ようやく『アルジャーノンに花束を』を読み終えた。【おすすめ本】
こんにちは、ピュウです。
楽しいコンテンツが大好きな元編集者です。
私のnoteでは、本を中心としたおすすめのコンテンツや
我流の文章術を紹介しています。
本日は、
世界的名著『アルジャーノンに花束を』を
ようやく読了したので、ゆるく感想文を書きます。
※若干のネタバレ注意。
あらすじ
まず、あらすじをざっくりまとめます。
主人公の知的障碍者チャーリイは、家族に捨てられながらも自分に出来る仕事を懸命にやって生活している。
多くの「理解できないこと」がありながらも、確実に「幸せ」を感じながら生きていた。
そんなある日、人体実験第一号として「知能を高める手術」を受けることとなる。
無事に実験は成功し、彼は手術を施した博士たちよりもずば抜けた知識を短期間に吸収できるようになる。
しかし、彼の行動を見張っている昔の「チャーリイ」が彼に付き纏うせいで、彼は「本来の自分」と「真の幸せ」を見失い、混乱に陥っていく——。
ハヤカワ文庫の新版には、著者が日本人読者に向けたメッセージや訳者・小尾芙佐さんのあとがきがついており、作品が仕上がるまでの背景や、著者の人柄を知ることもできる。
感想① 愛すべき自分はどうしたら見つかるのだろう
手術後のチャーリイの喜びは、本当に一瞬だったように思う。
むしろ、自分が感じていた幸せには多くの「勘違い」によるものだったことを知り、それまで感じていた幸せのほとんどを奪われてしまった形になる。
夢を叶えても満足できず、むしろ失望を味わうという事例の、究極の例だと思った。
自分の今に置き換えて考えると、結局自分はどうなりたいのか分からなくなった。
今このときを幸せだと思うことが最適解なのか?
でも、大勢の人間が、上へ上へと向上心を持っているし、それが世の中では良しとされている。
「どう生きるか」って、本当に難しい。
こんな文学なんかに触れずに呑気でいるのが一番幸せなのか?とも思ってしまうほどの、難題を突き付けられました。
感想② 訳者の熱意と根気に脱帽
本作は、主に主人公チャーリイの手記(経過報告)によって展開されていく。
そして、手術前と後で、文体が様変わりする。
徐々に徐々に賢くなっていくのがわかる絶妙な文体の変化……。
すべてが訳者に懸かっている作品ともいえる。
訳者は、相当のプレッシャーと膨大な時間を要したことが窺えた。
翻訳をしたこともなければ外国語も大してできない私でも、熱意と根気がなければ到底できない作業だったと思う。
それをやり遂げた訳者が、著者と生前に交わしたやりとりがとても染みる。
海外文学を訳すことを生業にしている人は、つねに己の精神力と闘いながら原文と向き合っているのだろう。
心から尊敬します。
感想③ 障碍のある人が身近にいたとして……
私(ピュウ)は、親が知的障碍者施設で働いている。
子どもの頃、実際に親が勤務する施設で障碍者と接したこともあり、あまりそういった人々と接することへの抵抗はない。
でも、その経験から、「気を遣わねばならない相手」ということを学び、今では人よりもその気遣いに敏感になっているように思う。
でも、それでいいのか?
本作では、チャーリイを捨てた家族たちの様子も事細かに描かれている。
もし私が産んだ子が障碍者だったら?
そのことによって悲しむ子がいたとしたら?
とてもじゃないが、冷静な判断ができる気がしない。
本人は、家族は、どう接してほしいと願っているんだろう。
それはきっと当人たちも整理しきれていないこと。
だからこそ長年考えられ続け、本作のテーマになったのだろうが、きっと答えは見つからない。
無理やりにでも「答えらしきもの」を掲げるしかない。
ひとまずは、このような作品を通して浅はかに傷つけるという事態を少しでも減らすこと。
それしかできないんだろう……。
以上、読後の頭を整理するための、
自分のためのnoteでした。
今後もおすすめの本や文章術を紹介します。
ピュウ
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