大好きな絵本はありましたか?
自分で覚えているもの、親や周りの人が覚えていてくれるもの。覚えていなかったけれど、表紙やタイトルを見て思い出すもの。
誰にでもあるのだろうか、きっと人生で初めての宝物になったような、絵本や児童書が。
島田ゆかさんの『バムとケロ』シリーズが大好きだった。家には一冊も無くて、小学校の学級図書と、病院の待合室の本棚にあって、何度も借りては読んだ。学級図書の方はクラスの中でよく取り合いになっていた。『バムとケロのおかいもの』と『バムとケロのそらのたび』が特にだいすきだった。他にも、『おいしれのぼうけん』とか、『てぶくろ』とか。児童書になると『くまのパディントン』とか、『モモ』とか。青い鳥文庫も、『まじょ子』シリーズも好きだったな。大好きな本、繰り返して何度も何度も読んだ本がたくさんある。
思い出ってどうしたって綺麗で、愛おしい。だからその中にあるものを手にしたくて仕方がない時がある…いつでもそうかもしれない。ノスタルジーに浸ることはストレス軽減になると人から聞いたことがある。たぶん無意識に求めている。思い出に浸って、懐かしいものに触れることを、たぶん、人間はいつでも求めているんだと思う。
大好きだったバムとケロ、他にもたくさんの思い出の中の本たちを、自分で稼いだお金で買おうと思った。
そう思えた自分が、あのとき夢中になってページを捲っていた頃の自分とは全然、全く違う存在になっているような気がして、「大人になれた」ようで嬉しくもある一方で、
何か…浪漫のようなものか、何だろうか…純粋さだろうか、何かを失ってしまったような気持ちにもなって。そう…ただ、あの頃のわたしとは全然違うわたしなんだ、と思ったんだ。
何かを失ってしまったから悲しいという事でもない。変わってしまったことが悲しい訳でもない。
あの時の私にとっての絵本たちと、
いまの私にとっての絵本たちは、全然ちがう。
その意味というか、役割が、たぶん。
わたしはもう、たぶん本当の意味でこの子たちを絵本として扱えないんだな。
真正面から向き合えない。大人になってしまったから。ノスタルジーに浸るための道具になって、絵本としての本当の機能を発揮できなくなってしまった、のかもしれない。
やっぱりちょっと寂しいかも。そう考えると。
でもそれは仕方のないことだ。
役割が変わっただけで、今の私にも必要であることはまちがいない。し、手に入れちゃだめ、ってことでもない。と思う。たぶん。
当時の私に必要だったもの、絵本はそれらをもう今の私に与えてはくれないけれど。
それとはまた別の存在として、わたしはまた、大好きだった絵本を求めている。
思い出はいとおしい。
形にして、そばに置いておきたいのだ。
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