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自分の人生を変えた選択

未来インタビューの1回目のインタビュー、過去から現在までのその方のストーリーをお聞きする中で、こんな質問をすることがあります。

「今のあなたを形作った出来事、自分の人生にとって欠かせない出来事、分岐点となった出来事は、何ですか?いくつでもお答えください」

この質問を、改めて自分に問うてみると。
「離婚したこと」「猫を飼ったこと」「実家から独立したこと」の3つの答えが出てきました。

(ちなみに「会社を辞めたこと」も一つの大きな分岐点ではあるのですが、その前に経験しているこの3つが根底にあっての、応用篇、という位置付けなんだな、と今回書いていて気付かされました☺️)

さて、この3つの出来事には、共通する一つのテーマがあります。
それは、「○○してはいけない」「○○できるはずない」という思い込みからの解放。
今日はその中の一つ、「離婚を決意したこと」について書いてみようと思います。

病める時も、健やかなる時も

離婚。
これはまぁ、経験した事がある人にとっては誰でも、人生の中での一大イベントにあたるかもしれません。
私の場合も、多分に漏れず、迷いに迷った末の大きな決断でした。
そして、間違いなく、私の人生を変える転機の一つだったと思っています。

そもそも、我が家は、祖父の代から続くクリスチャン家系。
私自身は、決して敬虔な信徒とは言えませんが、私の中には、幼い頃から空気のように「キリスト教」の様々な考えが、浸透していました。
当然、私は元夫と、神様の前で誓ったわけです。
「病める時も、健やかなる時も・・・」という、アレを。

訪れた決定打

元夫との不協和音が大きくなってきた当時、表面的なきっかけを作ったのは、彼のほうでした。お金のこと、女性のこと。

おそらく彼も、仕事のことや、うまくいかない夫婦関係のことで、色々悩んでいた時期でもあったのかもしれません。
まさに私たちは「健やかなる時」ではない状況に遭遇していました。

そして決定的な事件が発生。
それは、当時の私にとっては、どうしても許し難い出来事でした。

もうだめ、もう無理😭

何度も同じことを繰り返す彼に、彼への信頼は0を振り切って、奈落の底まで落ち切っていました。

これは、一生、続くに違いない。
だとすれば、こんな人生はもう耐えられない!

溢れ出した私の想いは止めることができず、そのまま職場の社長に手紙を書いて、東京に戻る旨を伝えました。(私が嫁いだ先は、福島県の会津若松、という城下町でした)

今はもう亡くなってしまったその社長さんは、私が通っていた教会の信徒さんでもあり、いつも私のことを気にかけ、助けてくれた、大切な方でした。

私の状況を少なからず察知していた彼は、もし、福島に残りたいのだったら、シングルマザーでも生活できるように全力でサポートする、というありがたい申し出もしてくれるような、そんな素晴らしい方でした。

しかし、私にとって、その選択肢は辛すぎるものであり、一刻も早く福島を離れたい、という思いが強く。
私の状況を伝えたところ、全面的にサポート体制を整えてくれた父と母には、今振り返っても本当に感謝しかありません。
そして、迎えにきてくれた父と一緒に、自分の軽自動車に必要最低限の荷物を乗せて、息子を連れて東京へと戻りました。

決めるのは、神様じゃない

と、そんな経緯で別居を開始し、その6ヶ月後、元夫とは正式に離婚、という手続きをとることになるのですが。
その間、私は自分の中でひっかかっていたある思いを、教会の司祭さまに相談したことがありました。

「病める時も、健やかなる時も・・・」と神様の前で誓ったあの言葉を、今、自分は、破ろうとしている。これは、悪いことなのでしょうか?と。

その時の司祭さまの答えは、とても人間的で、優しいお答えでした。
私の決断しようとしていることについて、良いとか、悪いとか、一言もジャッジはせずに、彼はこんな話をしてくれました。

自分は聖職に就いているけれども、もしも僕の大切な人が、自分が司祭であることで傷つくことがあるのであれば、僕は司祭をやめるでしょう。

この言葉を聞いて、私は心が軽くなったのを覚えています。
人が守るべきルールはあるのかもしれない。
でも最終的に、何が大事かを決めるのは、自分自身でしかない。
人生の中で何を選び取り、何を指針として生きていくのかを決めるのは、他人でも、親でも、神様ですらもなく、私自身なのだ、と。

それから、就職先を探し始め、13年間お世話になった前職の会社とのご縁をいただき、まずは派遣社員から働くことが決まったのです。

結婚をしたら、一生添い遂げるべきではないのか。
何があっても、二人で乗り越え、結婚式で交わした誓いの言葉通り、病めるときも、健やかなる時も、向き合い続けなければ、いけないのではないか。

その思いから解放され、選んだ「離婚」という選択。
息子には、父親がそばにいない、という寂しい思いをさせてしまったことは申し訳なく思っていますが、私自身、この選択には、1mmの後悔もありません。

ある意味、元夫は、息子を授けてくれる役割を全うするために、私の元へ来てくれた人なのではないか、とすら思っています。

都合のいい解釈かもしれませんが、これもまた、私が自分で決めてきた一つのシナリオなのでしょう。

他の2つの分岐点については、別の記事で書きたいと思います。

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