今日はひとりで映画@TAR
こんにちは!
興奮冷めやらぬうちにコメントを残したいと思いこの記事を書いています。
巷でじわじわと話題になっている?映画『TAR』を見てきました。
(色々とネタバレしてしまっていると思うので読んでくださる方はご注意ください!)
え、、何やこれ。
というのが一言目の印象です(笑)もちろんポジティブな”何やこれ”なのですが、これまで見たどの映画とも違う、形容できない、どう理解したら良いのか分からないけどとにかく面白い、という印象だったんですよね。
栄光と挫折、とか天才の転落、とかそんな簡単なプロットでないことは分かる、けどどう表現してよいのか分からない。。幕が上がったあとに迷子になって映画館に置いていかれる、けどそれが心地よい、という本当にすごい映画でした
分からないながらも、私の第一印象は、この時代における権威というものをどう捉えるか、という問いを投げかけられたのか?ということでした。
帰ってきてから色々考察やレビューを読み漁って、あぁなるほど。。と本作品を理解するのにとっても参考になったリンクをここに残しておきます。
まずは町山智浩さんの解説。まずは作品の中で描かれているアーティストや作品の背景など基礎的なことが理解できます。
次に宇野維正さんの解説。恥ずかしながら「キャンセル・カルチャー」という言葉を初めて知りました。そしてTARがARTのアナグラムということ。そ、そうかー!!いや、なんで気づかんかったんや!!あと印象的だったのは作品の中のTARが乗っている車がポルシェのタイカンだということ。この辺りの一つ一つの作りこみの丁寧さに圧倒されていたのだな、とふむふむと唸らされました。しばらくこの映画のことしか考えられないという気持ち、勝手に親近感がわきます(笑)
そして1番しっくり来たのが、主演のケイト・ブランシェット自身のインタビュー。TARは頂点を極めようとしている状態だが、アーティストとしてあり続けるためには降りることが必要だと悟る、ということ。そうか、そういうことだよね。
これらを拝見して、トップを極めた人間はピラミッド的な権力に飲み込まれてそこから離れられなくなり、権威を手にする。従ってそこから離れることはめちゃくちゃ難しく、苦しい。しかし彼らがアーティストであり続けるためには、ただ頂点から降りることしかないのだ、というメッセージだと受け取りました。だからこそ降りた人間にだけ見える世界があって、彼らだからこそ次の世代に見せられる景色があって、また新しい頂点を目指すんですね。。
あくまで現時点での個人的な理解です…
最後にこれはもうマニアックな領域ですが(笑)英語のscriptが公開されており、これを読めば監督の意図がより明確にわかるのかと思います。私もまだパラパラとしか読めていないけど、いくつか気になったシーンがあるので、もう一度映画を見た後に読んでみたいと思います。そうそう、この映画何回も見たくなるんですよ!とにかく1回だと咀嚼しきれない、セリフの一つ一つまで反芻したくなる、でもいわゆる難解な映画、というのともまた違うんですよね。
そして最後はメモ的な、色々解説を読んでみたけどあまり言及されていなかった個人的に気になっているシーン、これはまた意図があったら追記したいなと思ってますが、同じところが引っ掛かった人も強いれば教えてほしいです。。!
基本グレーとかブルーのシャツを着ているTARだが、1シーンだけ赤のシャツを着ていたような気がする、確か。あれってなんか意味あるのかな。。
簡易ベッドに横たわって寝ているTARが、ミレーのオフィーリアの絵画をオマージュにしたように見れるシーンがあった。オフィーリア・コンプレックスという言葉もある通り、女性性の死みたいなものを描いているのか?
TARはいつから「降りる」ことを選んだの?ジュリアードでの講義など、上から見下ろす構図が何度も出てくる。視覚的に降りる表現ってどこかでされてたのかな?
TARが半狂乱で演奏時に突入してきた時、クヌートが譜面に何か書いてたよね?あれってどういう意味なんだろ。
なんかまだ他にも気になったことあった気がする。。というわけで何度も見てとにかく全セリフを研究したくなるような映画です!こんな映画にまた出会えるかしら、という感動をとにかく誰かに伝えたい!
そして怪物も公開された!見なきゃー!!
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