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レアケースさん

こんなんToggeterで見た。

我が家には神棚が2つ?ある。

神徒壇。敷物はかつて蝋燭付けてた際に真の燃え滓が白木汚した事から敷くことにした。
神棚

余り知られていないと思うが、神道のお家では仏教で言う仏壇に当たる「神徒壇」というものがある。こちらには血族の内「その家で祀る」祖霊を安置し、神棚には神社とかで頂くお札やらを祀る。まぁ、天照大神とかその辺のメジャーな神様だな。

仏教では「死ねば仏になる」のだが、神道では「死ねば神になる」仏教とは異なり難解な画数の多い漢字が連なる戒名は無いが、生前の名前に神号を意味する?「みこと」を末尾に付けて神様にするのだ。同じ神様だから神棚に上げても良いのでは無いかという気もせんではないが、一応分けてお祀りするのが定式の様だ。

仏壇に比べると、神徒壇はかなり安価である。霊璽という仏教でいう位牌に当たるものもそーなんだが、神道のブツは大体白木で作られている。

中央の奴が本体。ここに名前+命を墨で書いて、右側のカバーを普段は被せておく。カバーに空いてる穴は神様の覗き穴だそーな。

ウチは親父が亡くなった際に神徒壇購入したが、割とデカめの奴買っても80万ぐらいだったね……数万円からあるからお財布には優しい。

で、だよ。
神棚と仏壇だから奇異に見えるが、神道の家でも「神と祖霊」の両方を分けて祀るのだから、この形式は基本的には「日本を含めたアジアスタンダード」だと思う。昔台湾企業の日本支社に勤務してた時に大社長の生家にお邪魔する機会があったが(敷地内に近代的な家建てて親孝行見せつけられたのだ。旧家は伝統的な中国風農家だった)、その桃園近くの斜面にあった大社長の生家の片隅には祖霊廟があり、神々への信仰とは別に、やはり祖霊への敬意はあった模様(丸屋根の石造で、屈めば中に入れる程度にデカい)

恐らくだが、太古の日本では神々への祀りと祖霊信仰が並列していた。この内「祖霊信仰」とか祖霊供養部分が仏教に置き換えられ、神仏混淆という稀有な宗教体系を構築していく。祖霊供養というか、死んだ仲間や血族へのある種の愛情発露は文明勃興前の類人猿にも見られるというから、恐らくはこちらの方が宗教的には古いのだろう。私の直感では現生人類発生時まで遡れるのではないか?
これに対して「日本神話」というものは基本として「天皇統治の正統性を示威する為に、恐らくは多数存在したであろう『各氏族が保存してきた祖霊信仰と密接に関係がある神話』を統合・編纂したものだ。この際に「国の祖霊」として引き上げられた者たちは、それ以前の「カミ」とは異なる別次元の高位存在としての「神」となり、扱いが別になったのかなぁ、と。

仏教と神道だから奇異に見えてしまうが、ピュアに神道やってる我が家でも祖霊信仰と神々への信仰の二本立てでやっており、正直な話毎朝コーヒー供えたり、晩酌の酒を供えるのは祖霊の方だけだ。重さとしては(少なくとも、我が家では)祖霊の方に重きを置いている。先のToggeterの仏壇と神棚問題も、祖霊と神の二本立て信仰(祖霊重点)傾向という視点で考察した方が良いのかなぁ、と。

まぁ、ここを巧みにつかれた結果として統一教会の霊感商法があるのだが。つーかキリスト教ベースなのになんで「神やキリストへの信心」ではなく先祖供養の話になるんだべか? イエスがダビデやアブラハムなどの祖先供養したり墓参りして雑草抜いたり線香炊くか? 統一教会にハマる奴も大概だが、一般知識として「キリスト教に祖霊信仰混ぜるか、普通」という基礎的な疑問は抱いておきたいところである。

尚、日本人の古来からの宗教観として「死者は祀るもの」であり、村八分食らわせても「火事と葬式だけは別」として協力したり故人を偲ぶのは当然である。(我々はその様な文化フォーマットの中で生きている)
某人の葬式やお別れ会の当日にぎゃーぎゃー騒いでるアホは日本人(アジア文化圏?)としてのコモンセンスが無い。そこで騒ぐ辺りに大衆からの同意や賛意を得られない根幹があると思うやで。費用負担や扱いに疑問があったり不支持であっても「一瞬でも、喪に服す」、或いは「とりあえず黙っておく」ぐらいはして良いのではあるまいか。ワイは割と故人好きな方ではあるが、反対派のアレはすごーく不快に見えた。あんなんとお仲間になるのは嫌だなぁ、みたいな。「まぁそれはそれとして弔意は示すやで」も出来ない蛮人とは同じ席に着きたくない。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!