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椋原健太選手というサッカー選手のファンだった私

・大晦日の衝撃

2020年12月31日大晦日を過ごす私のスマホに1件の通知が来る。サッカーチーム、ファジアーノ岡山からのlineのメッセージ。何気なく開いたその文面を見た途端、私の中で一つの時代の終わりを感じた。

2020年12月31日 椋原健太はプロサッカー選手を引退した。


今回のお話は、椋原選手のファンであった私が、彼を追いかけた9年間を語る話である。

・椋原健太選手

椋原健太はプロサッカー選手だった。1989年生まれで、2008年にFC東京でプロデビューを果たし、セレッソ大阪、サンフレッチェ広島、ファジアーノ岡山に在籍した。ポジションはDF。

・きっかけは、顔?

2011年、私は椋原選手を応援し始めた。それまでサッカーに縁がなかった私が、初めて生で観たFC東京の試合が楽しくて、FC東京を応援しようかなと思い始めた頃。
ある日FC東京の広報誌を読んでいると、選手の顔写真一覧が目に入った。かっこいい選手はだれだろう。そう思って眺めていると、椋原選手に目が留まる。なんとなくかっこいい感じがするし、この選手にしようかな。そんななんとなくの理由で、私は椋原選手を応援することにした。

・どんどん好きになっていく

2012年、私のFC東京好きは加速していく。ホームである味の素スタジアムでの試合はもちろん、その他の場所で開催されるアウェイゲームにも足繁く通った。夏からはほぼ毎週練習場にも通った。
椋原選手はこの頃毎回スタメンに名を連ねる選手ではなかった。だが、試合に出た時はいつも気迫のあるプレーを魅せてくれた。この年の浦和戦で椋原選手は得点を決めたが、同点であったために一切喜ばず、続く試合に入っていったことを覚えている。

・練習場での姿

私は練習場で椋原選手を観ることが好きだった。椋原選手は大体一番遅くまで練習している。ファンは練習後のファンサービスのため、それを待っている。椋原選手はグラウンドの練習が終了してからもクラブハウスでトレーニングをして、選手が皆いなくなってから、しばらくたってようやくファンサービスに現れる。とても真面目で熱心な選手なんだろうなと思い、更に応援をしたくなった。
椋原選手の練習後のファンサービスはとても丁寧だ。疲れているだろうに、一人一人に笑顔で丁寧に接してくれる。私はそれもまた嬉しくて、練習場に通う要因の一つになった。

・見せてくれる姿を信じて

椋原選手はいつもファンに、サッカーに対する真面目で真剣な姿勢やファンサービスでの丁寧な対応、素敵な笑顔を見せてくれた。プライベートは知らないから真実の椋原健太という人がどのような人なのかはわからない。だがそれでいい。私はサッカー選手としての椋原選手が見せてくれる姿を全力で応援していた。

・追っかけの日々

2013年、椋原選手はセレッソ大阪に移籍した。この後彼はサンフレッチェ広島、ファジアーノ岡山にも移籍し、私は彼を追いかけて各チームの練習場を訪ねて行った。そしてそこで、多くの人と出会った。この出会いは、私にとってかけがえのない大切なものである。

・たくさんの出会い

まず、セレッソ大阪。初めて練習場に行った日、Twitterを通じて知り合った現地のFC東京サポーターさんに会い、楽しいひとときを過ごした。

サンフレッチェ広島の練習場は遠かった。広島から電車で70分とタクシーで30分かけて行ったが、全く苦ではなかった。練習場のサンフレッチェ広島サポーターさん達はとても親切で、私が椋原選手と会えたことを自分のことの様に喜んでくれた。本当に優しい人達だった。
ファジアーノ岡山の練習場でも、親切なサポーターさんに会った。そのサポーターさんは私の誕生日にTwitterを通じてお祝いのコメントを下さり、とても感動した。
椋原選手を追いかけることで私はかけがえのない出会いをし、行ったことのない場所に行くことが出来た。私の人生において大切な大切な思い出である。

・2分の幸せ

各地の練習場で、私は椋原選手にファンサービスをして頂いた。サインをもらって、握手をしてもらって、応援していますと声をかける。椋原選手はいつも笑顔で対応してくれる。たった2分もない時間だけれど、この上ない幸せで、いつも生きる力をもらった。

・応援し続ける

移籍してから、試合はTVで観ていた。時々近場で試合が開催されると観に行き、間近でみられる幸せを味わった。どこに移籍しても応援したいと思っていたし、なるべく観に行きたいと思っていた。去年の冬にファジアーノ岡山と契約満了になったときも、次はどこに移籍するのか、期待して情報を待っていた。

そして2020年12月31日、引退。


・応援させてくれてありがとう

プロサッカー選手である時には、常にチームなどから情報が発信されるが、引退してしまえば、次に進む道によってはどこでなにをしているか一切わからない。それは仕方のないことである。そしてそれでいい。

ただ、椋原選手に感謝をしたい。椋原選手を応援することによってかけがえのない経験や出会いを得ることが出来た。

もう知ることが出来なくても、私は椋原選手を応援している。そしてこんな素敵なサッカー選手がいたことを、永く覚えておきたい。

9年間の夢のような日々をありがとう。

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