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優しい世界は「教育」から

私は人生を通して「優しい世界」の実現に貢献したいと思っています。

別にスピリチュアルな話をしようと言うのではなく、極めて現実的なことを述べるつもりです。


<世の中は”心無い問題”に溢れている>

世の中は、兎に角にも問題が多いです。
例を挙げるのも馬鹿らしくなるほど、実に多くの問題が日常に散らばっています。

私はその中でも「優しさの欠如」によって引き起こされる問題に強い憤りを感じています。

いじめ、ネットでの誹謗中傷、迷惑行為、DV、ネグレクト、詐欺、パワハラ、ブラック企業、、、これも列挙し始めたらキリがありません。


正直、心の底から「何やってんねん」って思います。
何でそこまでして人の心を踏みにじりたいのか。何で平気な顔で人を傷つけられるのか。何で鬱になったり自殺したりするところまで追い込むのか。

自分の憂さ晴らしができればそれでいい。目立つことができれば満足。自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない。

こんな人があまりにも多すぎる。ほんとに悲しい。


もちろん、一部のそうした人の行為がフィーチャーされて目に付きやすいから、実際よりもそういった人が多いように見えているという側面はあるかもしれません。

それにしても、そんなことで片付かないくらいこうした問題は実際多いはずです。


こうした行為は「人に対して優しくある」という心1つで解決できるものがほとんどです。本当に特別な事情を除き”全て”と言っても過言ではないかもしれません。


そして、世の中ではこうした問題に対して、色んな人たちが色んな方法で少しでも良くするために尽力しています。

法令で対応したり、講演などで呼びかけを行ったり、新しいサービスを開発して立ち向かったり、たくさんの手段が取られています。


けれど一向になくなりません。むしろテクノロジーの進化とともにそうした行為が一部助長されている節すらあります。これは別にテクノロジーの進化が悪いわけではなく、結局それを使う人間の心に問題があるわけですが。。


いずれにせよ当人たちの心が変わらない限り、いかに規制を設けたところでイタチごっこですし、根本を断たない限りこうした”膿”は止まりません。



<「教育」が秘めている可能性>

こうした状況を根本から解決しうる可能性を秘めているのが「教育」だと思っています。

個人に形成されるパーソナリティは、環境の影響を大いに受けることは周知の事実です。ここに関してはいわゆる『強者の理論』が持ち出されて議論される部分だったりしますね。

強者の人たちからすると「道徳観や倫理観、性格の良さなんてのは己の思想や努力によって何とでもなる」ということですが、そうじゃない人たちからすると、「いやいや。そりゃあ経済的に豊かな家庭で、人格者の両親のもと、整った環境でスクスク育った人はそりゃあね。こちとら、、」という感じでよくぶつかる部分です。

どちらの言い分も理解できるところですが、かと言って後者の人たちが心無い行為をしていいということにはなりません。


環境の差は確かに存在するが、それを免罪符にしてはいけない。


となったときに、
この「環境の差」を埋めることができるのが教育だと信じています。


幼少期こそ家庭で過ごす時間が多い(環境の差が出やすい)ですが、小学校、中学校と年次が上がっていくにつれ、家庭よりも学校で過ごす時間の方が長くなってきます。

その中で誰に出会い、どんなことを学び、何を考え経験するか。


この内容と質によって、環境の差は埋めることができるはず。

テストで点数を取るためだけじゃない、人間としての本質的な成長を促すような教育によって、
自分の幸せを追求しながら他人の心を慮り、優しさを以てそれぞれが問題を解決していくような、そんな「優しい世界」が実現すると信じてやまないのです。

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