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「1Q84読解」ー村上春樹 変奏曲 第3楽章ー「羊をめぐる冒険」による BOOK2 読解

第3楽章では、村上春樹の長編第1作「羊をめぐる冒険」を梃子にして、カルトや邪悪なるものやリトルピープルをめぐる冒険をしてみよう。 


海外での翻訳が多い村上春樹だが、現在、処女作の「風の歌を聴け」と続く「1973年のピンボール」の翻訳を認めていない。作家としての技量が足りなかった時代の習作と位置づけているためであり、結果、海外では3作目の「羊をめぐる冒険」がデビュー作であると考えられている。
「羊をめぐる冒険」の初版当時の僕らの受け止め方も似ており、過去2作とは違い、「村上春樹の本格派への転向」という印象を持った。

 単に長編第1作ということではなくて、ファッションのようなスタイルの作家であった村上春樹が、「本物の物語」を書く「作家」になった作品だったと記憶している。この印象は「羊をめぐる冒険」では、今までになく「テーマ」がしっかりと扱われたからだと思う。


「羊をめぐる冒険」は、「羊憑き」をめぐる冒険譚だ。


物語は、主人公・僕が、失踪した友人・鼠を探すロードストーリーだ。鼠は北海道のとある村で「星の印がある羊」にとらわれている。星の印がある羊には世界を支配する霊力がある。羊は満州で農林省の役人に乗り移って日本に渡り、戦後右翼の大物に乗り換え、政治と広告の世界から日本を操った。「羊をめぐる冒険」では邪悪なる羊は、人間に取り付くことで、その人物を介して日本を操る。そして邪悪な力を使って、政治状況を操るカルト集団として右翼的なグループを組織化した。一説には人物のモデルは児玉誉士夫ともいわれる。この物語は、絶大な力を持った「羊憑き」亡き後の邪悪な力をめぐる後継者争いが「テーマ」だった。


この神憑きの人物と邪悪な集団という「テーマ」が、そのまま「1Q84」に変奏されている。羊に憑かれた友人・鼠が1Q84では教団のリーダーとして配置され、不思議な力をもつ存在として登場する「耳のきれいなガールフレンド」が、超能力を宿したふかえりとして配置されている。天吾は羊をめぐる冒険をする「僕」と同じ存在であり、物語の狂言回しになる。


注目すべきは「羊をめぐる冒険」で絶大な権力を握っていた黒服の男が掌握するカルト集団が、進化した形で「1Q84なる世界」で変奏されている点だ。

「1Q84」には、邪悪なるものを推進するカルト的な集団が2つある。 リトルピープルのレシヴァであるリーダーによって運営される教団さきがけと、娘を夫の暴力によって殺された緒方婦人が立ち上げた家庭内暴力に対抗する地下組織だ。
緒方婦人やタマルの穏やかに描かれた人格から後者の地下組織は一見カルト集団に見えないが、青豆が語るように、この組織は外部に対する敵意に満ちた暴力的なカルト集団だ。


「青豆はやりきれなくなった。緒方婦人やタマルとの密接な関係が、暴力というかたちを通してしか結ばれないからだ。法律に背き、人を殺し、誰かに追われ、殺されるかも知れないからこそ、この組織は団結している。
信頼の絆は殺人を介在にしか成立していない。暴力性がある種の純粋な結びつきを作り出している」
この集団のように、内部に向かって収斂・結束し、外部に対して攻撃的になる、それがカルトの特長だ。


カルト的な集団を描くに当たって村上春樹が最も苦心したと思われる部分は、オウム真理教などの特定の宗教団体に矮小化して、読者に伝わることを防ぐことだったのだろう。そこで「羊をめぐる冒険」の神憑きの集団の変奏だけでなく、もうひとつのカルト集団を置くことでこのカルト的な状況をより広く、より深く警告したのだと考えられる。


「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。
多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない、オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。
物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。
目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」
村上春樹 談  毎日新聞インタビュー、2008年5月12日 より


この「精神的な囲い込み・枠組み」を広く表現するために、村上春樹はリトルピープルなる存在を持ち出し、太古から面々と続く「善悪を越えたものごと」としてカルトを捉え、根源的な「神」の存在を説いた。
実際、リトルピープルの存在は世界に広く流布している。指輪物語のドワーフもホビットも、アイヌのコロボックルも、日本神話のクーナも、ハワイのメネフネも同じく小さい人の神話である。
リトルピープルだけでなく原初的な神様や神憑きの王様は、どこの大陸、どこの地域、どんな民族にも共通して存在する。古代史に置いては、神憑きの「王」という機構は、民衆をとりまとめ、集団を率いる手段であり、全ての部族、村落、都市、国家の源といえる。
「1Q84」で実行される「王殺し」の習慣ですら欧州では当たり前の風習だった。フレイザーの「金枝編」以外にも、古代以前のローマでも王殺しの事例はある。日本でも神憑りのご請託を操ってヤマト朝廷の礎を築いた卑弥呼が霊力の低下によって、民衆によって殺されたと考えられている。不吉な日食のなかでの、女王の暗殺と王権交代劇の一部始終が「天照大神の雨の岩戸伝説」の出所と言われる。


そしてこの「神憑きのレシヴァ」と民衆の関係は、神の言葉を迷える民衆に伝える「預言者」の存在として広く流布している。それはエホヴァの神を戴く、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教と共通の構造である。イエスもモーゼもモハメッドも同じく神の言葉を預かる「預言者」なのである。
人智を越えた神という存在は、我々人間を監視する。そして監視するだけで事態が解決しないために止むを得ず行動する場合は、預言者を通じて、行くべき方向を示唆する。時に反抗する民に向けて事件や試練を起こして干渉する。預言者にはある種の「奇蹟の力」を授ける。奇蹟によって民衆を束ね、集団催眠状態を作り出させるのである。そしてその預言者を通じても事態が収拾できない場合、最大の恫喝手段として「災厄」を与える。


この預言者を通じて関与するという「神と人間の関係性」こそ、リトルピープルの在り方なのだ。ここでは神の不在性ではなく、「神の存在性」が問われているのだ。
多神教社会に帰属する多くの日本人は、自分たちが不神論者だと考え、神の不在を中心に物事を考えやすい傾向がある。だから人智を越え、善悪を越えた存在が実在した場合になると思考停止してしまう。
逆に、神の存在を前提にする三大宗教社会の民衆は、絶対なる神の指導がない世界を一瞬たりとも想定し得ない。神の指示は絶対であり、神に間違いは存在しないと、思考停止してしまう。


今回、村上春樹が用いたリトルピープル論が面白いのは、神は絶対ではないという視点にある。宗教を信じている人々が考えるように、神は行動を起こすべき時に行動を起こす絶対的な存在ではなく、人界との通路が開かれた時にだけ行動を起こすことが出来るという解釈である。
「絶対善」としての神を持ち得ない多神教の日本人作家ならではの解釈だ。よって、この神の行いには良いことも悪いこともある。村上春樹にとっては、神も完全ではないのだ。


「1Q84」では、ふかえりが盲いた山羊を殺してしまった罰として、独居房に山羊の死体と10日間閉じ込められたことで、通路が偶然開かれる。リトルピープルたちはその山羊を仮の通路としてやってくる。
青豆が小説「空気さなぎ」を読む。それはふかえりが創作し、天吾がリライトして完成した小説だ。人智を越えた神と人間の関係性は、すべてその文章の中で提起されている。
「ドウタはマザの代理をつとめるドウタはあくまでマザの心の影に過ぎない。それがかたちになったものだ。
ドウタはパシヴァの役目をする。パシヴァは知覚したことをレシヴァに伝える。
つまりドウタはわれらの通路になるぞ。死んだ山羊は仮の通路で、生きているドウタが本当の通路だ。
マザの世話なしにドウタは完全ではなく、長生きできない。ドウタを失えばマザは心の影をなくすことになる」
順に考えれば、山羊を仮の通路として、それを使って人界にやってきたリトルピープルは、ふかえりと共に空気さなぎを作って、ふかえりのドウタという本物の通路を作った。それを直感的に正しくないものとして、マザふかえりは教団から脱走した。
先に述べたようにこの世界の神様は、ふかえりによって人界との通路が偶然開かれ、その偶然を利用して行動を起こしたのだ。その後ドウタとリーダーは「多義的に交わり」、レシヴァとしてリトルピープルと人界の通路を完成させる。そして教団さきがけに「声」が届けられるようになった。「預言者」が機能するようになったのだ。


この一連の「正しくないもの」に対抗するために、脱走したふかえりは長い年月をかけて独力で反リトルピープル的モーメントを起動する。物語「空気さなぎ」を立ち上げ、天吾をレシヴァに選んで、小説「空気さなぎ」として完成させた。以降、この反リトルピープル的モーメントのユニットはふかえりが知覚し、天吾がそれを受け入れる形をとる。
「あなたはレシヴァの やくをしている。それには特殊な資質が必要だ。
私たちはふたりでホンをかいたのだから。わたしがパシヴァであなたがレシヴァ」
小説「空気さなぎ」を書き上げる過程で、普通の人間だった天吾は大きく成長する。
「おなじではない。あなたはかわった」とふかえりが言うように、天吾はレシヴァとしての覚醒の途上にある。その後、覚醒の果てに二つの月が見え、空気さなぎが見えるようになり、「教室の世界」に自由に行き来ができるようになっていく。
だとするならば、やはり第2楽章で検証したように、青豆をこの「1Q84」のふたつの月の世界に運んできたのは、紛れもなく天吾ということになる。青豆は、ふかえりとリーダーに最も遠い存在であり、天吾にだけ特別な意味を持つ存在なのだから。
小説「空気さなぎ」を読み終えて、青豆は語る。
「私たちを結びつけているのは深田父子の存在だ。
この親子によって私たちは少しずつ距離を狭めているように見える。
しかしそれは致死的な渦によるものであり、致死的でないところに私たちの邂逅はなかった」
そしてBook2の中心が、致死的な事件ともよぶべき2つのカルト集団が対決する「嵐の夜」となるのだ。この運命の一夜で青豆と天吾、ふかえり、教団リーダーの4人の主要登場人物がはじめて揃い、それぞれがキーアクションを起こす。
青豆はリーダー殺害を実行し、ふかえりはオハライをし、天吾は「教室の世界」に戻り、リーダーは交換条件を提案して、死ぬ。
このキーアクションの後、物語は死の予感を孕んで一気にクライマックスに向かう。


この4人の人物を物語に結びつけているものがある。天吾と青豆の「ハードボイルド・ワンダーランドの世界」と「教室の世界」、ふかえりとリーダーの「空気さなぎ」の世界、その3つの世界を結びつけているのは、月だ。

一般には、月は孤独と静謐の象徴であり、我々を見守る存在の象徴になる。


ジョージ・オーウェルは、月のようにわれわれを見守る存在として「ビッグブラザー」を発明し、名作「1984年」を著した。ビッグブラザーは、どこにでもあるテレビからわれわれを監視し、「ウォッチユー!」と指を突き刺して、糾弾する。オーウェルはまさに「精神の囲い込み」であるカルトが定着し、国家化してしまった監視社会の実態とその恐怖を描いた。
なぜ村上春樹は「1984年」にこだわるのか。それがジョージ・オーウェルが発明したビッグブラザーのように人間を監視するシステムや組織の象徴記号だからだ。精神的な囲い込みを象徴している記号が「1984」であり、カルトに対抗する「深く広い心」を物語にするにふさわしい年号は「1Q84年」しかないのだ。


しかしこの「1Q84なる世界」にはビッグブラザーはいなくて、リトルピープルがいる。その2つに共通しているのは、神様があなたを見ているということだ。誰もその目から逃れることは出来ない。ビッグ・ブラザーはあなたを見ている。リトルピープルもあなたを見ている。月もあなたを見ているのだ。


ただし、この「1Q84なる世界」では月はひとつではなく、ふたつある。この世界の月は寡黙だが、孤独ではない存在なのだ。
リトルピープルが月を二つに分かつ。「ドウタが目覚めたときには空の月が二つになる。それがしるしだぞ」
この長大な「1Q84」の物語は月が始まりで、それが二つになり、やがて再び一つになる話なのだ。天吾と青豆がすれ違うだけの元の世界の月はひとつで、ふたりが運命を交差させる「1Q84なる世界」では月はふたつになる。いずれ、月は再び一つになるはずだ。


 月をふたつに分つのが、リトルピープルだとしたら、再び、ひとつに統合できるのは、どんな存在なのか? 見守り、預言者を操って指示をする存在ではなく、このふたつの月のある世界で、実際に行動し、その世界を統合する存在とは何者なのか? 1Q84の謎は次第にそこに収斂していく。


その存在のヒントが、レシヴァにある。神に選ばれたレシヴァの行動は「奇蹟」と呼ばれる。奇蹟を行うことで民はレシヴァに従う。つまり神の預言者であるレシヴァは奇蹟を行うことを運命的に求められる存在なのだ。
ではリトルピープルは、教団のリーダーに対してどんな奇蹟を求めていたのだろうか? 仮に、ふかえりの書いた「空気さなぎ」がすべて真実だとして、そこに記述してあることが教団の中で実際に起きたことだとする。そこには、ひとつ重大な疑問がたち現れる。
空気さなぎからドウタふかえりが目を覚ます前に、ふかえりは教団から逃げ出してしまった。
となると、「リーダーと多義的に交わったのは誰なのか?」という疑問だ。
リーダーはその「多義的に交わる」行為によって、レシヴァとして能力を開花する。多義的な交わりなしに、リーダーの覚醒と教団の成長はあり得ない。ではふかえりの脱走後にリーダーと交わり、リトルピープルとの回路を広げた相手は誰なのか?それがふかえりなのか、ドウタふかえりなのか、1Q84の読者にはわからない。
 小説「空気さなぎ」のラストもこの問題に触れて終わる。


「ときどき彼女にはわからなくなる。混乱が彼女をとらえる。
私は本当にマザなのだろうか。
私はどこかでドウタと入れ替わってしまったのではあるまいか」


果たして我々が深田夫婦の娘だと考えている「ふかえり」はマザなのか、それとも緒方夫人のもとにきたつばさと同じくドウタなのか?


 この謎を解く鍵は「オハライ」という行為にある。東京にいるふかえりは、多義的に交わる行為を「オハライ」としているが、それは過去の悲惨な出来事から学んだ結果として生み出された行為なのだと思われる。小説「空気さなぎ」に登場する事件、ふかえりが小学生のときに唯一友人になったクラスメイトのトオルを守れなかった悔恨が、リトルピープルに対抗する手段として「オハライ」を編み出した可能性は高い。
多義的な交わりについて、青豆の推論がある。


「リーダーが性的関係を結んだのは、実体マザではなく、彼女たちの分身ドウタであると考えれば、多義的に交わったという表現は腑に落ちる。
ただし、ドウタたちはリーダーの子供を受胎することを求めていたが、実体でない彼女たちに生理はない。それでもなぜか彼女たちは受胎することを切に求めていた。なぜだろう?」


ドウタである彼女たちが受胎を求めていたのは、それが達成されれば「奇蹟」になったからだ。先に述べたように宗教集団において「奇蹟」は必須なのである。
リーダーが青豆の前で時計を動かして見せるのも奇蹟だが、リーダーとドウタたちに課せられた奇蹟のレベルはより高次の奇蹟だった。処女であるマザに「処女懐胎」させることが目的だったのだ。ドウタはレシヴァと多義的に交わり、マザに神の子供の後継者を植え付ける。イエスがマリアの「処女懐胎」で生まれたように、ドウタたちは処女懐胎を望んでいたのだ。
ドウタの奇蹟の能力が、レシヴァと交わることで「他の女性に懐妊させることができる」能力だとすれば、ふかえりが新たなレシヴァである天吾と交わり、青豆を妊娠させる能力があったのは、うなずける。


とするならば、このふかえりはドウタふかえりだったのだという考えにも及ぶ。それを証明するかのごとく、このふかえりには生理がない。生理のないドウタが交わり、何もしていない女性が妊娠すれば確かに奇蹟である。
1Q84における最大の謎は「処女懐胎」をめぐるものであり、大きな秘密が青豆の妊娠には隠されている。それについては最後に考察したい。


さて、村上春樹は初期において、世界と関わらないことを信条としていた。しかし、ある時、世界に対してポジティブに興味を持ち、デタッチメントを開始した。
過去、村上春樹がデタッチメントしてきた事物は、全共闘、オウム真理教、阪神淡路大震災、福島原子力発電所事故と並び、それを「デタッチメントの時代」と呼ぶ。そして、その集大成として村上春樹は、「1Q84」で人類の根源的な問題を取り扱った。すべてのデタッチメントの経験を踏まえて、変奏曲を奏でたのだ。


村上春樹がこのように「1Q84」でカルトにデタッチメントした意図は、個人という弱い人間にとっての「宿命である闘い」を表現したいからだ。
それは、巨大なものに対する帰属に起因する「精神的な囲い込み」を巡る指弾であり、宗教の根源的な形である「依存」を巡る問題意識の表現でもあるはずだ。


さらに1Q84では、「羊をめぐる物語」以降何作かに渡って追い続けてきた「邪悪なるモノ」を昇華させ、見事に変奏してみせた。
運命の一夜、4人はキーアクションを起こす。彼らは彼らの世界で行動を起こし、それぞれのキーアクションによって、「邪悪なるモノ」に対してデタッチするのだ。


リーダーが青豆に提案した交換条件が成立し、天吾とふかえりはリトルピープルの危険から遠ざかり、逆に青豆が教団から狙われる。青豆は「10歳の時に捧げた愛」の運命に従って、天吾を救い、自らは死を選ぶ。


「希望のあるところには必ず試練がある。ただし希望の数は少なく、大方抽象的だが、試練はいやというほどあって、おおかた具象的だ。」


この運命の夜から、天吾と青豆は具象的な試練に巻き込まれていく。 

  次の第4楽章では「ねじまき鳥クロニクル」を梃子にして、試練に対抗する村上春樹らしい手段を読解してみよう。

つづきはこちら



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