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0731「対症療法」

ここ数週間、日本に来てから、とにかく人と話そうと思って夜は予定をたくさん入れていたが、昨日は珍しく早く帰ることができたので、日記に書いたとおり、ちゃんと5分くらい「考え事」をして、その後仕事をしようと思っていた。で、早速考え事を始めたら、たぶん3分半くらいで寝落ちして、朝になっていた。寝不足の時に考え事をすると、寝てしまう。そして、その3分半の間に書いたメモ書きには「猫はオワコン」とだけ書いてあって、何を考えていたのかさっぱり思い出せない。冷静に考えて、猫は全くオワコンではないと思うし、なぜそんなことを書こうと思ったのだろう。

私はとても忘れ物が多い人間で、中でも忘れ物ランキング的に上位なのが、「MacBookの電源」だ。最新のMacBookはもはやUSB-Cで充電できるから、今日びコンビニでもケーブルを買える(アメリカのドラッグストアだとまだあんまし売ってない)。ただ、私は例のキーボードの上にくっついている液晶の「TouchBar」が超嫌いなので、USB-Cになる前のMacBook Proを使い続けている。結構遅くなってきていてつらいけど、そのようにしている。で、そんな古いMacBook Proを使っているので、充電アダプタが、昔のタイプなのだ。そして、それを頻繁にいろんなところに忘れる。

あと、名刺を忘れる。アメリカにいるときはどうっていうことはないのだが、日本にいる間は名刺というのはとても大事だ。最近会社でEightを使いだして、名刺によるコネクションのようなものをやり始めたら、すごいコネクションが増えた気がする。で、そんな大事なコネクションツールである名刺を、忘れまくる。幸い私は、記憶に残りやすい見てくれとキャラを持っている人ではあるので、覚えてはもらえるのだが、今の時代それではいけない。

というわけで、毎日大事なものを忘れては、妻に「もしかして○○忘れてる?」などと聞いたりしては落ち込んでいるので、見かねた妻が、名刺袋(ジップロック)とMacBookの電源をかばんにくくりつけてくれた。かばんから外せないので、まあ結構不便だが、忘れるよりマシだ。かばんを持たずに出かけてしまうことはあまりないからだ(飛行機の中に荷物を全部忘れて、手ぶらで出てきたことなんかもあるから油断はできないが)。

思えば、こういう対症療法的な解決は、処世術としてずっとやってきたことではある。小学校から高校の頃は、どうしても教科書を忘れてしまうし、前日なりに時間割に応じて教科書とかを抜き差しするとエラーが生じるので、全教科の必要な教科書や参考書をすべてかばんに入れて、超重いかばんを毎日運んでいた。重くて辛いが、「あ! 忘れた!」みたいなときの悲しい思いよりはマシだ。

あと、続き物の本とかを読んでいるときに、何回か間違えて読んでいる巻と違う巻を持って出てしまうことが続いたことがあって、面倒なので全巻持ち歩いたりすることはよくあった。吉川英治の「三国志」とか、全巻持ち歩いていた。8巻とかあるので超重かった。ずっと、学校の行き帰りなどにいつでも桃園の誓いから死せる孔明がどうのこうのみたいなところまでを読める状態だった。そういう意味でも、電子書籍には救われている。

こういう対症療法的な話は現在進行中のものもいくつかあるが、似たような傾向を持つ人にとっては結構役に立つ話のような気がするし、たぶん1つ1つちゃんと書いたほうが良いので、また明日以降書くのだと思う。

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