見出し画像

愛に生きるということ


小室圭さん、秋篠宮眞子様 がついにご結婚なさった。

心より嬉しく思う。
愛し、愛され愛を育み大団円に終わったと。

私個人的にはそう思っている。

だが世はそう思わないようだ。
兼ねてから報じられている小室圭さん母の金銭トラブル。
皇室に相応しくない相手だと。
遠慮のない言葉達が彼らを数年にわたって苦しめ続けた。

当初は私も「え、眞子様そんな人と結婚する気なの…」と思っていた。

しかし、時が経つにつれてそれは世間が勝手に作った偏見に飲み込まれているだけではないかと疑うようになった。

そもそも問題があるのは小室圭さんではなく小室圭さんの母ではないか。圭さんは母の一方的な行動で悪者にたくし上げられすぎてるのではなかろうか。

私自身も母の勝手な行動に何度も悩まされたことがある。母には刺青がある。しかも一箇所では無い。勿論然るべき時は隠していくのだが、ある日それが相応しくない場で露わになってしまったのである。それは私の小学校の保護者会の時であった。ストッキングから透けてしまって、級友のお母様がそれを指摘したのである。その結果「Vちゃんは変な子」「付き合うのやめなさい」と自分の子や周りのママ友達に吹聴したのである。

これを知った時、私は激しく怒った。「なんで刺青見えたまま学校に行ったんだ!!」と泣いて抵抗した。しかし母は自分が何一つ悪く無いと思っている人間なので「勝手に見て騒いでいる方が悪い」「これはママが好きで入れたものだから」「あんたにとやかくいわれる筋合いはない」

もう、何を言っても変わらないのだなと思った。その結果なのかは定かでは無いが、後日、母の刺青を指摘してきた方の子供から虐められるようになった。物を隠される。作った物を投げて壊される。

辛かった。私、彼女たちに何もしてないのに。なんでこんな目に遭わなくてはいけないんだ。

「母の刺青」によって「変な子」というレッテルを貼られ、それを親子という絶対的支配関係により一家総出で私を攻撃してきたのである。ひどい理不尽ではないだろうか。
(私個人的には刺青を否定したいわけではないがそれを話し始めると本筋から逸れるのでまたの機会に話そうと思う。)

小室圭さんの報道が流れた時、真っ先にこの出来事を思い出した。
圭さん自身は悪く無いのに母親のやったことのせいでひどいいじめを受けていると。
それに気づいた時ハッとした。
小室圭さんは小学生の時の私そのものではないか。

しかも今回彼が愛したのは国のプリンセス、秋篠宮眞子様である。心ない民衆たちがネットやマスコミを通じて彼らを痛烈に批判するのである。

また、眞子様も皇室の身分でありながらどうしてそんな男と恋に落ちたのかという意見もある。

たしかに、皇室は日本の伝統ある血筋で古来から国の象徴として大切にされてきた存在である。

しかし、「国の象徴」ではあるが「国の代弁者」ではないのである。そこをわかっていない人間が多すぎでは無いだろうか。

眞子様だって皇室の身分といえど、1人の女の子である。学校生活、社会を通じて好きな男性と恋に落ちるのは当たり前である。その男性の母にトラブルがあったとしても、変わらぬ愛を突き通して結婚したいといっているのである。

何がおかしいのだろう?と私は思う。
恋をすることに生まれも立場も関係ないではなかろうか。
人を愛するという行為は人間だけに与えられた特権である。
さらにこの地球で1人の人間が出会える恋愛対象となりうる人は多くて1000人くらいであろう。限られた人数からさらに選んだのだから、もうその信念を突き進んで欲しいと思うのである。

ましてや、眞子様だって皇室に生まれたくて生まれてきているわけではない。生まれながらにして国の象徴。幼い頃から伝統としきたりのためと公務をなさってきた。それらだって普通の一般国民には考えられないプレッシャーやストレスを生まれながらにして抱えさせられてたのである。

今回皇籍を離脱することはその生まれながらの十字架から解き放たれる事を意味する。心の底から「お疲れ様」「よくがんばったね」と声をかけたくならないだろうか?

有名人とか、国の重鎮とか、肩書きはあれど、みな人は人なのである。

実際このスキャンダル、一般人同士であれば「よくあること」で流されるのではなかろうか。

勝手に「皇室」「誠実」というイメージや期待をなすりつけ、それらしくしろと突き付けてるのは国家レベルのいじめではなかろうか。
じゃああなたは家柄が良くて、今までの人生で金銭関係は清廉潔白、親子間も順風満帆、恋愛環境に一切トラブルなく、非の打ち所がない完璧な相手と結婚した人ですか?と。非難してる人達に言ってやりたい。おそらくそんなひとごく僅かであろう。

人生は一度きり。一生共にしたいと思える相手と会えるかすらわからない。

その中でお二人は出会い、一生共にするいう道を選んだ。

愛に生き、愛に生かされ、愛に死ぬ。
こんな素晴らしく生きる権利を生まれながらにして与えられているのは我々人類のみであるから、誰であろうと惜しみなくその権利を使って欲しい。

これから先、いばらの道が続くかもしれないが、乗り越えた先には薔薇色が待っていると思って、乗り越えていって欲しい。

どうか、末永くお幸せになってください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?