見出し画像

自分の大好きな世界を晒す場所があってもいい

ごくたまに、鮮明な夢を見ることがある。
たいていの夢は、起きてしばらくすると忘れてしまうのだが、その余韻がしばらく残り、むしろ時間と共に鮮明になっていくことが、たまにあるのだ。

これは、書け、ということだ、うん。

と、勝手にそう決めつけ、私はnoteのもう1つのアカウントに向かう。
主に恋愛関連のストーリーが多いが、私が普段は封印している大好きな世界を、思う存分書き散らかすアカウント。

小説家で言うなら、村山由佳さん、谷村志穂さんが大好きで、なんともいえない切ない恋愛模様が大好物である。

もっと遡れば、中高生時代は、コバルト文庫、ルビー文庫など、少女向けのライトノベルを扱った本を、貪る様に読んでいた。

藤本ひとみさんの、「まんが家まりなシリーズ」とか、氷室冴子さんの「なんて素敵にジャパネスク」とか、栗本薫さんの「終わりのないラブソング」とか。
(誰かついて来られる人、いるだろうか💦)

これらの小説には、やさしくてかっこいい男の子たちや、禁断の恋がギュギュギュッと詰まっていて、夢見る夢子ちゃんにはよだれが出ちゃうような完璧なストーリーだったのだ。

うーん、懐かしい。
友人たちと、どのキャラクターがいいとか、好きとか、そんなことを分かち合う時間も楽しかったなぁ。

そういえば今日、久しぶりに小説を書いてみて、改めて気づいたことがあった。
自分の小説を書いている時間は、このnoteを書いている時とは、まったく違う時間が流れている。

このnoteは、インスピレーションで感じた「種」を、思考をフルに使って広げながら書き、記事として仕上げる。
記事によって読者を想定し、相手に伝わる様に書けているか、何度も読み返す。文章の表現も手直しするし、とにかく推敲時間が長い。記事として公開しても、まだ不完全な感じがして、公開後も何度も読み直し、度々修正もする。

しかし、小説の方は、ほぼ書きっぱなし。
2-3回読み直して、表現の重複や違和感のあるところを修正したら、放置。公開後、修正することはほとんどない。

この違いはなんなのだろう、と、ふと考えてみる。

小説の方は読み手を意識することなく、頭の中のイメージをそのまま垂れ流しているから、書いた時点で出し切って完結するのかもしれない。
小説はもう、完全な妄想の世界。私の妄想に文句は言わせない、くらいの気持ちで書いているので、評価も、スキの数も気にしない。
書けば満足なのである。

一方で、こちらのnoteには多少なりとも雑念が入る。
現実世界で「ライター」として仕事をしている自分の顔となるアカウントでもあり、私の書いたものは規模は小さいが「パーソナルライター おくやま・ふみ」の書いたものとして、世の中に出回るわけなのだ。

どちらも私の文章であり、楽しんで書いているわけなので、どっちがどうこう、ということもないのだが、思考優位がこのnote 、感覚優位が小説、という感じなのかもしれない。

私の小説を読んでみたい、という奇特な方がいらっしゃれば、このnoteのどこかにリンクを貼ってあるので、探してみてください☺️(なんとも、がさつな案内!)


いつも読んでくださりありがとうございますm(_ _)m あなたからのサポートが、日々の励みになっています。 もし私にも何かサポートできることがあれば、いつでもメッセージをください♪