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“女医”という言葉が嫌いだ

タレント女医。ママさん女医。女医のキャリア形成。

女医女医女医。

「女性」の「医者」というだけでこの世は「女医」と貼り付けてくる。

現代において「女性」の「医者」というのはそんなに物珍しい存在だろうか。

普段から自分自身がそうなる存在であるがゆえ感覚が麻痺しているものと思われるが、やはり世間から見たらそうなのかもしれない。

実際、本邦では未だに女性医師は3割に満たない。  

それゆえか今日も「女医」という言葉は蔓延している。

しかし、私は改めて自身の立場や世論を考えた時、自分が「女医」と呼ばれる事に抵抗や不満を感じるようになった。

なぜそう考えるに至ったかを書いてみようと思う。

第一に業界で女医は嫌われるからだ。

女医は妊娠出産を経るとキャリアを途中で離脱しなくてはいけない。仮に同期が男女2名で女性が産休をとると、その穴を埋めるのは男性医師ということになる。故に働き方改革が進むほど女性が気軽に休み、男性医師の仕事量が増えるという懸念もある。

また子育てや家庭と両立しやすいよう当直や呼び出しの少ない、いわゆるラクな科を意図的に選択する傾向にある。故に皮膚科、眼科は圧倒的に女医が多く、都市部では男性医師含め飽和状態になりつつある。そのため近頃始まった専門医制度では人数制限がかかってしまうほどだ。自分の興味のある科を専攻できない時代にさしかかっているのである。

さらには病院側も経験則から「妊娠出産したら使い物にならない」と踏み、意図的に女性を採用しない施設もある。実際私も就職試験を受ける中で「近い将来結婚する予定はあるか」と聞かれたり、履歴書の段階で書かせる施設もあった。

こんなにも男尊女卑が根強い世界が未だに存在してるのである。

第二に、女医というと一般男性から嫌煙されるからだ。

経済的にも精神的にも自立している。そんなイメージを持たれやすい。

それゆえ出会いの場へ行くと、表面上は「すごい」「カッコいい」などと言われても、内心では恋愛対象から消えるのである。

やはり多くの男性は自分が上に立ちたい、面子が立たないと思うのであろう。そして女性にはいわゆる「専業主婦」「弱い」というイメージをなすりつけたがり、家庭の仕事に専念させかつ自分の支配下におきたいのであろう。

実際私はこれまで非医療関係の方としか交際した事ないが、やはりそういう男性たちほど働く女性というものに理解がなく、女性に家庭を押し付けて自分だけが稼ぎ頭という思いが強いと感じている。ましてや家族ぐるみで「医者になるような女と付き合うな」と自分の将来を否定された事もある。

面白い事に、これが男性医師となると婚活市場で一気に人気が増す。学生時代は学部や大学内の争いであったものが、社会人になってしまうとその戦争に多くの一般女性が加担する。そしていかにして「医師の妻」のステータスを手に入れるために、各々自分磨きや嫁修行に励むのである。

社会上の立場は同じであるはずなのに。
男女で落差がありすぎるのではなかろうか。

第三に、女医は出世し辛いからだ。

第一の理由にも通ずるが、女性特有の事情でキャリアを中断せざるを得なくなった際、男性医師はメキメキと出世していく。

私の大学にいる教員を見ても、教授や院長などの重役は圧倒的に男性医師が独占しているように見える。

また男性至上主義が根強い世界であるため、男性医師はたいそう可愛がられるが、女医は「どうせやめる」「女のくせに」と性別だけで一方的に差別され、能力や論文など同等であっても男性が優遇される事が常態化している。

実質が見られず、性別だけで評価される。そんな理不尽が罷り通ってしまう事が常であることに辟易とする。

この道を選んだ時には、こんなにも男尊女卑が根強い世界だと思わなかった。この世界に生き、生かされる中で自分は茨の道を選んでしまったと思った。

しかし、この悪しき伝統は変えていく必要があると考えるし、世の中的に女性医師はもっと評価されてもよい職業であると思う。

あるアメリカの研究では、男性医師よりも女性医師が診た患者の方が長生きするというデータがあり、「死にたくなければ女医を選べ」という提言があるほどだ。

実際女性は共感力に長けており、辛さや悲しみにより感情移入できることが一因だと考える。

これからの時代、生物学的な性だけではなく、社会的な性と共にあるべきだと考える。

その中で私は「女医」ではなく「医師」として見られたい。

世の人々の固定観念を変える事は難しいことだと存じ上げるが、「看護婦」「スチュワーデス」という言葉がこの世から消えたように、「女医」という言葉も消えてほしいと思うのである。

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