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利他の精神と欲望と成長

あけおめです、ぷゆです。




成長意欲というのはどこから来るのか。

私はそれは個人の欲望から来ると考えている。

利他の精神ですら、根本は個人の欲望なのではないのかと思ってしまう。

本当の意味での利他というのは存在し得るのだろうか。

仕事をうまくいかすには、利他の精神が大事だという。

綺麗事じゃなく「誰かのために」と思うことはできるのだろうか。

三方よしの考え方はわかる。

けれど利他の精神とは、利己を捨てることにあると感じている。

それだと最悪三方よしではなく、私以外のニ方よしでも良いということになる。

二方よしになることで、利益はないけど嬉しい!みたいな瞬間はある。

でもそれですら、最終的な自分の喜びのためにやっている節がある。

どこをどう切り取っても、私の人生というのは私のためにあるように感じる。

私の人生を他人のために使うという発想が、いまいちピンとこないのである。

成長と利他の精神が両立することはあり得るのだろうか。

自分の欲望を限りなく抑えた状態で、成長意欲というのは沸くのだろうか。


利他の精神を持っているような行動を日頃から行う、くらいであればできるかもしれない。

そうすることによって最終的に利益が返ってくるという考え方だ。

最後に勝つのは私。みたいな。

これは利他の精神と呼べるのかは定かではないけれど、誰かのためにという心持ちで生きていきたい気持ちはある。

その方がうまくいくこともなんとなくわかる。

自己中は嫌われますからね。


大切な人を幸せにしたいし、幸せにできる自分でいたい。

そりゃ世の中だって良くなるに越したことはないし。

そんな簡単な気持ちでいいのかな。

利他の精神と成長というのは。

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