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自我では対処しきれない悲しみ

ちょっと悲しいことがあると、


芋づる式に同じフォルダに入ってるのが出てくる

他者の自分に対する反応を切り取って自ら下した自己イメージ

遠い昔のあれやこれや、それに関連づけられて一気に思い出してしまう

ぜんぜん仲良くなかったクラスメイトに街中で突然会った時みたい

まだ残ってたのと面食らう


もういいよ、これ以上


人一人、一生分の悲しみの量超えてるよ、と思う。


もう終わっていることなのに、人生において、悲しみが悲しみを呼ぶ状態になっていて


身動きが取れずにいる。どう処理したらいいの?と思う。



瞑想の体制になって、見つめる


ふと、それは自我の仕事ではない。と思う。


悲しい。それで自我の仕事は全うしている。


処理、それは自我の仕事ではない。

自我がしたがることだけども。


目に映る光景をそこにそのままにしておく


手元に持って来て名前を付けて保存しない


感情が起きたらそのまま感じる


そこですでに終わっている。


ぜんたいのなかで






からだがあったかくなって、瞑想終了。



写真は瞑想の時に座るスツール。

骨盤がしっかり支えられて腰が立ってとてもよい


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