黄色の花2

創作とこども|つくれない|柴田葵

わが子を短歌にすることについて、ずっと考えている。
考え込んでいる。

結論として「私は」「少なくとも当面は」私の現実の子供たちについて短歌にはしないことに決めた。また、現実に起こった私自身のことをそのままの形で短歌にすることも避けようと思う。私は彼らのことを守らなければならないのと同時に、幸運にも歌集を出版する機会に恵まれ、恵まれた以上はしっかりと売り、多くの人の手にとってほしいと思うし、自分の活動範囲も良い方向へ広げていきたいと思っている。知らない人に自分の作品を読まれることを強く望んでいるのだ。しかし私の子供は私とは別人だから、そのプライベートな部分を広めることは本意ではない。

今回は散文であり、こういうテーマなので、少しだけ詳しく書く。私がわが子についての短歌をつくらなく(つくれなく)なったきっかけは、ちょうど1年前。簡単に言うと、ある日突然、子供が学校に通えなくなったのだ。一応その状態は2ヶ月半で終わり、そのあとはずっと通学している。嫌なこともあるらしいけれど、給食はほぼ毎日おかわりするし、休み時間はドッヂボールに励み、友人の誕生日会にも呼ばれ、まずまずのようだ。却って「ダメになったように思っても、完璧にダメなことはほとんどないし、休むときは休む、なんとかなる」という、今後にも役立つ知見を得たようにも見える。まあ、側から見ている分にそう思うだけなので、実際にはわからない。私が望んでいるだけかもしれない。

短歌には育児詠というジャンルがあり、私が参加している育児クラスタ短歌サークル「いくらたん」にも、当然、すばらしい育児詠を詠む方が多くいる。それは「わが子かわいい」だけでも「育児苦しい」だけでもなく、誰かと誰かの生活であり、重層的で多彩だ。私は育児詠を読むのが大好きだ。しかし、いざ自分が育児詠をやろうと思っても、1年前のその事件から、どうしてもできなくなってしまった。

短歌は、その「読み」を作者の側で定めることは困難だ。困難であるにも関わらず、作者(あるいは作者の人生)そのものだと認識されることが多い。正直、それらのほとんどは勘違いだと思っているけれど、実際多いのだ。俳句はどうなんだろうか。この同人Qaiでも、西川火尖さんや箱森裕美さんが育児についての俳句をつくっている。ますます俳句の、その突き詰められた短さを感じる。子供といる生活の光や闇を、より色や匂いを濃くした光や闇として提出しているように思う。そんなことを考えている。

育児詠を否定しているわけでは決してなく、自分の生活の重要な部分をしめるからこそ、むしろ向き合いたいと思っているのだけれど、どのように向き合うべきか悩んでいる。以前、医師や教師による職業詠(患者や生徒を詠むことについて)も話題になったことがあるけれど、それと同じような感じなのかもしれない。

育児詠ができなくなったより何年も前、石井僚一さんが連作「父親のような雨に打たれて」で短歌研究新人賞を受賞した際、荒くまとめると「短歌で虚構を詠むことの是非やマナー」について騒動が起こった(あれは騒動だったと私は認識している)。あれ以来、ずっと虚構についても考えている。私自身が第一回笹井宏之賞に応募した連作「母の愛、僕のラブ」では、そのときの自分が思う形を全力で試したつもりだった。件の子供の不登校の前に応募した作品だけれど、もしかしたら育児詠についても、この延長線上に答えがあるかもしれない。現実の自分を短歌にせず、非現実の(けれども嘘ではない)自分を短歌にしたらどうだろうか。短歌をつづけていくために、しばらくこのルートで掘り進んでいく。

人のことをどうこう言うつもりは全くなく、人から言われるつもりもないけれど、私は、生活や命を賭して創作しない。できない。嫌だ。できる限り子供たちを守るし、守りながら生きながらつくりつづけたい。

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