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わかる人だけわかればいい

最近noteを書く気力もなく日々を過ごしていた
きっと書いている内に収拾がつかなくなりまとめるという作業が億劫に感じるのが原因の一つ
何かを大衆に晒す時、想定される反論を予め潰す癖があるから長くなるのだ

では本題

わかる人だけがわかればいいは飲み込んだ
それだけは喉が拒んだ

MOROHA - 三文銭

"わかる人だけわかればいい"
かれこれずっとこのテーマについて考えている
前述した曲の一節を聴いた時、疑問に思った
様々な要因があると思う
売れる、売れないの話やジャンルの特性
広く一般にアプローチしたいのか否か
その前提で変わってくるだろう

特にジャンルの特性(王道と邪道)は大いに関係ある
"大衆にはウケないが好きな人は大好き"
そんなニッチな世界
わからない人にまで届ける意味がわからない
10人中9人が好きより10人中2人が好き、それでいい
わからない人によかったですと言われて形式上お礼は言うのだが、何がどうよかったのか?音が鳴っていれば何でもいいのか?と思ったり

"売れるということは馬鹿にバレるということである"
そんなポストを目にしたのを思い出した
これはあながち間違っていないと思う

直近で気持ちが悪いポストが2件あった
どちらも知らないバンドマンだった

"また対バンするために頑張ります"
"売れる音楽じゃなければやらなくてもいい"

要約するとそういう趣旨になる
全く理解が出来なかった

バンドを続けてまた会いましょうという意味だとは思う。それだけが目的というワケではなく付随する事象に対しての軽い発言のつもりなんだろうが言葉そのものをそのまま捉えてしまった

最近やっと思い込みと決めつけが激しいのが欠点だということに気づいたのだが、ほとんど知らない人や初対面の人に否定的なことを言われるとその時点で心を閉ざしてしまうのが普通だと思う。そこに別の意味が存在していたとしても言い方はあると思うワケでなぜこちら側に意図を汲み取る労力がプラスされるのかが甚だ疑問なのだが、改善したい

"歴史とは勝者が記すものである"
上に行こうとなりふり構わず突き進みある一定以上の成果を出せば過程がどれだけダサかろうが説得力はある。反面カッコいいことをしていても全く無名で終わればそれは敗者なのか?売れるという行為が絶対的に正しいのか?売れたら勝者なのか?音楽と商業は切っても切り離せない

あと本質的にライブハウスやフェスは嫌いではなくそこに存在する同調圧力こそが嫌だと気づいた
よくライブで一歩だけ前に来て下さいとお願いするバンドがいるが、そんなん琴線に触れれば勝手に前に行くわアホと思う

結論、わかる人だけわかればいい
(思考放棄の免罪符的な側面もあるか?)

この考えが変わる日は来ない気がしている

結局の所、俺の話は理想の押し付けにすぎない

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