大人の寂しさとやすらぎの館
ドラえもんにおける名言の一つとして挙げられるこの言葉.心身ともに大きくなっていくにつれてこの言葉が沁みてくるように感じます.この言葉の出典である『パパもあまえんぼ』という話は酔っぱらって帰ってきて廊下に寝転がってしまったパパにのび太がだらしがないよと叱るも,子どものくせにといって言うことを聞かないパパに対して「じゃあおばあちゃんに叱ってもらおう」とパパを昔に連れて行っておばあちゃんに説教をしてもらおうとする話です.
ただのび太の思惑から外れて酔っぱらったパパは冒頭でママに甘えたのび太と同じようにおばあちゃんに泣きついて会社の愚痴を吐露し始めます.
二人だけにしてあげようといってドラえもんがのび太を連れて部屋を出たときに言った言葉が「おとなって、かわいそうだね。」というセリフでした.
そんな大人の辛さ・寂しさを垣間見る話だと思うのですが,これをより強烈にした作品が藤子・F・不二雄先生の短編にはあります.タイトルは『やすらぎの館』.主人公は世界展開する大企業の社長です.
大企業のトップともなるとのび太のパパ以上に甘えたり叱られたりすることはなく更なる孤独感に苛まれるのでしょう.主人公の友人であり医師にそのように言われてしまいます.そんな状態の人に薦めているのが「やすらぎの館」と言われる場所.会員制ではあるが,その会員は名だたる各界のトップクラスばかり.
乗り気のしない主人公はやはり疲れているのは正しいようで,パパ活をしている女の子と一緒に寝ます.ただ寝る前にお金をせびられてその気がなくなってしまいホテルを後にします.
家では留置所に入れられた息子に対して次のように叱責します.
そして最後にこう言い放ちます.
子どもの前では大人でいなければならないことの良い例ともいえるでしょう.そのような境遇である中,友人の言葉の誘いに乗ってやすらぎの館に入ります.
入るとやけにスケールが大きな部屋があり,子供服を着せられます.そして流れてくる音楽が幼いころに聞き馴染んだ曲…….独楽遊びをしてると割り込んでくるガキ大将.そんな状況が次第に子どもの頃へと回帰させ,最後に巨人症の綺麗な女性が現れます.
その女性の瞳には催眠術のような力があり,その魔性の瞳にやられた主人公はその女性を「おかあちゃん」と呼ぶようになります.
こうして暗示にかかった主人公はどんどんと退行していき,最終的には乳児期にまで退行してしまいます.
主人公が腑抜ける裏で主人公が務めている会社では自身の息子の裏に専務がついて会社を乗っ取る計画があり,すぐ手を打たないと大変なことになるという状態になってしまいます.やすらぎの館へ行く前だったらなんてことはなかったと思うのですが,暗示にかかった主人公は…….
このオチを知ってから改めて読み返すと,主人公は専務が信用ならない人物であることを見抜いているし,友人の医師が自分の病状を隠しているように感じてもいる.本当に敵だらけの中で生き抜いてきて心が休める場所というものがなかったのでしょう.そこにこうした人にピッタリなハニートラップといえるようなものをしかけられて腑抜けさせ,会社の乗っ取りがおそらく成功されてしまう…….そんな怖い話でした.
やすらぎの館最後の会社の乗っ取りまで同じケースはそうそうないでしょうが,とはいえ「自分より大きな存在に包まれていたい」という欲望は心のどこかにあるのはそれなりの人に共通しているような気がします.ただそういった欲望があってもそれを解消する方法は大人,それも自身が親となるような年齢とまでなるとほとんどなく,別のもので代替するしかない…….そういうのもあってお酒が大人には許されているのかもしれませんね.
自分のよくいるVRChatでも癒し癒されという関係にあるようなのを見ることもありますし,YouTubeなどにあるASMRもそのような甘やかしボイスがあったりしますよね.
ここで紹介した『やすらぎの館』という話は人間だれしもが持つ心の弱さと同時にその弱さを肯定してくれる母親のような「自分にとって絶対の味方でいてくれる存在」のありがたさを描いているのではないでしょうか.そして最後の腑抜けてしまった主人公からはそういった存在の欠如があればいくら社会的に成功しようともそこが弱点として働いてしまったり,真に幸せとなるようなことはないことを示唆しているのかもしれません.
そんな弱さをも肯定してくれるものが人であれば生涯のパートナーとなるのかもしれませんし,信仰すれば救われるというような宗教が該当することもあるかもしれません.何にせよ,そういったものや人があったりいてくれたりする幸せな環境で生きていきたいものです.
― 了 ―
pyocopel
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?