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「こころ」とは何か・「恋」とは何か

 どうも、こんばんは。q3wと申します。今日のテーマは「こころ」とは何か・「恋」とはなにかについて、筆者の実体験も踏まえながらてきとうにお話いていきたいと思います。


・「こころ」とは何か

・「こころ」の定義

 このことについては比較的、想像が可能だと思う。喜怒哀楽そのものだと思う。ただそう簡単にはいうものの実際難しいものだと思う。喜怒哀楽というものは人間が2人以上いて初めて生まれる人間の持ち合わせたものであり、そして私たち人間は言語や態度・時には思考を用いてその感情を感じ取ってしまうことがある。2人以上というのがとてもやっかいで、数学でも変数が増えれば増えるほど、内容が難しくなる。それと一緒で「こころ」というものも考える人が多くなれば多くなるほど、「こころ」への理解が難しくなると思う。

・恋愛における「こころ」とは

 恋愛における「こころ」とは、恋愛の形を写す鏡の存在となっていると思う。逆に「こころ」における恋愛とは、写像だと筆者は考える。すなわち、「こころ」という空間で定義された感情が恋愛という写像に乗って、そして、2人の集合の共通部分が2人の納得する形で現れた場合にのみ、人間では交際というものがスタートする。

・「恋」とは

・「恋」の定義とは

 これは、人類に備わった生き物としての子孫繁栄の意思を体現したものだと考える。卵子や精子の世界から立ち返って考えてみると、今私たちがこうして何気ない日常を共有しているという事実は天文学的な確率でのみ考えられる不可思議な空間だと考える。すなわち、1人1人がこの世にいること事態が奇跡であり、目の前にいるすべての人たちの出会いが奇跡の連続であるということである。人類はこれを「偶然」と呼ぶ。この「偶然」の連続の中で、私たちは気になる異性と出会い、そしていずれその2人が結ばれ、もしかしたら子供を授かるかもしれない。そしてこれは人類が神から授けられた一種のプログラムであるかもしれない。

・新しい価値観の台頭

 近年では、同性どうしの「恋愛」という価値観も広がっている。日本ではまだあまり普及はしていないし、筆者がどういう立場なのかは言及しないが、海外ではその価値観が認められつつあるのは事実である。ここでは特に断らない限り異性を対象とした「恋愛」というものについて考えていきたい。なぜなら、筆者は同性愛者ではないので、その価値観が根本的には理解できる立場にないからである。

・「恋愛」の形とは?

 「恋愛」とは、人類という要素を持つ世界という空間にて何らかの共通のコミュニティを持つ。異性2人が知り合いとなり、互いに惹かれ合い恋をするというのが一般的な流れだと考える。すなわち、私たちは卵子への突入の勝負にて勝利をしてしまったことで「ヒト」という形を手に入れている訳なので最初の段階はクリアしている。すなわち今後大切なことは共通のコミュニティを持つということである。最近では、出会い系アプリなどが普及している実態もあり、コミュニティではないとする意見もあるかもしれないが、それは出会い系アプリ自体がお互いの共通のコミュニティに変化したとみることもできる。また親や友人の紹介などについても親の知り合い同士や友人同士などが共通コミュニティとして捉えることができる。すなわち恋人を作る場合、共通のコミュニティの1つ1つを大切にしていかないといけない徒考える。

・共通のコミュニティの注意点

 筆者は、これらで考えた共通コミュニティを持つ女性と恋愛を3度したことがある。しかし1つを除いて、あまり良い別れ方をしていない。できたら後述するが、お互い好きだったはずなのにもかかわらず別れるということ自体が人間の精神的には良くないことであるかもしれない。また、この共通コミュニティが長く続くものであればとても厄介である。まだ、学生にとっての学校やクラスなど学校という単位を基準にしたコミュニティはせいぜい2.3年程度付き合いを経れば良いだけであるが、これが職場になると大変である。近年は転職が行われる機会も多いとのことだが、慣れ親しんだ職場があれば多少の不満があっても筆者は出たいとは思わない。そう感じる人も一定数いるだろう。今、筆者は大学4回生であり、筆者の場合は大学院進学が決まっているのであと少なくとも2年は学校組織というコミュニティに所属することになるが、わたしと同じタイミングで卒業していく方々は社会人という立場で来年以降生きていくことになる。そうした際に、実際どのように恋をすれば良いかそれを僭越ながら解説したいと思う。

・社会人という立場で始める恋愛

 まず、社会人という立場で始める恋愛とは、結婚というスタートに立てるように走り始めるものと、ただ目の前にいる異性として好きだというものに別れると考える。後者の場合は倫理観に外れるような行為があるかもしれないが、ただ目の前にいる異性が好きなのだから筆者は仕方のないものだと考える。ただし、トラブルについては民事などでしっかり法的に解決することを目指すことを覚えて起きたい。では前者について近年では、出会い系アプリなどが普及したことによりそうしたネットコミュニティを用いた恋愛も行われるようだが、昔でも今でも親や友人の紹介という手段はあり得る。ただし出会い系アプリや紹介というコミュニティは結婚というスタートに立てるように始めることが多い。なので、そうした気持ちを少しは持って相手に接することがとても大切だと思う。もちろん人間は気持ちを持つ者なので時には衝突もあるかもしれない。しかし、その衝突を何度も何度もお互いの歩み寄りで乗り越えられるのであれば、結婚という世界が視野に入ってくると思う。ここでは筆者は"お互い"ということが大切であるということを強調しておきたい。片方がいくら歩み寄ってももう片方が受け身であれば、交際は長く続かないだろうし、結婚生活も長く続かない。世の中ではそうした夫婦が離婚や別居という選択を取ってしまうのだと感じる。もちろん歩み寄れる範囲は個人の持ち物であるのでその範囲が狭い・広いというところはあるかもしれない。大切なことは歩み寄りの範囲がたとえ狭くても互いに共通に思える何かを持っているのか・共通部分がしっかりと存在するのかということを交際を通してしっかりと判断すれば良いと考える。

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