが始まったのが先週の月曜日。大相撲初場所の2日目なので、たまたまだが、この日々は、ほとんど初場所と同時進行で進んだ。序盤戦も、中盤戦も初場所と一緒に進行し、いまが14日目、終盤戦だ。

地獄を見た元大関・照ノ富士のことは、過去の私の日記をご覧頂ければわかるようにずっと注目していて、今場所ももちろん、毎日のようにリアルタイムで彼の相撲を観戦した(一度、次男が初めて吐いたときだけ見れなかった)。報道されているように、奇跡の復活とでも言うのか、照ノ富士は初日から13戦全勝の快進撃を続けている。毎日、1日の終りにヘロヘロになった状態で最後に相撲中継を見る。照ノ富士の力強い1番1番を見て、明日も頑張ろう、というのは毎日思っていて、とても救われた。この日々は、照ノ富士とともにあった。できればこのまま残り2日間も勝って全勝優勝して欲しい。

そして何より、妻の母、つまり私にとっての義母は、女手1つで、証券会社でファイナンシャルプランナー的なことをやりながら妻と義姉を育てた。妻が幼い頃、体調を崩したときも、「何かあったらここから電話しなさい」と言って電話を布団の横に置いて仕事に出かけていったようなこともあったらしい。そんなときの義母の気持ちというか苦渋を察するに余りある。置いていくほうが辛いだろう。

義母はこの日報を読んでいるのであまりいろいろ表現するのもあれだが、そんな義母の12日間どころではない、十数年にも渡って続いた果てしない時間と努力がなければ、そもそも私が苦しくも楽しく、こんな日々を送ることすらできなかった。身近すぎてよくわからなかったところもあったが、この12日間を経ると、尊敬と畏怖と感謝しかない。

子供たちのことが心配であろう妻に日次の報告をするついでに、公開して承認欲求の足しにしようと思って書いていたこの日報。書いているうちに、TwitterやFacebookを通して、また打ち合わせの時間の中などでも、いろいろな方に応援や感想を頂いてとても嬉しかった。照ノ富士以上に、そんな暖かいムードが後押しになって、概ね明るく過ごせたように思います。とりとめのない文章をお読み頂き、ありがとうございました。

私が体験したことなんていうのはたかだか12日間のお試し期間のようなものなのだから、こんなふうに大げさに締めるような話ではない、そこかしこで発生しているようなシチュエーションだ。

良かったのは総合点で言うと楽しかった、ということで、恐らく家族にとっても、吐瀉物にまみれた楽しかった思い出になっていくのかなと思う。こんなふうに何かあったら短期で期間を決めて書き残すのは愉快なことなので、また、何か書き始めた際はよろしくお付き合いください。

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