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忘れてはいけない日航123便


1985年8月12日。18時56分。
日航ジャンボ機123便(ボーイング747SR100型JA8119)
群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。
乗客524名。生存者4名。

「上を向いて歩こう」で馴染み深い歌手の坂本九さんが乗っていたことでも有名ですが、世界最大規模の飛行機墜落事故となりました。年月が経ち、風化していくこの事故を少しでも多くの人に知ってほしいと思う人達の心に先導されるように、今これを書いています。

私は直接、この話に関わっている訳ではありません。
友人との何気ない話から、興味が湧き、まずは当時の事について触れていた動画をみました。
私の見た動画は操縦士の死の直前の音声で終わっていました。気が付けば私は声がしゃくり上がるほど泣いてました。遺族、乗客、客室乗務員、操縦士、この方達の無念を思うと辛くて悲しくて、言葉にならない怒りが込み上げてきました。

消えたボーイング747と噂されたり、不可解な点が多い事からこの事についてお調べした方もいるかもしれません。私もその一人でした。
これはただの墜落事故ではないと思ってます。この世の中の闇です。決して世の常識になり得ない現実です。

当時の事故原因として、後部圧力隔壁破損により修理部分に亀裂、油圧装置破損、隔壁に穴が空いたことで急減圧が生じ、垂直尾翼が破損、コントロール不能となり墜落。つまり『整備不良』と片付けられました。

ここから私が知り得る知識の中で、最も不可解な点をお話していきたいと思います。

▪️油圧装置が破損すると機内に濃い霧が発生するが、薄い霧がかかったくらいで機内に濃い霧はなかった。

▪️急減圧の場合、操縦士はマスクを着用するよう訓練を受けているが、マスクはつけていなかった。

▪️圧力隔壁が破損した場合、暴風が機体内を吹き抜けるはずだが暴風は全くなかった。

▪️日航ジャンボ機123便は群馬県多野郡上野村の山林に墜落し、近隣からの通報が多数があったにも関わらず、10時間以上墜落現場を発見できなかった。

▪️当時の防衛庁の発表が、御座山北斜面、御座山南斜面、扇平山の北など、何度も墜落場所が変更された。

▪️事故の当日の目撃証言でジャンボ機を追うように2機のファントム機が飛んでいたと多数の目撃証言があった。ファントム機はジャンボ機が墜落する数分前にも目撃されている。もしそれが本当ならファントム機に乗っていた者は何故墜落した事を黙っていたのか。

▪️事故直後、第一陣が現場に向かったからと、救助に行こうとした他の自衛隊を強引に足止めをした。

▪️目撃者は墜落場所を公共機関やメディアに連絡したにも関わらず、メディアは場所が特定出来ないとし、墜落地点が長野県であるなど、嘘の報道を流し続けた。

▪️暗闇による特殊訓練を受けた部隊が準備万全で控えていたのに、捜索の開始命令が出されたのが次の日だった。

▪️重要な証拠材料となる圧力隔壁部分は、検証する前に大型カッターで切り刻まれた。

▪️事故現場はガソリンとタールの混ざったような異臭が漂っていたが、飛行機の燃料はケシロンという灯油の一種で、ガソリンやタールとは全く異なる物質だった。

▪️燃料タンクやエンジンなどの火災になる原因物体がない場所に激しい火災の後があり、炭化した遺体が密集していた場所には、 燃料タンクがあったにも関わらず、燃料タンク事態に火災は起きていなかった。

▪️押収されたボイスレコーダーは所々カットされ、編集されていた。

死体は炭化するほど焦げていたが、湿った草木の生い茂る山中で生身の人間がポロポロと崩れるくらい炭化するほど炎上するというのは極めて考えにくい。

専門家の話によると、人が炭化するほど長時間燃える物質とは、ガソリンとタールを化学物質でゲル化した燃料らしいですが、これは軍事用の武器で、第二次世界大戦で米軍が使用していたもので一般的には手に入らないそうです。

飛行機の機体後方部の底に赤、又はオレンジ色の物体が張り付いていたのを見たという人がいたり、目撃者から寄せられた情報の中にあった写真にはオレンジ色の物体が写り込んでおり、墜落現場からもオレンジ色の残骸が存在したこと、操縦士のボイスレコーダーの声が「オレンジエア」に聞こえるなどしたことから、これは自動追撃機ファイア.ビーではないかと囁かれています。これはアメリカで開発された無人機ミサイルで、そのミサイルの性能テスト発射や誤射によって、墜落したのではないかと噂されていますが、それを結論付ける証拠はありません。たとえあったとしても表沙汰になる事はきっとないでしょう。

救助に向かった自衛隊が何者かに射殺されたと報道したニュースは、すぐに情報の誤りだったと訂正しました。私はここにも違和感を感じます。そしてこの動画は時を経て動画サイトにあげられましたが削除されています。

この事件について製作を行った某テレビ番組はお蔵入りとなったり、5年前に伊豆で見つかった機体の一部を見つけた人が何者かに脅され、見たものをなかった事にしようとしたり、その後複数台のトラックが来て機体の一部はなくなっていたり。

考えれば考えるほど、誰かが何らかの目的で意図的に飛行機を墜落させ、 証拠隠滅の為の時間を稼ぎ、ボーイング社、日航側に尻拭いをさせたと考える方がつじつまが合うのでは…と思ってしまいます。

今も尚、相模湾の海底には引き上げられる事なく、機体の残骸が眠っています。

迫り来る死の恐怖の中で遺書を書く乗客、乗客の安全を一番に考え、最善尽くした客室乗務員や操縦士、
炭になった遺体の前で確認を迫られる遺族の気持ちは計り知れるものではありません。

当時の米国ボーイング社、日航、運輸省関係者全員が不起訴処分となり、それを不服とした遺族は検察審査会に申し出たが、それも認められず遺族の悲しみや怒りはいく宛を失い、時間だけが過ぎ去り少しずつ人の記憶から失われていくのでしょう。

520名もの命を奪ったこの事故は数々の謎を残したまま、納得のいく説明にはまだ至っていません。
当時の総理大臣、中曽根康之はこの事実を墓場まで持っていきました。

本当に裁かれるべきはなんなのか…
私はそう考えると世の中の在り方に絶望を覚えてなりません。

事故原因を追求すると命を狙われるという説もあります。戦争が起こるとも噂されています。

私はこの真相について全てを明らかにしたい訳ではありません。というのか全てを知ることは私には叶いません。

誰かの欲のために犠牲になっていい命なんてありません。

失っていい命なんて、この世に1つもないんです。

この世の中がもっと優しくなれるようにと願うばかりです。

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