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すり替え名人

白状しよう。

トラブルが起きたり、失敗を経験する度に、私は心の中で、いつもこう思っていた。

「私は、悪くない。」

英語にするならば、

" It’s not my responsibility. "

である。

大失恋で傷心していた時も。
離婚した時も。
就職の内定を取り消された時も。
会社で失敗して上司に呼び出された時も。
父の車を縁石にこすって、傷物にした時も。
息子が不登校になった時も。

まずは、「自分は間違っているはずがない。相手に何かミスがあったのではないか」という物的証拠を、徹底的に掻き集める。

証拠が見つかった場合は、当然、こうなる。

「ほらね、やっぱり私は悪くないよ!あの人のミスだよね!」

そして証拠が全く見つからない場合。
巧妙なすり替えを行うのだ。

「あたし、めっちゃがんばったもんね。あんなことも、こんなことも、身を削ってがんばったんだもん!結果としてうまくいかなかったけれど、あたしは、がんばったんだもん!!だからあたしは悪くないんだもん!😭」

・・・えーっと、あなた、なんちゃいでちゅか?😅

この「がんばったからあたしは悪くないもんね!」オーラ全開で、四十数年間、生きてきたワタクシ。

やー。
かなりイタイですね。

言うなればこれは、自責から他責への責任転嫁。
現実の問題点を直視せず、「がんばった」ことですり替えて、全ての免罪符にしようとするあたり、戦略的ですらあるかもしれない。
自分を貶めずに、周りの同情も引くという、巧妙なスタイル。
そしてこの「すり替え」は、自分自身へ下記のように作用する。

あぁー失敗したー😭

(他責の証拠不十分)
今回の責任は、どう考えてもわたしのせいかも・・・

でも、めっちゃがんばったからプロセスは認めてあげる

失敗は成功の母だよね。次からは気をつけよう。

(・・・で、何が原因だったわけ?😅)

結局、問題を引き起こした原因とは向き合わないまま、時間が経過し、また次の失敗へ。

さすがに、全く同じ失敗はないかもしれないが、「真の原因と向き合わない」という癖は引き継いでいくため、毎度毎度、同じようなことが目の前で繰り広げられる。

なんだか書いていて、落ち込んできました(苦笑)

ま、まぁ、自分をちょっと弁護してあげるならば、これは、自分を守る自衛手段でもあったわけで。
なぜなら、人生、そうそう、どぶーん、と落ち込んでばかりもいられないからだ。

必ず朝はやってきて、おてんとうさまは昇り、1日が始まる。
「落ち込みが激しいので、今日は1日、会社休みまーす😢」とか、世間一般の常識では許されない(と思っていた)わけで。

新しい1日をスムーズに送るためには、強制的にリセットをかけて、日々の生活に向き合うしかない。

かくして私は「すり替え」の達人になった。
多分、黒帯級、もしくは師範代クラスのすり替え名人かもしれない。

自分自身すら騙してしまうこのすり替え、実は、この瞬間も起きている。
で、今回はついにこのブログを書くことで、強制的に向き合うことに決めたわけなのです。

さて。
向き合った結果、どのような結末が待っているのか。

「人生のシナリオは全て自分で決めてきている」

小林正観さんの言葉を噛み締めながら、私の書いてきたシナリオ通りに、今日も生きるのみ、な、の、で、す。

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