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個性になってはいけない個性

発達障害児の親として、発達障害の特性を「個性」と言われる事に対して、凄く違和感があったのです。なんていうんだろうか…正体の判らないモヤモヤが湧き立つ感じがあったんです。
今日、勉強をしていてそれがストンと腑に落ちたんです。

発達障害の特性をひとつの個性と捉える考え方は良いと思うんですが、それはあくまで良い面であればの話ではないかと。
本人に「困り事」や「困り感」がある特性も乱暴に「個性だからね」で片付けてしまうのは無責任な話だよなと。

なんていうのか、発達障害の「障害」という言葉に注意がいっているように感じて、それを「個性」という言葉に置き換えて、気にしなくなったでしょ?みたいな。

例えばですが、ギフテッド的な能力が顕在化してる子は良いです。それは秀でた個性だと思うし、本人の意思があるなら、その個性を伸ばせば良いと思うんです。これは健常者でも。

でも、本人が困ってるであろう特性、日常生活に支障があるであろう特性を個性だからで片付けるのは違うかなと。
個性なんですよ個性。
でも、日常生活の中で本来個性になってはいけない個性なんです。

約束した事を忘れてしまう
とかを「この子の個性だから仕方無いよね」
で済ませるのは違う。

「個性だよ」と言ってくれる周りの人達の気持ちも解るんです。
「障害」という言葉の印象は強いですから。
私も息子に事実を伝えた時には「発達障害」ではなく「発達の特性」と伝えました。これは息子が受けるかもしれないショックを和らげる為でしたし。

でも親が、その「個性」になってはいけない「個性」を「個性だからしかたない。周りがあわせてよ。」てなってしまったら、その子は修正や成長も出来なく、只々生き難くなっていくだけ。しかも齢を重ねる事に生き難さは増していくと思うんです。

社会に発達障害の特性を「個性」と捉え過ぎる事が浸透しすぎると、本来獲得出来るはずのコミュニケーション能力やソーシャルスキルが身につかなくなるのではないかと思うんです。

親として、修正出来る事は修正しないと。これは定型発達の子の親でも変わらない話だと思うんですよね。
人は生涯成長していくので、誤魔化さずに息子と向き合っていこうと思ってます。

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