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ゼロ地点

2022年。6月17日。
29年抱え続けてきた問題に、
決着をつけた。
この日のことを私は一生、忘れない。

この日から父と顔を合わせていない。
(関係ないけど兄も)
だからこれから先がどうなるかは見えないのが
若干の懸念点。

そこから約半年がたった。
小さな波はあるものの、
ようやくプラマイゼロの、
ゼロ地点に立てた気がする。

思い返せば、常に納得がいってなかった。
(下田美咲さんの人生エッセイに
とてもよく当てはまる表現が多いので、
言葉をたくさん借りる。ありがとう下田美咲様)

いつも当たり前に諦めていて、
諦めていることにすら気付いていなくて、
心を無にして生きていた。
家にいる時は、笑わない。歯を見せない。
でも問題を起こさない限りの返事はする。

それが不健康であることはよく分かっていたから
外では違ったけど、多重人格ではないので
家での自分と完全に切り分けられるわけはない。

自分という体の中に生まれついてしまったことを
不運だと思った。
生きていたくなかった。
いつも、死んで人生を終わらせる、という
選択肢がナチュラルに心にあった。
やるか、やらないか、死ぬか。みたいな感じ
死んだら何もなくなって楽だ。
早く人生を終わらせたい。
生まれてきたくなかった。

そう思うほどに、私は何もしてないのに
精神的な危害を頻繁に与えられていた。

でもそれに対して「なんで?!」とまでも思わず、
「まぁ解る」といった感じで受け入れ?ていた。
まぁ、なんでと思う体力もなかったんだと思う。

後から分かるけど、
会話が成り立たない相手だとそうなる。

今は、
話が通じる人が家族になってくれて、
そんな存在は家族の中で一人しかいない。
こいつに死なれたらマジ困る。かなり貴重だ。

だから今は、死ななくてもいいや、
生きていてもいいや。と思えるようになった。
この人生幼少期からトータルすると
圧倒的にマイナスだったところが、
ゼロに近付いてきた。
とんでもない量の幸せが必要だった。

だから、よく生き抜いたぞ、私
マイナスのまま終わらせなくてラッキーだった。
私に生まれたことは、まぁ、良かったかな。
と思うことがある。
2022年になって、初めての景色だ。

そう思わせてくれた旦那さん、お友達、
余裕ができた今は適切なサポートをしてくれている母に感謝したい。

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