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ぷるぷるパンク - 第13話❶

●2036/ 06/ 20/ 21:44/ 管理区域内・平泉寺邸

「小舟・・・。」後に続く言葉を失い、ぼくはただ、小舟を見つめた。

 がらがらと内側から曇りガラスの引き戸が開くと、そこには小舟が立っていた。当たり前のようにそこにいて、当たり前のように微笑んでいる。
 軽やかな夜の虫に時々混じるカエルの声。そしてどこからかうっすらと聞こえる小川のせせらぎ。蚊取り線香の匂いが強くする中で、時折ちかちかと点滅する青白い蛍光灯に照らされて、ばたばたと階段を降りて現れたのは小学生くらいの少年だった。
 彼は目をこすりながら独特のイントネーションで小舟の名前を呼ぶと、玄関の外に立つぼくらに気がついて急に姿勢を正した。

「クズリュウ。」ぐったりとしたサウスの頭越しにノースが戸惑いの視線をぼくに送る。
「あ、こ、小舟。小学校の同級生。」目の前にいる小舟を紹介しても、疑念の籠ったノースの視線は小舟に向かず、ぼくの目から離れない。

「中に入って。」小舟がその小さい体で、硬直するぼくとノースの間に割って入り、サウスを抱きかかえると玄関の式台に座らせた。少年がちょこまかとそれを手伝っている。
 がくりと下がったサウスの頭をノースが心配そうに撫で付ける。小舟はだらんと下がったサウスの両腕の間に、背中側から自分の両腕を入れ、サウスの胸の辺りで両手を握り「よいしょ」と言って力を込めると、サウスを引き摺りながら、ひんやりとした木の廊下を少しずつ移動した。
 ぼくとノースは狭い廊下でうまく手を出す事ができずに、一度に20センチ程度しか進まない小舟とサウスの後を、ただ付いて歩いた。
「小舟ぇ。座布団並べといたでぇ、お姉ちゃんをあっこに。」少年はその狭い廊下でぼくらの間をすり抜けてはバタバタと走り、奥にある襖の引き戸を開けた。二重になった丸い蛍光灯がちかちかと部屋を照らしていた。

 襖をくぐると、ぼくとノースでサウスを受け取り、だだっぴろい和室の奥に運び込んだ。そして少年が用意してくれていた座布団を並べた簡易ベッドに彼女を寝かせた。少年はぼくらにも座布団を用意してくれていて、「お兄ちゃんはあっこ、あっこはお姉ちゃん」と、座布団を指差しながらてきぱきとぼくらに指示を出した。少年の指示通り、ノースはサウスの近くに、ぼくは小舟の隣に座った。
 蛍光灯が発する細かい無機質な連続音が部屋に響いている。開け放たれた障子の外の暗い縁側には一人がけの小さなソファが向き合っていて、蚊取り線香を内包したの豚の置物が濃い煙を燻らしている。縁側の網戸越しに近くの川の流れがさっきよりもはっきりと聞こえた。
 部屋の中央の座卓には、プラスチックの容器に麦茶が入っていて、いくつかの飲みかけのグラスが鮮やかな和柄のソーサーに置いてあった。

 横になったサウスの頭から手を離さずに、ノースの視線はぼくから離れない。
「あ、ノース」ぼくが吃り気味にノースに小舟を紹介しかけると、小舟が遮った。
「嶺ノースさん。はじめまして。渡小舟です。」小舟の臆することのない黒目がちな眼差しがノースに向いた。
 その時、滑りの悪い縁側の網戸をがたがたと開けて、平泉寺さんが庭側からこの和室に上がってきた。
「君たちが来るって、小舟ちゃんから聞いてたんだ。さっき言わなかったっけ?」
「マホロぉ!」少年が嬉しそうに彼女を見上げた。ぼくは安堵のため息をついた。
 何事もなかったような表情で平泉寺さんを見上げる小舟、顔を赤らめてサウスに視線を戻すノース。それぞれの時間が流れた。
「九頭竜荒鹿君と嶺ノースちゃん。サウスちゃんはちょっとした幻覚(マーヤー)のショック状態だから心配しないで大丈夫。」
 平泉寺さんは座卓を囲むぼくらの後ろをゆっくりと歩いてサウスの傍らにかがみ込むと、手首や首元に触れ、サウスの瞑っている目を開いて彼女の瞳孔をチェックし、PFCスーツの首元のファスナーを胸元まで開けた。それから、少年の隣、ぼくの向かいの座布団に横座りで座った。

「アートマンは、感情をエネルギーに変えて実体化する。その時に削られた精神をどうにか戻そうとする体の働きがマーヤー状態って言う幻覚なの。」
 突然、薬缶がぴいいいとけたたましく響き渡る。お湯が沸騰したのだ。少年がすくっと立ち上がって駆け出した。
「でもね、精神が削られるって肉体も同じくらい削られるから、お腹が空くんだよ」

 少年が大きなお盆を慎重に抱えて部屋に戻ってきた。座卓にはご飯茶碗と薬缶、そして細長い皿にたくさんの湯気をたてるおにぎりが並んだ。
「お野菜も後で。なんか作ろうかな。」平泉寺さんは茶碗に一つおにぎりを入れ、薬缶のお湯をかけた。熱湯をかけられたおにぎりは、湯気を上げながらほぐれて、中の梅干しが露わになった。それを箸でほぐしながらお粥状にすると、それを少年に渡した。
「はい、すこやか、お願いね。」
 すこやかと呼ばれた少年は、お盆から木のスプーンを取って茶碗に入れ、それを力の入った両手で持つと、サウスの横で腰をかけた。
「お姉ちゃん、ちょ起きれる?」少年は反応のないサウスを見てから、恐る恐るノースを伺う。
「お姉ちゃん、ちょ起きれる?」ノースは少年には目をやらず、しかし彼のイントネーションをそのままサウスに向けて繰り返し、彼女の頬をさすった。サウスの目が少しだけ開いてすぐに閉じた。
「ちょ、さっちゃん、お粥だよ。梅干しだよ。」サウスは目を閉じたまま頷いた。どうやら気がついたようだった。
「ノースちゃん、少しサウスちゃんの口を開けて?」平泉寺の言葉にノースが指先でサウスの下唇を引き下げると口が少し開いた。
「ちょ熱いで、ちょ待ち。」少年はそう言ってスプーンで掬ったお粥を、優しくふうと吹いて湯気を冷ます。湯気が落ち着くと少年はスプーンをサウスの口元に運び、柔らかいお粥を流し込んだ。
 サウスの口が確かめるようにもごもごと動き、少し経って喉元がごくりと動いたので、お粥を飲み込めたことがわかった。
「おいし」サウスが目を閉じたまま言った。
「ありがとう、スコヤカくん」彼に向け頭をぺこりと下げたノースは、手のひらで少年の頭に軽く触れると、サウスの元を立ち上がってぼくの隣に来て座った。ノースを見上げていた少年は頬を赤らめて、サウスに向き直り、再びお粥を彼女の口元に運んだ。
「クズリュウ。」ノースの瞳や表情に浮かび上がっているのは、珍しく不安だった。双子はこれまで、何故か当たるサウスの謎の直感だけに頼って人間関係を作ってきたのだ。サウスがダウンしたこんな場合にノースはどうしていいのか分からないのだろう。ノースはぼくを見つめたままフリーズしている。

「あ、小舟は大野琴と同級生。」小舟側の世界に暮らす小舟と、ノース側の世界に生きるノース。正反対の世界の住人たちに挟まれたぼくは、正反対の二つの世界を、どうしたら取り持てるのだろう。

「ノースさん。私、昨日、荒鹿くんのお姉さんから奥越のこと聞いて。」小舟が体を乗り出してぼくを遮り、ノースを直接見つめて言った。
「ナルカ?」ノースはついに視線をぼくから移して小舟を見た。
「そうなの、鳴鹿ちゃん。私、九頭竜家とは家が隣だったから、小ちゃい頃から鳴鹿ちゃんといっつも一緒だったんだよ。」小舟も、心なしか硬い表情を崩せずにいるようだった。
「そうなの?」ノースが少し安心した目でぼくに視線を戻したから、ぼくは頷いた。

「さあ、話を聞かせてくれる?」平泉寺さんは『場』の落ち着きを感じたのだろう。
「大野、小舟の同級生の、」ぼくが話し始めると、ノースもすでに口を開いていた。
「サマージのアートマンはATMAで、」
 二人の声が交錯した。
「あら、待ってね。順番に」平泉寺さんは困ったように目を見開いて言った。

「あ。」ノースが突然PFCスーツのファスナーをみぞおち辺りまで下げ、例の四次元ポケットから小さなチップを取り出した。ぼくは咄嗟に視線を逸らしたから、反対側にいた小舟の顔が真っ赤になったのを見てしまった。

「これ、アワラから。」ノースが小指の爪くらいの小さなチップを差し出すと、平泉寺さんの顔に笑みが溢(こぼ)れた。
「アワラさん!」立ち上がって入り口の襖近くの和箪笥からヴィジョンゴーグルをとりだし、チップを差し込む。「一緒に見よっか。」

 白い漆喰の壁に四角い縦長の映像が映った。
「映ってるかな。」芦原さんがぎこちなく喋り始めた。映像の中で芦原さんがちょっと緊張しているのがわかる。彼女の声を聞いたサウスが少年に手伝ってもらいながら上体を起こした。
「アワラ」そう言うとサウスは泣き出してしまった。アワラがママだったらいいなって思ったの 出発前のサウスの台詞を思い出してしまう。
 平泉寺さんは立ち上がって一度映像を止めた。サウスが一人で立ち上がってゆっくりと歩いてノースのそばまで来ると、ノースに体重を預けるようにへたり込んだ。ノースはサウスの肩を抱いてさっきの歌を口ずさんだ。
 意識をして二人を見ないようにしていたけれど、みな黙ってその歌声を聴いていた。蛍光灯が照らす夏の夜に、お日様の匂いのする歌声が静かに響いた。

 サウスは泣きながら、座卓の上のおにぎりを手に取って、泣きながら、むしゃむしゃと食べた。
「えらいね。」平泉寺さんが座卓に両肘をついて、手のひらに顔をのせてサウスを見つめ、サウスは泣きながらおにぎりを食べた。

 結局サウスはおにぎりを三つ食べ、喉に詰まらないように茶碗に入れてもらった薬缶のだし汁を2杯飲み、麦茶を3回おかわりして、ようやく泣き止んだ。
「ありがと・・・。」
 涙を拭いながらもぞもぞと横になったサウスは、ノースの膝に頭を乗せ、隣であぐらをかいているぼくの膝の上に足を投げ出した。
 小舟の表情が一瞬引きつったような・・・、気のせいかな・・・、だといいんだけど。

 平泉寺さんが仕切り直して、映像を最初から再生すると、漆喰の壁に映る芦原さんに部屋中の目が集まった。

「映ってるかな。」芦原邸の2階の部屋だ。珍しくカーテンを空けている。白檀のお香の匂いがする。そうじゃないと分かっていても、ここで確かに香った。
「平泉寺、みんなとちゃんと会えたんだね。」少しもじもじとしている芦原さんが、なんだか新鮮だ。
「いま、三人はうちの研究室でトレーニング中。ここは、藤沢って街だよ。平泉寺も一度来てみるといいよ。あれから・・・。私はあれからしばらく中央アジアをうろついて、そうだ、チベットにも行ったよ。ZENの採掘地を観光したりね。平泉寺のこと、最初はずっと探してたんだけどね。あなたはきっと、自分のやりたいことをやってるって信じて、帰ってきたよ。日本にはもう5年くらいになるね。」
 芦原さんは窓の外に目線をやる。何を思い出しているのだろう。平泉寺さんの目にそっと涙が浮かんだ。
「この子達がうちに来た時は、ほんとにもう、何言ってるかわからなくて大変だったんだよ。そうそう。だからこれを撮っています。」
 ぴんぽーん。突然の来客に、ぼくとノースはびくっとして玄関の方向に目をやった。
「うちじゃないよ」平泉寺さんが笑った。「うち、ぴんぽんないから」
「あ、荷物かな、止めるとデータ別れちゃうから、面倒だな。あとで頑張って編集するか。ちょっと待ってて」

 芦原さんが画面から消えると、藤沢の外れのあのショップ前の通りを車が行き交う音、烏の鳴き声、救急車のサイレン、エアコンの室外機の音、信号機の短音のメロディ。そんな生活の音が混じり合って、ひどく懐かしい音に感じた。とても数日前までのこととは思えない。

「編集してないよアワラさん。もう。」平泉寺さんの少し柔らかくなった口調に、二人の会話をなんとなく想像できる。芦原さんが画面にいない間に、平泉寺さんは部屋の奥を振り返った。看病中のサウスに置いてけぼりを喰らって、一人部屋の端で体育座りをしているすこやか少年を手招きした。
「すこやか君はもう寝るかな?」少年は黙って首を横に強く振った。そんな彼をみて、サウスみたいだなと思った。あ、芦原さんが戻ってきた。

「荷物じゃなかった、いたずらかな。えーと、平泉寺。みんなに会えたんだね。で、本題か。」映像に目を戻した平泉寺さんは、食い入るようにそれを見つめている。
「平泉寺は驚くと思う。こないだの羽田空港のテロ事件は知ってるかな。実はその事件自体が大きな陽動で、あれはRTAとサマージのZEN強奪事件だった。」平泉寺さんが目を見開いた。
「そう、私の双子ちゃんは、元サマージ。」映像の芦原さんから目を離さずにゆっくりと頷く平泉寺さん。何かに合点が行ったような、そんな表情。
「サマージは、これについて、独自の動きをみせたから、RTAの作戦は失敗。だけど、それが日本のZEN保有声明に繋がった。頑張ったね、さっちゃん。」
 ぼくの膝の上にあるサウスの足に少し力が入ったから、振り返ると、双子は見つめ合って微笑んでいた。ノースが優しくサウスを撫でている。サウスがどうにか回復してきたようで安心した。

 芦原さんは、それから時系列でいろいろなことを話した。時間にして30分くらい。例えば、ぼくと大野琴の邂逅、腰越漁港の戦い、サウスの必殺技、プロトタイプのアートマン、RTAによるサマージ・スケープゴート、ネットワーク上での平泉寺探し、ZENのこと。そして最後にこの旅の目的について。

「どうだろう、平泉寺。平泉寺ならこの子達の力になれるんじゃないかな。RTAが隠すプロトタイプ、アートマンの開発初期の情報と、大野ちゃんの正体は、この三人だけじゃなく、私やあなたも救うことになるかもしれない。あなたがいつか見せてくれたあの式がヒントになると思ってる。」
 平泉寺さんは深くため息をついた後、三人を順番にゆっくりと、確かめるように見つめていく。小舟もすこやか少年もぼくらを見ている。なんだか、話題の中心にいるようで恥ずかしい。
「そうね・・・。」ため息をついて平泉寺さんはヴィジョンゴーグルを手繰り寄せた。チップを抜こうとした時、映像の芦原さんが口を開いた。

「そこに、みんないるかな。もしいなかったら後で見せてやって欲しいんだけど」芦原さんは、映像の最初の頃みたいに少し緊張して改まった。

「九頭竜君。」ぼくは突然名前を呼ばれて身が引き締まる。
「君は、強くなってきたんだから。」カメラから視線を外してため息をつく芦原さん。
「双子ちゃんが楽できるように、頑張りなさい。クズじゃないって見せてやんなさい。」ぐぬぬ。言われたくないことを。図星だから心が痛い。ノースが笑った声が聞こえた。

「ノース。」サウスを撫でる彼女の手が止まった。
「あなたがいるから私は何の心配もしてないよ。」頷くノース。
「だけど、時々は甘えること。甘えられるのが大人の女だよ。鳴鹿を見てみなさい。ふふ」
 映像の芦原さんにつられてノースも笑った。芦原さんのとこで何やってんだよ、姉ちゃん。ぼくが恥ずかしいわ。

「さっちゃん。」サウスが上体を起こす。「アワラ!」
「さっちゃんはね、全部を一人で受け止めたらだめだよ。そのためにノースも九頭竜君もいるんだから。」芦原さんの笑顔に呼応して、サウスはこぼれる微笑みをどうにも止められずに、ひどく嬉しそうだ。
「さっちゃんは、ちゃんとみんなで世界を救うこと。わかった?」サウスは体をくねくねさせて感情を表現している。

「あとみんな、大野ちゃんにもよろしくね。」ぼくらは、芦原さんが見ていないと知っていても、強く頷いた。

「それから、平泉寺。死ぬ時は一緒だと思ってたけど、こんなにずっと離れ離れになると思わなかったよ。」
 芦原さんは、照れながら涙を拭った。
「最近の若い子たちは、ほっとくとすぐ湿っぽくなっちゃうから、気をつけてね、平泉寺。またね。」
 
 芦原さんが少しだけ笑って映像は終わった。

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