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執着を手放すということ

手放すということを、ジャッジの末、頭で結論づけてしようとしてもシーソーが反転して手放せないドラマを延々と繰り返す。

手放すこと自体を手放すもしかり

ためしに手放すことを視覚化してみると、自分が手に何かを握りしめていてその手の力を抜くというイメージ


いま の視点でそれを見ると、握りしめてると思ってるなにかは 本当はもうすでにないのでは?と気づく。






こういう客観視が上手にできないんだけど、練習しよう。


手放すか手放さないかの二極から視点が移動することで楽になった。


手放せないうちはなにかわすれものが残ってて

それが回収できたらきっと自然に手離れるだろうから

無理に手放そうとする必要はないのだなと、今は思います。


手放せない心とただ一緒にいる

どうこうしようとせずただ観る


そうなれるまでの過程が

振り子の揺れがおさまっていくようで

穏やかで心地よい体感でした。

愛の感触



最後は体感で選ぶ。

執着を手放さないでいると、ぐーっと下に引き下がるような頭が詰まるような体感がある。

もうないものにしがみついて縮こまった身体をゆるめる。イコール蛇口を開けること。留めていたエネルギーが流れる。

毎瞬毎瞬しがみついてさえいなければ、常に循環する大きな流れに勝手に押し流されていく。それが自然なことだとわかる。

自分を大切にできるかどうか。



Let it be.




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