高槻ラズベリー
忘れないうちに残しておきます。
2019年3月31日、僕らは地元のライブハウス、高槻ラズベリーのラストイベント"高槻音家族"に出演しました。
お馴染みの仲間たちと最後にと集まってくれたお客さんで作れた本当に愛が詰まったイベントだった。
音家族とはよく言ったもので、僕らは普段からよく対バンするわけでも無く、それぞれのフィールドで音楽を追いかけて、毎年年末になると集まる家族のような、そんなイベントが高槻音家族。
そこに集まる人達もそれぞれのバンドを見に来てくれるお客さんから、高校まで一緒にバンドをやってた友達、先輩、後輩もいたりで、なんだかひっくるめて兄弟や親戚に近い、そんな感じ。
年末の恒例行事兼、演者の1年間の総決算のようなイベントだった。
でも最終営業日に行われた高槻音家族で僕は本当の意味を理解した。
当たり前のようにあった場所が無くなってしまうという事実を目の前にした時に、すごく大きな心の拠り所だったのだと気付いた。
僕らはラズベリーでラックライフに出会って、高校生で始めたバンドをずっと続けていくことを決めた。
僕らの下の世代のバンドも同じように音楽、バンドという可能性をここで感じ、信じて音楽を今も追いかけている。
そんな先輩後輩を超えた特別な関係を作ってくれたのはラズベリーがあったから。
そしてこの奇跡みたいなスパイラルを作ってくれたのはラズベリーに集まった人だという事。
出番までずっとみんなのライブを見ていて、本当にここで育った音楽が好きだと思った。
何かあっても地元は高槻のラズベリーで、そこに先輩後輩がいて、スタッフや帰る場所があって、という安心感に知らず知らず寄り掛かっていたし、助けられていたんだなぁと思った。
あいうのライブが自分の中で留まっていたリミッターの様なものを外してくれた。
ある程度年をとった自分の価値観がガタガタと崩れ堕ちていった、澄ました顔でライブなど見ていられず気付けばもみくちゃの人の中拳を上げていた。ラズベリーに出会った高校時代の様に。
本当に何度も言うけれど、僕らはラズベリーが無かったら今の自分は存在しない。それは多分ラズベリーに関わった人たちは、きっと同じなんじゃないかと思う。
今は遠く離れてしまった人たちも何かしらのキッカケを与えてくれるパワーのある場所。
これから僕は本当の意味で胸を張って、高槻ラズベリーで育ったバンドだと胸に刻みながら生きていこうと思います。
なんだか前より強くなれそうな気がするんです。
店長は3年後、またラズベリーを作ってくれると言ってくれた。その時までもっと強く、自信を持って音楽を続けていきます。
ライブハウスは場所じゃなくて人だって言ってたから、次のラズベリーもまた特別な場所になるんでしょう。僕もそう思います。
ありがとうラズベリー。また会う日まで。
p.s.
5/11ラックライフのイベント、来て下さいね。
これを経たGOOD LUCKはどエライ僕らが待ってると思いますので、待ってます。
井田
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