見出し画像

文芸の求める形とは何ぞや?

ガンド天狗終わらせましたー

めでたく【完結】マーク書けて何より。今年の正月明けに本気でどうしようか悩んだからね。

で、終了記念で何事かを書く。いわゆる創作の目的とは何ぞやと。まぁ大体みんな「感動を与える」とかフワッとした事考えると思うのだが、ここの解像度を少し上げていこう。そうしないと七女の悲劇は繰り返される。

最終的な文芸の目的とは、作者が意図したイメージを文字列により読者の脳裏に再現させて「作者が想定した感動」を読者に再体験させる事では無いかと考えている。
勿論作品の読み方は自由であり強いられるものでは無い。読者は文字列を如何様にも読んで構わないのだが、それでも尚読者の印象をコントロールして作家が描き出したい物を見せるのが文芸屋の辣腕である。これを達成する為に文の芸を磨き、構成を考えて読者に叩き込む。誤解なく読者に望んだイメージを想起させる事が出来ない作家は白帯ですわ。

例えば野坂昭如の火垂るの墓読んだり映像化された作品見て「可哀想」と思わぬ人はまず居ないだろう。清太が割とクズなのは実際クズっぽいからアレなんだが、戦争の悲惨さをこの作品見て感じないのは割とサイコであるかと思う。流石一流の作家ともなれば技を駆使してしっかり読者の脳裏に「見せたいもの」を見せる事が出来るのだ。

しかし翻って七女とかを読んでみると、天才だ美人だと地の文や設定で説明しているのだが──どう控えめに見ても主人公は考え無しに突っ走って自らの選択の甘さに呪詛を吐く、見事なまでのアクティブバカだ。ビックリするほどアホさが描かれており筆者タトの余りに低い文芸能力に頭を抱える次第である。良くこのレベルで作家になろうと考えたよな。お前ある意味すげぇよ。
作文レベルで酷い。いやほんとマジで。このレベルのバカにISBN付与した本書かせるとかカドカワは具体的に申して頭が悪い。新文芸だとか頭おかしな主張をする前に自社の編集部員の作文能力を鍛えて、最低限文章が下手くそな奴を弾ける程度の選別をせよ。編集としてマトモに校正も出来ないのだからこれはマストだ。文章下手だけど光るものがある作家を引き上げて良いのは校正ばっちり出来る編集になってからにせよ。七女の校正も出来ぬ低脳は編集なんか仕事にすんな!(尚本作、カドカワの各文庫編集の総意により大賞受賞したらしいから、カドカワのラノベ編集部にいる連中はこの私より明らかに日本語編纂能力が低い)

好ましい人物を好ましく見える様に描き、悪漢を悪漢に見える様に描く。これは文芸において奥義でもヒサツワザでもなく基本だ基本。正拳突き以前の拳の作り方じみた基本だ。そしてこの基本が出来ていない人が創作界隈ヒヨコちゃんクラブに多過ぎる。その際たるものが「設定を文字説明してしまう」という悪習である。

いいか、強い奴を描く時には「どうしたら強く見えるか」考えて文字書くんだ。これは絵でもプラモでも同じ。強く見えるようにするにはどうしたら良いかで悩むのよ。地の文で強いと書いて許されるのは黄金バットまでだし、実際黄金バットは地の文でいくら「強い」と書いても足りないぐらい無敵描写を繰り返している。何故ならば、地の文で強いって書いても読者はその2文字を数秒で忘れるからである。なんの描写も添えずにただ「強い」と書いても強いイメージが湧かない。だからスルーされる。

それを強く見せたいなら強く見える様に描写をする。それが文の芸であり、「強い設定だから強い」で読者に納得して貰おうと考えたら、そりゃゴッコ遊びやで。幼稚園児がショボキック繰り出して「ライダーキックなんだから吹っ飛んで死ななきゃだめだよ」という様なものだ。
【設定を強いるな】強く見せたいなら誰が見てもこれは強いという描写をせよ。如何なる読み方をしてもこれは強者ですわと「納得せざるを得ない」描写をするのが作家の腕であり文芸である。
だから、例えば貴方がある登場人物を強者として出したいならば、そいつが空手3段とか大相撲で大関やってるとかではなく、【何故強く、どう強いか】考えなければならない。どういう描写をしたら強さが可視化出来るか……ゆでたまごが悩んだ末に出した結論は超人強度だし、昨今の話だとRPG風にステータス表記であろうか。だがしかし、数値表記は魔の道で、それやると数値98と100の差はなんだって疑問が出てくる。もしその差を描かない・描けないなら数値設定に意味は余りない。地の文で「つよい」と書いてるのと別に変わらん。

美人の美しさや賢者の頭の良さも同じだ。てーか、空の青さも流れる水の清らかさも、必要であればなんでも描写して読者にそう思わせる・理解させるのが文の芸なので、そこを「設定」で逃げるのは文芸とは少しベクトルが違う。まあおままごとやゴッコ遊びであろうかと思う。
この描写力を鍛えて「作家が望む通りに読者の脳内にイメージを作る」のが文芸なのよ。どれだけ読まれてどれだけ支持されて星もらおうが、これが出来なかったり弱い奴は文芸という芸が下手で作家としては落第だ。

では、考えてみよう。

このロボットを強者である・強いパイロットが搭乗していると思わせるには「どの様になっていたら」良いだろうか?
例えば、機体に細かい傷が無数に入っているがバイタルパートには一切傷が入っていないとか、擦り傷ばかりで大損傷がない、重心が安定している・盤石である。実際に強そうな機体破壊して足蹴にしてる……色々な表現の仕方があるだろう。その「色々な表現」が出来るのが作家であり創作者という存在だ。

その様な力を持つから「作家が思う通りにポイントポイントで感動を作れる」のであり、設定書いて強い弱い・顔の美醜だ頭の良さだを表現しようとしてる奴はアレか? 「感動のシーン」とでも書けば読者が感動してくれるとでも考えてるのか? それは流石に幼稚園児からやり直した方がいい。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!