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【キリエのうた】人生はひとり、でもひとりじゃ生きていけない【感想】

ネタバレを含みます

先週、「キリエのうた」を鑑賞してきました。
自担の松村北斗くんが出演しているので、ずっと楽しみにしていました。
岩井俊二監督の作品は、実は初めて観ました。
絶対に他の作品も観ます…好きな世界観すぎた…。

まだ観てない方、これから観るという方は閲覧注意でお願いします。


あらすじなどは公式HPでぜひご覧ください。

私が主に感じたこと。
主要登場人物たちのそれぞれの立場があって、
「3.11」を含め、各々にとっての「あの日」があって、
それぞれの人生がある。
それらが相互に関わるから、物語が織りなされる。
だけどそれぞれの「生きる」を見せられた。
そんな映画でした。

特に私が印象に残ったのは、夏彦についての描写です。
北斗くんだから、だけではありません。
その物語性にどうしようもなく、なぜだか一番泣いてしまいました。
私なりに感じたことを記録します。

「罪」を背負い生きる夏彦

夏彦は、被災した「フィアンセ」である「キリエ」をずっと探しています。
この映画のタイトルにある「キリエ」とは、アイナ・ジ・エンドちゃん演じるシンガーソングライター「キリエ」でもあり、その姉でもあるのです。
つまり、妹の「ルカ」ちゃんが、亡くなった姉の「キリエ」という名前でアーティスト活動をしています。

震災があった頃、夏彦はその春、大阪で医学生になる予定でした。
しかし、大阪には行かず、ずっと被災した地元でボランティアをしながら彼女を捜索していました。

夏彦は浪人している?ようだったので、当時19歳ぐらい。
キリエは高校の後輩でまだ学生なので、17〜18歳ぐらいです。
そんな若い2人がなぜ「フィアンセ」つまり婚約していたのか。

答えは簡単。お子がお腹にいたからですね。

お察しの通り、望んで出来た子ではありません。
少なくとも、浪人をして学生生活に臨もうとしている夏彦にとっては。

喜んでいるのは、キリエとその家族。
夏彦は到底、家族には打ち明けられません。

 「産んでいいの?」
 「いいよ」

思い出すだけでも優しくて切なくて、心許ない声でした。
その顔は、抱きしめられているキリエには見えません。
人としての道徳は守りたい。キリエの思いも尊重したい。
でも自分の人生においては?
戸惑い、後悔、迷い、不安…全てが混ざったような夏彦の表情。

キリエの家は、キリスト教徒でした。

キリエの実家に呼ばれた時、親族一同に温かく迎え入れられた夏彦。
ひたすら戸惑っているように見えました。
受け入れられることによって、まざまざと自分の責任を実感しているような表情。
挙げ句の果てに、キリエのお母さんは若い2人の幸せを神に祈り始め、子どもたちも手を組み祈ります。

恐る恐る手を組んだ夏彦は、まるで「違うこと」を祈っているようにも見えました。
きっと幸せになりたいはず。しかし、それよりも自分の「罪」を詫びるような、そんな祈りに。

夏彦の話と少し逸れる感想ですが、
被災の日。鳴り響く大津波警報の中、キリエは小学校までルカを探しに行きます。
不安と緊張の中、やっと遭えたルカを抱きしめるキリエの表情のアップから、残酷にもゆっくりと波打ち際の映像がフェードインして、キリエの顔が消えていきます。
身籠っている少女であるキリエが妹を慈愛に満ちた表情で抱きしめる様が、まるで聖母のようで、非常に印象的でした。

夏彦は、ずっと悔やんでいるのです。
キリエが居なくなって、ほっとしてしまった自分を。
キリエと、自分の行いによって出来たその子に対してある思いを抱いてしまっていた自分を。

時を経て、キリエにそっくりに育ったルカの顔を、しっかりと視界に入れて夏彦は「許してくれ」と崩れ落ちるのです。
何もしてやれなかった、とルカに対して謝りますが、それはきっとルカだけにではないはずです。

3.11はとても莫大な災いであり、多くの人にとっての人生の分岐点だったと思います。

夏彦にとってのそれは、一生背負い続ける「罪」のようになっている。
何重苦にもなっているその構造にとても胸を締め付けられました。

そんな夏彦に人生の半分面倒を見てもらっていたルカは、
「いっぱい助けてもらってるよ?」と背中を摩り慰めます。
まるで夏彦の「罪」を、「キリエ」が許しているかのように思えました。
きっと夏彦もそんな風に感じて、一際東京のコンクリートの上で泣き崩れたのかもしれません。

ここまで思い出しながら書いたのですが、それだけで泣いてしまいました…。

そのほかに、とても印象的だったことがもう1つあります。

「敷かれたレール」から外れたかったイッコの「運命」

広瀬すずちゃん演じる「イッコ」も物語のメイン級の登場人物です。

彼女は北海道の3代続くスナックの娘。このまま高校を卒業すれば、進学もせずにスナックを継ぐ羽目になる運命を諦めていました。

しかしとあるきっかけで、進学できるチャンスが訪れました。
いっそこの地元を離れることができれば。
そんな思いや、期待に胸を膨らまし、猛勉強します。

結果は合格。晴れて東京へいくことが決まりました。

しかしその後、お金を工面してくれるはずだった母親の彼氏が逃げてしまい、進学はできなかった。

でも地元から、「女を武器にして生きる」家系である実家から逃げることができた彼女はそのまま東京で暮らし続け、やがて「キリエ」として路上で歌うルカと出逢います。

私がイッコなら、学生生活に期待に胸を膨らませていたことが非情にも無かったことになったらめちゃくちゃやさぐれるな…と思いましたが、イッコちゃんもしっかりやさぐれていました。
したたかに、自由に生きているように見えたイッコちゃん。
実は、男の人を騙しながら生計を立てていました。

「女を武器にして生きるのが嫌」と吐露していたのに。
結局、そうせざるを得ない「運命」として描かれていたのが無性に悲しかったです。
まだスナックで働いてた方がマシだったんじゃ…なんて思うような人生でしたが、それは結果論で。
若い女の子が「女」を使って家のない生活をしているというのがこれまた非情な描写でした。その結末も含めて。

人生は「ひとり」で生きていくけど

主人公である「ルカ」は、被災によって孤児となりました。
身寄りも無く、PTSDで声も出せなくなったルカ。
でも歌は歌えます。歌でなら感情を表現できます。

どこか切なく、苦しく、心の、魂の叫びのような歌声に人々が魅了されていく。

イッコをきっかけに、徐々にルカの周りには人が集まってくる。
歌・音楽を通じて「キリエ」はひとりではなくなる。

でも、エンドロールではまたひとりで旅をしています。

イッコとの強い結びつき、絆が描かれていましたが、
イッコ自身が招いたトラブルによって、2人は引き裂かれてしまいます。

ルカにとっては、何度目かの「大切な人」との別れです。

それでも、ひとりでも生きていく。生きていくしかない。
家がなくても、歌しか歌えなくても。
その先に何があるのかは我々にはわかりません。
それは誰のどんな人生でも同じ。

しかしきっとルカの人生にはこれからも
あたたかく彼女を受け入れてくれる観客が、仲間が、友人が、必ず居てくれるでしょう。
「ひとりじゃないんだな。」
そんな希望を持たざるを得ない映画でした。

上映時間が3時間もありますが、半分がキリエの歌唱、もう半分が
運命に翻弄される人々の目まぐるしい人生の様子で、あっという間に過ぎた3時間でした。

どうかこの先に、この先も、みんなが幸せでありますように。

#キリエのうたの感想たち

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