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「お肉なしでお願いします」が言いやすい社会になって欲しい

昨日、インスタで出会った素敵な同世代と初めてビデオ通話してみた。
彼女は自身のことを "trash-activist" と呼び、昨年から自身が住む町で1人でごみ拾いをしている。
こんな素敵な行動力のある人にフォローしてもらっただけでも恐縮なのに、あちらから、
「お話ししてみたいです!」と言ってもらえただけで嬉しすぎた。

実際話してみると、本当に初対面なのか!? と思うぐらい安心感があって、最近の情緒不安定が嘘のようだった。

やはり時には誰かに自分の意見を、声を出して語ることは大事だ。と、彼女とお互いの多方面に渡る意見を語らいながら感じた。

とくに【多様性】の話。

diversity、要は多様性って聞くと、近年やっと理解が深まってきた性的マイノリティーの話や、昨年のBLM運動で加速した人種の多様性を思い浮かべる人は多いと思う。

ただ、食の選択の多様性はどうだろう?

アメリカ留学時代、ベジタリアンなどの菜食主義者を含め、何を食べるかは個々の選択の自由なんだと感じてた。
ただ、なぜその選択をするのかはその当時は疑問には思わなかったけど、そういう選択をした人も、食事が自由にできる雰囲気がいいなーと思っていた。

例えば飲食店に食事に行くと、メニューには『肉料理』『魚料理』に続いて『野菜料理』のページがちゃんとある。
ベジタリアだからって、頼めるチョイスがサラダだけだなんて無いようにしてある。
元々動物性を含む料理でも、「これに入ってるお肉抜きでお願い出来ますか?」とお願いすれば対応してくれるお店が普通にある。

でも日本国内だとどうだろー?

アレルギーを含む健康面で特定のものを避けなくてはいけない人も、ベジタリアンなどの自身の選択で食べない人も含め、食せるものの選択が狭まるだけでなく、お店なども順応に対応してもらえないことが多く感じる。

以前アルバイトで、アメリカからの大学生と一緒に仕事をしてた際に、必ずと言っていいほど何かしらの食事制限がある子たちがいた。
グルテンフリー、ベジタリアン、宗教上の豚肉NGなどなど…
特定のお肉を抜くことはそこまで苦労しないが、グルテンフリーや完全菜食は対応してる既製品があまりにも少なかったり、せっかく日本に来て日本の食文化を体験したいのに、ことごとく動物性のもの(お寿司・ラーメン・焼き肉などなど)が多く、それを実現してあげれないことも多かった。

自身がフレキシタリンである理由もここが結構大きかったりする。

家で食べるものはある程度買うものを選んで、自分の心が喜ぶものを食べることができる。
ただ外食の場合は、いくら近年ヴィーガンレストランが増えてきたと言えそれは都市部の話であり、郊外や田舎の飲食店ではまだまだ動物性は避けられない。
「お肉なしでお願いします」を言うのも、アレルギーだと言ったほうが店員さんはスッと受け入れてくれる場合がほとんどなので、自分のチョイスで避けていることを言いにくい。

菜食専門店でなくても、食事の選択ができる世の中に、どうやったらなっていくのかなー。(ふわふわ)

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