自殺未遂したときの話

「今日にしよう。」
バイトで皿洗いしているときに決意した。


「いつ死のうかな」なんて考えるのはもう、毎日のことだった。
なんにもなくたってただ毎日が苦しかった。

理由なんて書き出したら途方も無い。

全部そのせいではないが、分かりやすいことを1つ取り上げて書けば、私には自閉症(ASD)に加えて不安障害があって、まぁ色々と生きにくかったりした。

生きていたくない理由なんて他にも星の数ある。

でも何かきっかけがないと踏ん切りがつかなくて、きっとずっと死ねない。

だから次に何かトリガーになる出来事があったら、その機会を絶対に逃してはいけない。
そのときに必ず遂行したい、と考えていた。

そしてその"機会"は来た。
前日にちょうど物凄くショックな出来事があった。
電車の中で号泣するくらい。

それは半分は私の勘違いだったことが後から分かったけど、とにかくそのときは虚しさでいっぱいだった。

当日は職場でも涙をこらえながら働いていた。
そして考えた。

私が考えてた「次の機会」っていうのは、今なんじゃないか?
これを逃したら、これを乗り越えてしまったら、またズルズルと苦しみ続けなきゃいけないかもしれない。

今日だ、今日やろう!

私は決意して、「死ぬのに何やってるんだろう、早く帰りたい」と思いながら、もう意味の無い労働を上がりの時間までこなした。

お腹はすごく空いていたけど、食欲は無かった。
私は食いしん坊だから、食欲が無いことなんか今まであまり経験したことがない。
でも死ぬのに食べても意味なんて無いから、何も買わなかった。

スーパーでお酒だけを購入して早歩きで帰宅した。
もうここには来ることがないんだなぁと思いながら、一つ一つの景色を焼き付けた。

帰宅してすぐに荷物を放り投げて、買ってきたお酒をコップにも注がずにそのままガブガブと飲んだ。

首吊りで死ぬつもりだった。
1番確実そうで、ロープさえあればできる手軽な方法だったから。
でも恐怖心で中途半端になってしまうんじゃないかと考えて、恐怖を緩和するために薬で適度にパキってからにしようという計画だった。

処方された薬を袋から出して、まずは数錠ずつ、酒で飲み込んだ。

ここからは記憶が曖昧なので「気がする」が多くなる。

遺書を書くためにテーブルについた。
薬は最初は全然効いてこなかった。
こんな正気じゃ書けないなと思って、書き進めながらどんどんどんどん薬を追加した気がする。

わりと正気のうちに遺書は書き終わった。
こんなんで首を吊りきれるんだろうかと思って、またどんどん薬を酒で飲み込んだ気がする。

なんでか変な絵を書いてTwitterのリア垢にアップしていた。
最期に今までの苦しみを誰かに分かってもらいたかったんだろうか。たぶんそう。

「そろそろいけそうだ」と思って、最後に遺書を投稿した。
そんなの上げなきゃいいのに、と思う人が多いだろうし、それは本当に正論だ。

けど私は憎しみの塊だから、誰かに、あるいは社会に、私はこんなに苦しんで挙句の果てに死んだんだ、ってことを見せたかった。たぶん。

私を苦しめたものが、人が、私を忘れて幸せに生きていくのが許せなくて、SNSなんかに上げてもそれらに届くことはないんだけど、一生後悔しろって気持ちがどこかにあったと思う。

もちろん憎んでることばかりじゃない。
この苦しみは誰かのせいや何かのせいだけじゃないのだって解ってる。
ほとんどが自分が上手く出来なかったせいだって。

好きな人たちだってたくさんいる。
今これを読んでくれてる人たちとか。

でもその人たちだって私が死んでも幸せに生きていくんだって思ったら悔しい。

私が苦しんでもきっと「メンヘラ」みたいな雑で軽率な言葉で片付けられて、すぐに忘れられるんだって思ったら悔しい。

悔しくて心に傷をつけてやりたくなる。
死後ちょっとでも長い間私を忘れないように、悩んで苦しんでほしくなる。

本当に最低な話だ。私は最低だ。

そんな思いがあったけど、通報されて止められでもしたら困るので、遺書を上げた後すぐに首吊りに挑んだ。

とんでもなく首が痛くて、頭がキューっとなった。
痛みで頭が真っ白になった。
何度も何度も体重をかけて、でも縄が脆かったのか、終いにはブチン!と千切れてしまった。

そこからどうしたのか記憶が無い。
もっと薬を飲んだのか、縄をどうにか結ぼうとしたのか、他のもので吊ろうとしたのか。
分からない。

友達が電話をくれたらしい。
その記憶はぼんやりあるようなないような、でも何を話したかは全く記憶に無い。

私は恐怖を克服するために薬を飲んだだけなのに、調子に乗って飲みすぎて、意思も記憶も飛ばしたようだ。

結局友達が救急車を呼んでくれて、私は運ばれたらしい。
どこかで横たわりながら「どうして首吊ろうなんて思ったの」と聞かれた記憶だけ何故かある。
なんて答えたのかも覚えてない。
救急車の中だったのか病院だったのか、それも分からない。

記憶があるのは警察署で目覚めてから。
ソファに寝ていたらしい。

「これからお母さんが迎えに来るよ」と言われた。
めちゃくちゃ怯えながら母を待った。

警察の人がずっと何か話しかけていてくれたけど、それも覚えていない。
とにかくみんな優しかったことは覚えてる。

家に帰ってきてもあまり何も思い出せなかった。
ただ千切れたロープと、薬と酒の残骸と、遺書が散らかしてあった。

もっと頑丈な縄を用意していれば。
薬なんて飲まなければ。
電話に出なければ、悔しいことも全て諦めて遺書なんて書かなければ、こんな中途半端なことしなければ………

もっと上手くやれば死ねたはず。
もっと本気でやれば死ねたはず。

心配かけて怒られて懲りたはずが、次の日から考えるのはそんなことばっかりだった。

でももうしばらくやらないと思う。
次やったら実家に強制送還される。
それは絶対に嫌だから、苦しんで生き続けるか、100%成功させるかの2択しかなくなってしまった。

死ぬのってこんなに痛くて難しい。
成功した人たちは本当にすごい。
あの痛さを乗り越えるなんて、きっともっと追い詰められなきゃ出来ないんだろう。

しばらくは苦しんで生き続けるつもりでいる。
少なくともこれを書いている今日は。
明日は分からない。
1日1日の自分が別人すぎて分からない。
それが怖い。

今日の私は、みんなと話したいし、プラネタリウムにも行きたいし、スカイツリーにも登りたいと思っている。

明日の私も今日の私と同じでありますように。

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