見出し画像

人の犠牲にならず、好きに生きる

どう生きるか、自分で決めること。

勇気をだして責任を負うべきです。

誰が正しいとか、すごい、とか、色々みんな言いますが、私はすぐには信じられないんです。

人の本質なんて、傍目に簡単に分かるようなことではないと思うんです。

アイツ嫌いだ、とか思ったとしても

その人が客観的悪い人かどうかは、分かりません。

死ぬほど嫌い、はあると思いますが。

人間の本質は分かりませんが、好きか嫌いかは分かるし、一緒にいるかいないかは自分で好きに決めたらいいと思います

気遣いすぎて言いたくもないことを言うような関係なら

すぐに距離をとっていいし、

誰に何を言われようと、気にしすぎないように訓練したほうがいいと思います。

みんなの人気者だから側にいよう、という考えも

あんまり好きじゃないです。

誰かの気を引いてばかりしていたら、きっと消耗してしまうので

ただ、人目を気にしない、なんて、簡単なことじゃないですよね

もう、自分の弱さには腹が立ちます。

なんと思われてもいいから。ヘコヘコする必要なんてないんですよ。それで自分が行き詰まるべきではないんですよ。茹でガエルになる前に、死力を尽くして逃げるべきです。

皆んなが引くようなことを敢えて人に晒す人なんて、ほとんどいないですよね

又吉直樹さんが、自身のYouTubeチャンネル「渦」で、インスタントフィクションという企画をしていて、

「小学校の文集に、女の子のすねを給食のときに小突くのが、1番の楽しみだった」というフィクションの文章を解説していて、 

文集なんて、変人と思われないように

皆んな、だいたい当たり障りないことしか書かない領域じゃないですか

「体育大会が1番の思い出になりました」とか

「みんなのことか大好きです」とか

そこを、「小学生女子のすねが好きだ」ですよ。

ドン引きしますよ、自分の子どもがそんなこと書いたら、かなり心配するでしょうね。

生徒が書いたら、先生は注意するし、許可しないでしょうね。

でも、本当の本当は、みんな、内面は多かれ少なかれそんなもんだし、

みんな大好き、なんて言葉よりも何万倍も温度が感じられますし、

そういう自分を晒していく、予定調和を切り裂く姿勢に「やられた」と感じたのか、

「もしも、現実に文集にそんなことを書いた人がいたら、自分はすごく嫉妬していただろう」と語っていらっしゃって、

その感想がものすごく面白かったです。

ありのままの人について興味をもって見つめているその感性が好きです。


どんなに不確かなものでも、誰かを信じたり、好きになったりはしないと、生きていてつまらないだろうと思います。