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SNS

ここ最近、俺がカッコいいと感じる人達がSNSから離れ始めた。「あれ?そう言えば全然ポスト見かけなくなったな」と思う人も増えた。アカウントこそ残っているが稼働してない状態。何かを察知したかのようにいなくなった。まるで嵐の前の静けさだ

元々その人達は特別ポストが多いワケではなかったのだが、稀に流れてくるポストを見て勝手に気づきを得たり「こういうバンドから影響を受けているのか!」と思っていた

(ちなみにカッコいい人達が発信すること全てを真に受けるワケではない。自分の中にあるフィルターを通し、納得した情報を落とし込む。当然の話だ)

そんな人達がいなくなることで一体どうなるのか?俺が思うにただでさえ混沌としている現状がさらに加速し、悪化する。そんな危機感がある。元来SNSとはそういうものなんだけどね。体感レベルでは既にそれが起きてしまっている

俺は幸運なことに先日その考えを本人達に話す機会を得た。間違った解釈を引き起こす文字数制限からおすすめ機能によるストレスの増大、否定的な意見を過剰に潰そうとする動きなどについて議論した

前述した話やそんな人達が去ってしまうのが悲しいという話をしたら「真面目だな〜」と言われた

ちなみに俺はSNS喧嘩上等派だ。これはあくまでも現時点での考え。リアルで好きなものについて熱く語る機会がないことによる反動な気がする。だからそれをSNSに求めている節がある。言いたいことも言えないこんな世の中じゃPOISONなのだ。肯定的な意見だけが蔓延したり周りにイエスマンばかりではダメだと思う。何か反対の意見を言う時は"俺の考えが間違っていたと認めさせてみろ"くらいの気持ち

そんな考えを持って話を聞いているとそもそも俺の前提が間違っているのでは?と思った。今までSNSでまともな議論が出来ると思い込んでいた気がしてならない。"喧嘩する相手も選んだ方がいい、無駄な時間とエネルギーだけ使ってメリットは殆どない"
そう受け取った。なるほどな、冷静に考えると俺は喧嘩することで生まれる"何か"を期待しすぎていたんだと思う。そこには"質"という点が抜け落ちていた

シーンにもよるかなと思う部分がある。HIPHOP界隈
のポストを眺めていると賛の意見も否の意見も言いたいことを言っているように感じる。ダサいことをしたらどんなレジェンドでも否の意見が多くなる。ダサい奴は淘汰されるシステムになっている。それが何とも羨ましく、むしろ健全に感じられる

今年のラップスタア誕生が賛否両論の嵐だったのを見て実は嬉しかった。自分もそう思っていたから。自分がやっている音楽や近いジャンルのシーンにはそれが全くないとは言わないが、賛の意見ばかりが目につく。"反体制"や"怒り"が源泉であるはずの音楽とは対極の盛り上がりにどうしても違和感を覚える

俺が前にやっていたバンドが実質解散状態になったタイミングでSNSを辞めた。そこから数年間SNSはやっていなかったしこれから先もやるつもりは一切なかった。しかし今やっているバンドがある程度のレベルに到達した時期からSNSに戻ってきた。理由は"話してみたい人の母数が増えた"からだ。もしそう感じる人が少なければ今もやっていない気がする

前述した人達と話す機会を得ることが出来たのはSNSに戻ってきたおかげだ。そういった意味でSNSを全否定することは出来ない。結局、使い方なんだと思う。俺は精神への影響が露骨に出るので向いていないのは間違いないだろう

ここ一週間、試験的にSNSを断ってみてストレスは確かに減った。一方で非常につまらないと感じた。ストレスがなさすぎるのもダメらしい。なんて面倒なんだ。キモい奴が多い上に言ってることとやってることが違う奴が多すぎる世界だ。もう少し考えてみようとは思うが、いなくなったらそういうことだと思ってくれ

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