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1120「僕のウォズニアック」

この文章は、韓国の仁川空港からドイツのフランクフルト空港に向かう飛行機の中で書いている。困ったことに、インターネットに接続できない。ちょこちょこ連絡事項を飛行機の中で送ろうと思っていたのだが、中国上空とかだとダメなのだろうか。いまは日本時間の20日の19:00、今日の大相撲の結果も知りたいのに、どうにもならない。

暢気に空を飛びながら日記を書いている間に、昨日の日記や以前の何かが炎上しているかもしれない。炎上していたらどうしよう。空港に降りたときに、石を投げられたらどうしよう。取引先から嫌な連絡が入ってきたらどうしよう。今からドキドキする。そしてそれは、嫌なドキドキ感でしかない。なんて嫌なドキドキ感しかない時代に生まれてしまったのだろう。

昨日、寝ている間にニューヨークの現場から不具合の報告があった。明らかにこちらの問題ではないのだが、命令口調で「なんとかしろ」という指示が来る。常設展示のメンテナンスというのは、そもそも簡単な仕事ではないのに、なぜこの人がこんなに高飛車なのか理解ができない。こういう奴に限って、自分のことをスティーブ・ジョブズだと思っているのだ。

実はちょっと前に生まれて初めて小説の執筆依頼を受けていて、それは恐らくガチな何かではなくて何らかの同人誌的なものに掲載される何かなのだと思うのだが、それを毎日少しずつ少しずつ書いていて、先程飛行機の上でようやく書き終わったところだ。妻には「絶対やめとけ」と言われていたが、確かにここ数日、プレッシャーで結構つらくなることもあって、もうやめておこうとは思うのだが、実際書き終わってみると、妻や子供には見せられない本当にひどい「作品」になっていて、しかし折角なので許可を得たらこのnoteなりにも公開するのかなと思う。そもそもどこで公開されるものなのかよく知らないのでどうなるのかわからない。

その小説の中でも自分のことをスティーブ・ジョブズだと思っている登場人物が登場する。本当にそういう人は存在していて、今までの人生で複数人登場してきた。

そういう人たちは決まって、タートルネックを着用したスティーブ・ジョブズの白黒の写真を背景にして、ジョブズの名言みたいのが横に入っているスライドを企画書の最初に入れる。これから自分が語る世界観のようなものに、ジョブズの力を借りて我田引水するような、そういう手法だ。

そしてそういう人たちはほとんどの場合、特に自分では手を動かして物をつくることができない。デザインもできなければ、プログラムも書けない。電子工作もできない。これは笑えるほどにそういう傾向があるのだが、ジョブズになりきっている人って、自分で手を動かさない人たちが多いのだ。これはシンプルな構図で、ジョブズという人が、常に「自分の手ではなく、人に自分の理想を実現させていた」タイプの人だからだ。つまり、ジョブズを肯定することは「自分はうまいことを考えるだけで、後は人にやってもらう」というやり方を是とすることで、それはつまり、「自分で手を動かして何かをつくることができない」自分の肯定ということになる。ジョブズをロールモデルとして出しておけば、何もできない自分の免罪符になる。

ジョブズに憑依することで免罪されるのは、それだけではない。「理想の実現のためには人に無理をさせてもオッケー」という、ある種のジャイアニズムも一緒に免罪されてしまうのだ。こっちの方が厄介だ。周知の通り、ジョブズという人は体験のクオリティを上げるために人を人とも思わず無理を強いた人ではある。しかしそれはジョブズという人の描いたビジョンが類稀なものだったからこそ成立し、成功した形なのであって、そのへんの凡人が同じことをやっても、その人のビジョンや理想が凡庸なものだったら毒にも薬にもならず、「使われている」人たちが疲弊するだけだ。しかし厄介なことにこういう人たちというのは自分のビジョンに絶対の自信を持っていて、さらに困ったことに、どんな言葉だったか忘れたが、ジョブズは「自分を信じろ」とか「自分が信じることだけに時間を使え」みたいな名言も残してしまっているゆえに、それに後押しされて自分のビジョンに疑いを持つことがない。

私は技術屋だ。技術屋としてある程度の実績を上げている状態で、こういう「ジョブズさん」に遭遇すると、結構な確率で言われるフレーズがある。

「清水さん、僕のウォズニアックになってください」

私はこれを言われた瞬間に、その場から逃走する準備を始めることにしている。

スティーブ・ウォズニアックは、初期のジョブズのパートナー、Appleの共同創業者だ。電子工作・プログラミングの天才であり、初期のジョブズのビジョンは彼がジョブズの手足となり実現した。

しかし、世の中の「ジョブズさん」が技術者に「ウォズニアックになってくれ」という場合、そこには、「自分は何もつくることができないが、自分には天才的なビジョンがあります。この天才的なビジョンを実現する手伝いをさせてやるから、そのためにタダ(あるいは格安)で手を動かして、自分のためにものをつくってください。そのためにはいくらでも徹夜して働き続けてください。」という意味が込められている。

これはどうしたって、一目散に逃げないとやばい。そりゃ、技術者は何かを実現する仕事なわけで、私だって人のビジョンを技術で実現するという社是で会社やコミュニティをやっている。Airpodsに、Macbookに、iPhoneにiPadにWatchに、私はApple製品に囲まれて生活しているし、ジョブズのビジョンは実際問題素晴らしいものだったのだと思う。最近のApple製品のアレな感じに文句を言いつつ、「ジョブズの頃は良かったよね」と思ったりもする。

ので、ジョブズを尊敬すること、奉ることは普通だと思う。ジョブズはどう考えてもすごい人だ。

しかし、ロールモデルとしてジョブズになりきってしまうと、その人が本当にジョブズでない限りそれは無茶ですよ、ということになるし、技術屋としては、無償(あるいは低価格)で無限のコミットを求められてもそりゃ無理ですよ、ということになる。仮に自分がジョブズなのだと思っていても、相手に横柄な態度で無理を強いることまで真似はしなくて良い。人にはなるべく丁寧に接して、お互い気持ちよく仕事したいですよね。

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