見出し画像

愛され女子というけれど、その前に愛そうよ?と思う今日この頃

こんにちは。マリッジコンサルタントさいとうみさです。

今日は前からずっと思っていたことを書いてみようと思いました。

巷でよく見かけるキャッチなどで、「溺愛されるオンナになる」とか「愛される秘訣」とか「大切にされるコツ」とか、○○される、つまり「受け身」の表現が、ここ最近やたら多いように感じます。

そして、そのことになんだか違和感を抱く、ひねくれものの私です。(笑)

この男女恋愛婚活に関わるフレーズだけではなく、世の中全体にも言えるのかもしれませんが、どうも「~~してほしい」が優先されているように思えます。

方程式としては、愛されるためには、こういう考え方でこういう接し方をして、こういうときはこんなふうに反応すれば相手は喜び溺愛されますよ云々という流れのことが多いですよね。

確かにその流れは私もそう思うのです。ただ。

それが「こういうふうにすればいいんでしょ」となっては危険なのではないかなって思うのですよね。いわばちょっとしたゆるーいマニュアルみたいなふうになってはいかがなものかなと。

「奉仕は愛情の最高表現であり、愛は受けるよりも与えることを喜ぶ」

これは芸術などに造詣の深かった思想家の岡倉天心さんのお言葉です。

いろんなことがデジタル化して、人は「答え」を急いで求めすぎて、

自分が好きか楽しいかという判断基準よりも、それが周りからみて正しいか間違っているかの正誤で判断しがちだったりします。

あるいは損得が絡んできたり。

最近の「愛され・・」系も、もしかして損得計算が入っているようであれば

そこには力一杯警鐘を鳴らしたいと思います。

愛に損得勘定が入った時点でそれはエゴになってしまう。無償の愛なんて母親から子どもに対してだけ、という考えは間違いではないけれど、だからといって母子以外の人間関係に無償の愛はなどないと言い切ってしまうのもあまりにも殺伐としているように感じます。

損も得も、どう見られるかも気にしないで、愛されるための小手先のテクニックなんか全く考えないで、ただ目の前にいる人を大切にする、ただ目の前の人のために奉仕する、その人の喜ぶことを無心で与える。

無償とか無償じゃないとか、そんなことすら気にしないで。


こんなことを真剣に語る私は、かなり変わった思考回路なのかもしれないけれど、でもそう思うから、変人だろうがなんだろうが仕方ありません。

人生って過去も未来もない。あるのは「今」だけです。

今の積み重ねが未来で、過去は今この瞬間のための過ぎ去ってきたその時の今。

だから、今目の前にいる人に与える。愛を与える。その「今」は二度と戻ってこないから。

愛されることもいいけど、愛することはもっと尊いと思うのです。

愛されることを待つなら、それより先に愛そう!!

目のまえにいるその人を(^^♪(^^♪











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?