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犯罪と承認欲求

京王線でのハロウィン無差別刺傷事件は世の人々に絶大なインパクトを残した。

逃げられない、止まらない、殺されるかも…

極限における人間の心理状態を引き起こし、被害に遭われた方はみな強烈なトラウマを植え付けられたはずだ。
今もなおPTSDに苦しんでいる人もいるであろう。

どうか、心に負った傷が1日も早く癒える事をお祈りします。

さて、今回の被害者というのは無差別殺生をされかけた電車内の人々であるわけだが、真に1番傷を負っているのは実は犯人ではないかと思う。

人間は理性が働いていれば法を犯すことなどしない。しかし理性が働かなくなる時があるのは誰だって同じだ。怒り、悲しみ、苦しみ。感情があるものとして生を受けているのだから全てを理性で片付けるのは無理であろう。

今回の犯罪の動機を聞くと「人を殺して死刑になりたかった。2人以上殺せば死刑になると思った。」とのことである。

無論理性の働いている大人であればこんな発想には至らないわけであるが、この考えに至るまでの背景や動機に目を向けるとどうだろう。

元々母子家庭育ちの後に施設に預けられ、高校卒業。仕事でもうまくいかず、恋人とも破局。

と報道にはある。

私はこれを聞いた時「そりゃそうもしたくなるわ」と思ってしまったのである。

私自身も母子家庭育ちで散々悪口雑言を言われながら育った結果、自己肯定感は地に落ち、誰が私の存在を認めてくれるのだろう。と何度も思った。

まず自分の存在を認めさせるために勉強を頑張った。それでも「勉強やれっていってやらせてるワケじゃないし」「やってもその程度なわけ?」と返ってきた。無論私自身の努力不足もあるが、大学受験も第一志望に受かっているわけではない。ただ浪人せず医学部に合格したという功績は何にも代えられない、私自身が残した素晴らしい実績だと自負していたのに、出てきた言葉は「あー○○(私の第一志望にしていた大学)無理だったんだね」「ま、これがあんたの実力ってことよ」

一切努力をほめる言葉が出てこないのである。
我が子の出した結果は普通喜ぶものではないのか。やはり私の努力不足であったんだろうか。

また一つ、自尊心が失われた瞬間であった。

そこから勉強で認めさせることは不可能と分かったので、趣味で認めさせたいと考えた。元々手芸が好きだったので、冬になるとマフラーを編んだり、ハーバリウムを作ってプレゼントしていた。それでも
「こんなん使ったってすぐ解けるじゃん」
「この柄好きじゃないし」
「おきもの?邪魔になるだけ」
と返ってきたのである。

これでもだめか、次にできることはなんだ?
お料理だ。私は小さい頃からお料理が好きだったので何度か友達たちに手料理を振る舞ったりバレンタインに手作りのお菓子を旧友たちに配っていた。

そしてある日、母のために夕食を作った。
ビーフストロガノフ、サラダ、パセリライス。
自分なりにアレンジも加えてとても美味しくできたと思っていた。いざ、食べてもらうと
「塩味たんないねー」
「これアタシの好みの味じゃないからつくりかえるわ」
「洗い物ちゃんとやんなさいよ」

なんで?なんで?
何をやっても褒めてくれない。認めてくれない。
私、価値ないの???

じゃあもう、頑張ること馬鹿馬鹿しくない?

そう思って走ったのが一夜限りの関係である。

少しでもいいなと思った男性に近寄ってみて、甘い言葉を囁いて誘惑し、気づいた時にはベッドの上。日が落ちて、朝日が昇るまで汗水を垂らし、血と情欲とを掻き立てた。

その時、その瞬間だけでもいい。

愛してくれる存在がいること。認めてくれるひとがいることが嬉しくて。真に結ばれないことを頭で分かっていても心が聞かなかった。そして本能のままに貪った。

相手と別れるまでは、何にも変え難い満足感で満たされるのである。

これだ!私の承認欲求の満たし方は!

しかし、あくまで一夜限りであるわけだから永続性を保証するものではない。

その後また欲しくて私から誘うと「忙しいから」「彼女できた」「今日勃たないから」
  
関係をもった男性たちから言われた言葉たちである。

もう私は用済みなんだ。最初から本気の愛ではなく、その場限りの欲求を満たすための関係だったんだ。

また心の中でかけらが落ちた。
セックスは私にとって自傷行為となった。

私、いつになったら認められるんだ??

今回の事件の犯人に、自分の過去を重ねた。
何をやっても周りから認められず、ひとりぼっち。痛いほど気持ちはわかる。だが、彼は最後の手段として「法律を犯すことで注目を浴びる」という手法をとったのではないだろうか。そこが私との決定的な違いだと思った。

私は何しても満たされないとわかった時、思い切って人に相談してみようという結論に至った。母親から受けた心ない言葉、報われない夜の火遊び。話題が話題なだけあって、最初は人に打ち明ける事に大変強い抵抗があった。

しかし勇気を振り絞って言ってみると、すんなりと受け入れてくれて「辛かったんだね」「話してくれてありがとう」「Vは悪くないよ」と思いがけもない言葉と受容が待っていたのである。

私は幸い、友人達バイト先の同僚達などに恵まれており、これらの話をこぼせる相手がいた。それが救いの道だった。話を聞いてくれる相手がいてくれること自体が何にも変え難い救いであったと今考えると思う。そしてその人たちが親身に私の話を聞いて寄り添ってくれたことが愛と承認以外の何物でもない事だとわかった。

彼も本来、孤独と欲求不満を抱えたか弱い存在であり、然るべき人が愛と承認を与えたら無差別殺人など起こさなかったのではなかろうか。
なかなかすぐにそういった存在は見つからないとは思うが、本格的に犯罪を犯す前に、少しでも話せる相手がいて欲しかったなと思う。

少なくとも、私が医者になった時、彼が生きていれば心から寄り添いたいなと思うのである。

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