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不便さを楽しむ

最近、息子と話していて、ゲームの世界も捨てたものでもないなぁ🤔と、思う出来事がありました。

息子のゲーム歴は、小学校3年生のお誕生日にGetした「Nintendo 3DS」から始まり。

その後、PSP、PS4、PS5、Nintendo Switch、Nintendo Wii U、と、ほぼメジャーなゲーム機を制覇し、現在、辿り着いた先はゲーミングPC、という、なかなかの筋金入り。

ちなみに私が購入したのはPS4まで。
あとは自分のゲーム機やソフトをメルカリで売り捌いたり、アルバイトをしたりして、自力で購入しています。

先日も、ゲーミングPCのSSDをバージョンアップさせるために、あーでもないこーでもないと奮闘したり、熱くなる本体に水冷式の冷却装置を取り付けたりと、半ば自分で改造めいたことも始めるようになりました。

さて、そんな彼が、最近はまっているゲームがあるらしく、部屋からはオンラインの仲間と、楽しそうにやりとりしているボイスチャットの音声がよく聞こえてきます。

そのゲームはどうやら、アメリカの大都市に近い、仮想都市を舞台とした、非常にリアルなシミュレーションゲームの模様。
職業を選択し、市民の一員としていろいろな人とコミュニケーションをとりながら遊ぶゲームのようで、今流行りのメタバースの世界観にも近いのかもしれません。

あらゆるゲームをやりつくした彼が辿り着いた、今回のゲーム。
彼が先日、このゲームの面白さを語ってくれたのですが、それがまた非常に興味をそそる内容でした。

「俺、気がついたんだけどさぁ、ゲームって制限がある方が面白いんだよね。不便な方が楽しいの」

その心を聞いてみると、すぐに欲しいものが手に入る世界、お金があればなんでも買えてしまうゲームの世界はつまらない、と言うのです。
今回のゲームは、どうやら設定が非常に細かくできているらしく、拳銃一つ手に入れるのに、何日もかかるのだとか。

これを聞いた時に、私は思わず「ほう・・・?」と呟いた後、息子にこう言っていました。

「それって、現実世界と全く同じだねぇ」

私たちの人生は、あえて「肉体」という制限のある入れ物を選び、物理法則で動く物質世界に生きる中で、様々な体験をするために生きているのではないか、と常々感じています。

人間関係がうまくいかない、好きな仕事ができない、お金が足りない、病気になる、などなど、思い通りにいかない様々なネガティブなことをあえて体験することで、幸せや満足感、充足感のコントラストを楽しんでいるのではないか、と思っているのです。

彼が今回、ゲームで感じている「不便な方が楽しい」という感想は、まさに45年間生きてきた私が今、辿り着いている結論でもあり。

君はそれを、十代にして、しかもバーチャルの世界を通して、軽やかに体験したわけなのだね、という事実に、少なからず驚きを覚えると共に。
「やっぱり人種が違うのだなぁ」と、しみじみと感じたわけなのです。

どちらが良いとか悪いとかではなく。
感じ方、学び方は人それぞれ。

ちなみに、昔はゲーム機にこれでもか!とパスワードをかけ、ゲーム時間をこと細かに制御していた私は、いつしか全権を息子に委ねるようになり。
今でも、夜遅くまでゲームに興じる日々はあるようですが、いつのまにか日常生活とのバランスをとりながら、自分でコントロールして楽しむことができるようなっていました。

子どもにゲームを好きなだけやらせると、セーブが効かなくなり、ネトゲ廃人(もう死語?)になると心配する親御さんもいるかもしれません。
成り行きに任せてみた我が家の例で言えば、その説は当てはまりませんでした。

と、まぁ、ゲームも悪い側面だけではない、というのが現在の私の結論。
ただ、「全権を委ねる」「成り行きに任せる」ことについては、親には多大なる忍耐が強いられるのは、間違いありません😅

今日も息子の部屋からは楽しそうなボイスチャットの声。

・・・来年、大学受験をすると宣言したキミの、束の間の休息なのかもしれないが。
それでいいのか、浪人生よ!?
という心の叫びをまだまだ手放せない、人生修練中の母なのでありました😅





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