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語彙力

音楽をやっている身として語彙力が欲しい。
これはずっと思っていることだが、少し前に自分が好きな音楽をしている方になぜ好きなのかを上手く伝えられなかったことが余計にそう思わせた。
直近で海を見に行った時も強く感じた。
人は本当に感動した時や美しい景色を見た時ある種の興奮状態にあるワケで、そこで出る感想はヤバいとかスゴいとかに集約されてしまう気がする。
どこか抽象的な表現になるなと思った。むしろそこで「穏やかな波が自分の心を落ち着かせてくれる」みたいなことを言うとヤバい奴と認定されそうだ。

自分の立場に置き換えてみる。ライブに来てくれた客からヤバい、スゴいと言われたら第一に嬉しいという感情がある。次に何がどう良かったのかと気になってしまう。自分の後輩は「あの曲でやった動きが良かった」とか具体的な感想をくれるので非常に有り難い。細かい部分の話をされるとちゃんと見てくれていた、聴いてくれていたと感じる。音楽的な知見が広い人からの意見はより鋭く参考になる場合が多いので、語彙力とは総合力なのかもしれない。

バンドの歌詞は全て自分が担当している。全て英語で構成されているので時間がかかる。ジェバンニが一晩でやってくれたら助かるのに、と思っている。それとは別に趣味でHIPHOPの曲を作っているのだがこちらは日本語を軸に作っている。さすが母国語、作業スピードが三倍は違う。日本語は響きが美しいな、と改めて思う。同じ意味でも若干ニュアンスが違ったり言い回しが多岐に渡るのでどれを採用するか悩ましい。英語と異なる大変さと楽しさだ。自分は難しい漢字や言葉を使いたがるタイプなのだが、こと"伝える"という点においては老若男女が理解することが出来る言葉を使用した方がいい。シンプルが一番。と、理解しているがカッコいいと感じる言葉を使いたいのだ。ただし意味も理解せず使うことは絶対にしない。ガイ先生直伝の自分ルールだ。

完成した歌詞を眺めていると、どうにも二番煎じ感がある。そもそも文字や言葉は既に用意されたものであり、その中から選択している以上これは仕方がない。本質的に自分だけの言葉とは造語でない限り存在しないのではないか。その人らしさとは、言葉を選択するセンスに表れる。そしてその人が今まで触れてきた体験に直結する。本を読み、芸術を鑑賞することでより語彙力を育てたい。

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