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れいわ新選組 性被害問題の時系列



れいわ新選組 性被害問題の時系列

令和5年6月15日:紫波町街宣指導で加害者と知り合う


令和5年6月22日〜23日:選挙指導として加害者が紫波町選挙に派遣される

  • 党本部から選挙カーの街宣指導のため紫波町に加害者が派遣され、紫波町ボランティアと夫への運転指導、私へのアナウンス指導を行った。

  • 選挙前後のトラブルの相談や助言を受けるという上司と部下という間柄。

  • 当選後も事務連絡のみだった。


令和5年8月3日~4日:業務中に加害者から私用電話

  • 盛岡市の選挙応援(盛岡市議会議員選挙8月6日告示、8月13日投票)に私がいつ入るのか、柏市議選中の業務中に電話で確認あり。
    「8月9日〜13日まで盛岡に入るので、10日〜12日の夜に紫波町で会食できないか?(私のコアボラさんも一緒に)」と言われた。
    夜間に子育て中の紫波町ボランティアさんを会食に誘うことや、私自身も選挙や議員の懇親会が続いており、子育てを優先したかったので回答を保留した。

  • LINEで予定を送ったのに、なぜわざわざ電話をしてきたのか不思議に思った。


令和5年8月9日~8月13日:加害者が盛岡市議選に派遣される

  • 8月9日の午前にA補佐を、夕方にB補佐を加害者の権限で相次いで帰していた。

  • 8月11日個人演説会当日まで、B補佐を帰していたことを知らず、「なぜ最終日まで残さなかったのか?」と加害者に問い詰めたが、「B補佐は使えないから帰した。」と返答。


令和5年8月11日:被害当日

  • 18:00~18:30個人演説会

  • 加害者は個人演説会の統括。私は弁士として呼ばれていた。

  • 東京から、辻めぐむさん・こいでまありさん・井関げんじさんが来ていたが、個人演説会の後、急き立てるように加害者は盛岡駅へと送るよう盛岡選対に指示していた。

  • この後、靴事件が起こるが省略します。
    その時の様子は盛岡ボランティアさんが「みさとさんを1人では何もできない子どものように扱っていて、まるでグルーミングのようだった」と所感を述べている。

  • 個人演説会終了後、靴を買って戻り、20時まで2人で選挙カーで街宣。
    ※候補者は個人演説会後に帰宅していた。
    「なぜ事務所に人がいたのに、街宣に同行しますと言わなかったのか?」と後日盛岡選対に確認したら、「来なくていい」と加害者から言われ、盛岡選対は街宣に同行できなかったと聞く。

  • 19:30頃、「候補者も帰ったのでこのまま二人で会食に行かないか?」と誘われたが、20時までしっかり選挙活動したかったのと、事務所に寄らずに二人だけで会食に行くのはおかしいと思い断った。
    ※靴を買いに行った時の会話など、党弁護士ヒヤリングの際に、加害者の認識にズレがあることを知る。

  • 20時マイクオフ→事務所で最終日の確認をする。

  • 選挙事務所にいた盛岡選対のスタッフに、会食に行くことを告げ、盛岡市のすし店へ。

  • 会食時の会話は主に選挙活動について、議員活動、党勢拡大についてであった。

  • プライベートではなく仕事上の付き合い。翌日の動きなどの確認含む。

  • 会食後、私は駐車場へ、加害者は宿泊先のホテルへ向かうと思っていたら「村上さんの車に忘れ物をした」と言われ、車で宿泊先のホテル近くのコンビニ前に送ることになった。

  • 車中での会話について「男女関係での会話ではなく、師弟関係での好意的な会話だった」と、党弁護士ヒヤリング備忘録を見た複数の弁護士が見解を出している。

  • 加害者は酒に酔っており「プラトニック」「議員には手は出さない」などズレた発言をしていたが、聞き流して運転に集中していた。

  • 加害者が翌日の朝食を調達したいと言ったので、交差点を少し過ぎたコンビニの近くに停車。

  • 前段の会話から急に声色を変えて『ねえ、むらかみー、キスしよう』と迫る。
    →同意のないフレンチ・キス後、不意打ちでディープキス。

  • 加害者は自分が満足するまで続け、その後満面の笑みで車から降りた。
    車を走らせてから「あー、やられた…」と思った。
    錯乱状態だったので、どこをどう走って帰宅したのかわからない。
    事故がなくてよかったと振り返っている。

  • 帰宅後「他の地方議員にもあのようなことをしているのですか?」とLINE。否認や迎合などの5F反応が出ていた。

  • とにかく調子が悪かったが、「れいわ党職員と所属議員が路駐でキスをしていた」などとリークされないか不安だった。
    同意はなくとも、私は公人。
    前職を辞して議員になり、任期開始1ヶ月足らず。
    議員の倫理規定が頭をよぎる。

  • ここまで、支え合ってきた候補者に迷惑をかける訳にはいかない。
    無かったことにして振る舞うしかなかった。

  • 以後、心身ともに体調不良。

    ※診断書参照

診断書
カルテ①
カルテ②
カルテ③
カルテ④
SRQ-D(Self-Rating Questionnair For Depression)
16点以上:抑うつ傾向あり
私は30点。あまりの憔悴に医師が驚いていた。

憔悴が激しいため、心療内科から
精神科専門病院へ紹介転院。紹介先の相談記録。

令和5年8月12日:被害翌日(選挙最終日)

  • ほとんど眠れないまま最終日を迎えた。
    絶不調で食事も食べれずぐったりしていた。

  • 盛岡へ向かう車中、紫波町ボランティアさんに「〇〇さん(加害者)を私に近付けないように見張ってほしい」と頼んでいた。

  • 昼食時、何も注文しない私の様子に周りが心配していたので、サイドメニューを1つ注文し、やっとの思いで食べた。

  • 選挙カーの中でもいつものようなアナウンスができず、隣にいたアナウンス担当者に「昨日、何かあったの?」と聞かれ、何もなかったことにして振る舞うのがとても辛かった。

  • 選挙終了後、3人(加害者、私、紫波町ボラ)で会食をする。
    B補佐も誘っていたが新幹線の都合で帰宅。
    ※B補佐は9日に加害者の指示で選挙活動から外されていたので、私費で盛岡に来た。

  • 盛岡駅へB補佐とアナウンス担当者を送った際に自損事故を起こす。
    事故の報告のために上司である加害者に電話。
    事故処理後、そのまま会食の流れになったため、盛岡選対とは別行動となった。

  • 何事もなかったように振る舞い、上司のペースに合わせていた。
    会食時、何度もホテルに誘われたが、拒否して帰宅。
    ※最終日の様子は紫波町ボランティアさん報告書参照


令和5年8月25日:加害者と仙台で会う

  • 仙台にて二人で会う。その際、手を握られたり体を触られたりした。

  • 加害者から「やっと二人きりになれた。(8月11日の行為で)下半身が反応した」などと言われた。
    (この頃は反動形成。会って「なぜ、性的行為をしたのか」聞こうと思った。被害に遭ったことを否認する反応も出ていた。
    加害者の発言や行為に対して苦笑いをしながらずっとため息を付いていた。とても調子が悪かったが、LINEのやり取りでは迎合していた。
    反動形成については10月6日心療内科で指摘を受けた。
    被害時の不快な思いを好意に転換して何事もなかったかのようにやり過ごそうと防衛反応が起こったのではないかと心療内科の医師に言われた。


令和5年9月2日:被害を初めて紫波町ボランティアさんに告白

8月11日の出来事を打ち明けた。
私が「大変なことが起こった…」と怯え、しばらく話せずにいたため、「話せるタイミングで話して大丈夫だから」と私が話し出すまで待ってくれた。
少しずつ、当時のことを話したら「えっ!!何それ!怖い!!」と発言。
怯えているのに、それでも上司を慕う私の様子がおかしいことに気付き、以後傾聴に徹してくれた。


令和5年9月3日:加害者に被害を訴える

  • セクハラだと気付き、加害者に対して、
    「あれ以来メンタル不調が続いている。いつもの私なら家事や育児をこなしながら仕事できるのにできない。〇〇さんがあんなことしなきゃ、私は普通でいられたのに!!」「B補佐に離党の旨を伝えます。」とLINEした。

  • B補佐に離党の旨を伝えたが、保留。

  • 女性職員に、セクハラに遭ったため離党したいと相談するLINEを打つも、不安になり送信を躊躇ってしまった。
    ※この頃は、上司から迫られたことに対し毅然と断らなかった自分が悪いと思っていた。

    同日18時30分 加害者と電話

  • 「村上さんの政治判断なので止める理由はない。
    離党する理由は、政治判断なのか、私との関係があったからなのか。」と事務的に言われた。
    党にセクハラ被害に遭ったため離党したいと申し出ても、党本部に加害者がいて、私が悪いように言いくるめられるのではないか?と不安になり、諦めて離党を撤回し、加害者に懐柔することを選択した。


令和5年9月4日〜:精神状態の不調と迎合反応

事務連絡、たまに励まし合うLINEのやり取り。徐々に疎遠になる。

  • この間、セクハラだと認識できたり、これは寵愛だったのだと思い込もうとしたり、精神的に不安定な状態が続いた。

  • B補佐には8月中旬からメンタルがおかしいことを何度も報告している。

  • 8月11日〜四六時中フラッシュバックしている状態。


令和5年10月1日:徐々に性被害であったことを認識し始める

  • 加害者が私が不調を訴えていることに対して「どうにかしてほしくて演じている」という趣旨のLINEを紫波町ボランティアさんに送信。

  • 令和5年10月1日、5F反応から抜け出しかけて「もう迎合しなくていいんだよね?」と何度もボランティアさんに確認した。
    「でも加害者は嫌悪→迎合→嫌悪は理解できないよね?」と聞いたら「加害者に理解できなくても実際起こったことだから」と言われその通りだと思った。


令和5年10月2日:B補佐・女性職員に性被害を報告

女性職員より

  • 党内にハラスメントが横行しており、報告してももみ消される可能性が高い。

  • 加害者の上司もパワハラ。自分の力では難しい。

  • 内部通報制度があるが、地方議員には周知されていない。

  • 窓口の幹事長はこれまでの党の問題に対処しきれていないため当てにならない。

  • 社外通告窓口の弁護士が信頼できる人かわからない。党から依頼されているので党の味方になる懸念がある。

  • ハラスメントガイドラインを作成しようとしている構成員が加害者と仲が良いこともあり、本当はその人に相談したいが、加害者を守る可能性もある。

  • 「今はどうすればよいという方法がない。」と言われ、絶望した。

  • 以後、B補佐と女性職員は性被害を実際は知っているが、「知らないこと」にしていた。
    ※二人が私のセクハラの件で党から不利益を受けることを憂慮して、私からも「党には知らなかったことにしてください。」とお願いした。


令和5年10月5日~11月16日:いわて被害者支援センターに相談

「これは明らかに性暴力である」と指摘を受け、警察に相談することを提案される。


令和5年11月16日:不同意わいせつで被害届を提出

私は被害者個人として、こんなにも心身と生活を破壊する行為なのだと痛感し、被害者として加害者に罪を問う選択をした。
「議員や党員であっても1人の個人である」と、地元支持者に説明。
被害届を出したことを咎めるなら「れいわの理念綱領はない」と合意し、届出た。

被害罪名:不同意わいせつ罪

令和5年11月17日:山本代表宛に「コアボラさんからの報告書」と「私からの提言」を提出

  • 盛岡市議選中に起こったパワハラ・セクハラについて、盛岡選対と私、紫波コアボラさんの3名で提出。
    盛岡選対からは、党がこれまでの問題にきちんと向き合っていれば岩手の議員が被害に遭うことはなかったという憤り。
    これは内部告発にあたるので、通報者や情報提供者の保護をすること。
    セカンドレイプをしないこと。
    党の存続に影響を及ぼしかねないため、支持者を失望させないよう、きちんと対応すること。
    などを要望。
    ※加害者が党内にいるため、党には被害届の件は報告していない。

れいわ新選組 代表:山本太郎様

       盛岡市議会議員選挙における性被害について

私が、村上みさとさんが○○さんから被害にあった事を聞いたのは9月に入ってからの事でした。(令和5年9月2日)8月11日の出来事から私に打ち明ける9月2日までの間、みさとさんはかなり精神的に参っていて、「死にたい」と言葉にしたり、「仕事も思うように出来ない」と言っていました。体調も良くないようで、顔色も悪く、異常な痩せ方をしていて、食事も喉を通らず栄養補助飲料ばかりを口にしていました。日に日にやつれていく村上みさとさんを見ている私もとても辛かったです。
そんな時に村上みさとさんから会いたいと連絡が入り、会って話しをしていた時に○○さんとの事を聞きました。その時はまだ被害にあったと自覚をしておらず、私から見て洗脳状態のような感じに見えました。何を言っても聞き入れてもらえる状態ではなく、錯乱している状態にも見えました。だから、私は否定するのではなく話を聞く事で村上みさとさんが何かおかしいと気付くのを待つ事にしました。その時の村上みさとさんは、私の言葉を聞き入れる状態ではないくらい気持ちが不安定でした。
でも、私もよくよく考えてみたのですが盛岡の選挙最終日(8月12日)の時の様子がちょっとおかしかったのです。○○さんはみさとさんと一緒に行動したがっていたし、みさとさんは○○さんと距離を置きたがるような言動や行動をしていたのです。最終日の夜、○○さん、みさとさん、私の三人で食事をする事になったのですが私は体調を崩しており、みさとさんも疲れていて食事を思うように取れず、ぐったりしていたところ、○○さんが「僕の部屋で休んでいったら?」と言ってきました。私は咄嗟に「私が運転して帰れるので大丈夫です。」と断りましたが、その後も数回同じ事を言われました。みさとさんはその時は疲れていたので何も言いませんでしたが、普通であれば、男性が女性 を部屋に招くなんてどうなんだろうと私は思ったのです。ましてや、既婚者と理解した上での発言でしたので私には警戒心しかありませんでした。
みさとさんから打ち明けてもらった時すでにみさとさんは精神的にも身体もボロボロでした。何度も会って、話を聞いて、辛い辛いと話すみさとさんを私はただうんうんと聞いてあげる事しかできず、胸の中のモヤモヤと苛立ちしかありませんでした。心療内科に通い、心も少しずつですが落ち着き始めたら今までの事を冷静に見れるようになってきて、これは性被害なんだと気付き今に至ります。精神的に憔悴し、洗脳状態に近い状態でしたので気付くまでに時間がかかり、月日が経ってしまいましたが、そこまでに追い詰めた○○さんを私は許す事はできません。
   
               令和5年11月 紫波町ボランティア ○○○○

出典:盛岡市議選中に起こったパワハラ・セクハラについて
紫波町ボランティア
  • 私からの報告と要望を提出

れいわ新選組代表⼭本太郎様

                         令和 5 年 11 月 17 日

          れいわ新選組 紫波町議会議員(岩⼿県)村上 みさと

     ○○○○⽒から受けた性被害(わいせつ⾏為)について

 6⼈⽬の⼦の育児休暇中、多発圧迫骨折になり、寝たきり状態になりました。家事、育児、⾃分のことさえできず、「何のために⽣きているのか?」「⾃分は家族や 社会のお荷物なのではないか?」と絶望する日々。そんな中、寝返りすらできない病床で【死にたいけど⽣きたい】と検索して出てきたのが、⼭本太郎代表の【死にたくなるような世の中やめたい!⽣きててくれよ!】という街宣動画でした。衝撃が走りました。「どんな障害があっても、どんな状態でも、ありのままで尊重される社会なら、家族や社会のお荷物だと感じることはないのだと。死にたくなるような世の中は、政治によって変えられる!!そしてその処⽅箋(経済政策)もある!!」希望を⾒出し、ついには⾃分がれいわ新選組の地⽅議員になりました。選挙の際は応援に来てくださりありがとうございました。
でも、今わたしは、死にたくなるような世の中の渦中にいて、声もあげられず、社会の片隅に追いやられ⼩さくなっています。魂の殺⼈と呼ばれる性暴力。(被害者相談センターからは、これは明らかに性被害であって、性暴力であると⾔われました。)全幅の信頼を寄せていた上司からのわいせつ⾏為。⼼的外傷後ストレス障害になり、家事育児も議員活動も何 とかこなしている状態です。私には被害者としての処罰感情があります。でも、私はれいわ新選組の地⽅議員。代表やボランティアのみなさんが、日々奮闘されていることも、⾃⾝もそうであったため、よくわかります。加害者が党の関係者であることで、板ばさみになり、何が正解かわからないまま、月日が過ぎました。
【何があっても⼼配するな!!誰ひとり取り残さない社会】を⽬指していた⾃分が、⾃分の ⾝に降りかかったことを黙殺すれば済むのか…、様々な葛藤、精神的な消耗の中、現在の気持ちを正直にお伝えすることにしました。
今は、町議としての最低限の仕事をこなすことで精⼀杯です。れいわ新選組の党勢拡⼤のための活動はしんどくてできていません。表に出ることも極力控えています。私は盛岡市出⾝で職場も盛岡にありましたが、現場となった盛岡に⾏くことは怖くてできない。男性と接することも、党からのお知らせも、Zoomでの勉強会も怖くて参加できません。選挙カーに乗ることも、好評だったウグイスをすることも、演説をすることも、もう⼆度としたくない気持ちです。衆院選挙の活動も、ボランティア⽀部の活動も無理です。
私に期待をしてくれている紫波町⺠、れいわ新選組の⽀持者のみなさまには、活動が停滞し、集中力や頭の回転が鈍くなってしまった現状を⼤変申し訳なく思っており、そんな⾃分が惨めで情けない。党に対しても憤りを感じています。もっと党内のコンプライアンス、ハラスメントに対する体制がしっかりしていたら…こんなことにはなっていなかったのではないか。家事・育児がままならないだけでなく、フラッシュバックするたびに叫んだり、「怖い怖い」と⾔う私に家族も精神的に追い詰められています。
れいわ新選組の公認を受けるにあたり、外部からの批判や不遇などは覚悟の上で町議になりました。それでもれいわ新選組の掲げる理念や政策に共鳴し、実⾏することに⾃信がありましたので、折れることはないと思っていました。しかし、まさか内部から崩されることになることは、全くの想定外でした。内部の⼈間からの受けた痛みの⽅が、ものすごく重い。
私は老⼈保健施設のケアマネージャーでした。私が出馬のために職場を退職する時、利用者さんが察して、私の⼿を 「⾏くな」と⾔って離しませんでした。翌日から私が来ないとこを悲しんで泣いていた寝たきり利用者さんもいました。コロナ禍で医療がひっ迫し、保健所や病院との連携に当たり、助かるはずの命を前に成す術がなく悲しくてやりきれない思いを、政治で変えていこうと思った。だから、「今度は外からみなさんを⽀援するからね!」と⾔って、⼤好きだった、天職だと思っていたケアマネージャーを辞めて出馬しました。こんなことになり、深夜に泣きながら、「こんなはずじゃなかった!ケアマネに戻りたい!」と寝ている夫を起こして泣きついたこともありました。悔しくて、悲しくて、やり切れません。
調査にあたっては、被害者の⼼情、プライバシーに十分配慮することを求めます。
そして、今まで⾒過ごしてきた様々な党内の不具合、ハラスメント対応をきちんと反省し、内部かられいわ新選組が腐ることがないよう、⽀持者のみなさんがれいわ新選組に失望することがないよう、党内の立て直しを希望します。

※診断書、カルテ、相談記録、盛岡選対の報告書及び要望を添付して提出。

なぜ党に相談・報告できなかったのか
⚫︎党にハラスメント窓口があるかわからない。少なくとも地⽅議員には周知されていなかった。
⚫︎○○○長として党内に加害者がいたため。
⚫︎他のパワハラ問題に対して声が上がっているのにも関わらず、対応していなかった。(10 月 17 日 Zoom会議にて、○○議員の要望・報告に対し回答が未だにないこと、幹事長の所まで報告が上がっていないとがわかり、報告しても有耶無耶にされるのではないかという恐怖があった。)
⚫︎4 月秋田市の選挙中に、当時の○○補佐のセクハラ発⾔、東北選挙カーに関する聞き取り後、何も対応がなく、『⼤したことではない』とされていたこと。
⚫︎東北の諸問題の対応をしたのが加害者。
⚫︎党内に利害関係者が多く、この件を有耶無耶にされるのではないかと不安に思った。
⚫︎ 党内に男性が多く、セカンドレイプ(⼆次被害)が怖くて相談できなかった。

出典:報告と要望
村上みさと

令和5年11月20日:代表秘書とのやり取り

  • 代表秘書から「村上さんはどうしてほしいのか?」とB補佐を通して連絡あり。

  • 以下の要望を代表秘書にB補佐を通じて送る。(11月20日)
    『聞き取りに対し、自分はいつでも対応する体制はあります。
    ただ、今回の報告書を読み、党としてどう対処しようと思うのか、また党内のあらゆるハラスメントに対する認識の強化、体制づくりの必要性、など党側のお考えをお聞きしたいです。それをお聞きする前に、私のような被害者側の聞き取りをいくらしても無駄になるのではないかという懸念、うやむやにされ、なかったことにされるのでは…という疑念、今後も同じことが繰り返えされる可能性への疑念がどうしても拭えません。ですので、党からの見解を先に教えて欲しいと思っています。その上で、今後、聞き取りや検証、相談する場合、あくまでも中立的な考えが出来る女性で、性被害に配慮できる(セカンドレイプを防止)人にお話したいと思います。よろしくお願い致します。』


令和5年11月22日~:私から党への要望を送付

  • 党はヒヤリングを受けるよう何度も連絡してきた。
    ※ヒヤリング担当者が誰なのかも明かされていない状態で、ヒヤリング、ヒヤリングとだけ連絡があり、全く噛み合わない。

  • ヒヤリングは応じるが、心的な回復ができていないこと(ヒヤリングによる二次被害を懸念)、12月議会も迫っており、被害後から集中力低下、事務処理能力の衰えがあるため、一般質問のサポートを先にしてほしいと依頼するも、話が噛み合わず難航する。

    ※スクショ添付。

党男性職員とのやり取り

令和5年11月23日夜:補佐とのやり取り

党内に加害者がいるので、この告発の取り扱いが見えず怖くなってしまったこと、被害後の後遺症で集中力低下に悩まされており、議員辞職をして楽になりたい気持ちと紫波町民の付託に応えたい気持ちで葛藤していることを、正直にB補佐に伝えた。


令和5年11月24日:グループLINE騒動

B補佐からLINEあり
『被害の洗脳から解けきれてない。仕事は仕事。仕事に感情を入れるな。』
→非常に傷つき、以後精神安定剤の頓服を毎日服用した。

同日

  • 9月から離党したいとB補佐に何度も伝えていたが保留にされ、今回も埒が明かないため、地方議員全体グループLINE(党本部職員・補佐・地方議員含む)に
    「離党したいです。手続きはどのようにすればよいでしょうか?」と投稿。

  • B補佐から、『全議員LINEでの発言は取り消す方向でお願い致します。
    そこは、そのような場所ではないです。』とLINEがあり、取り消した。

  • B補佐から『○○さんが2問くらいなら、手伝うと言って下さっています。』と連絡あり。

  • →返信せず。

  • 加害者と〇〇さんは旧知の仲。
    被害後、党内のパワハラの件で加害者を庇う姿を見てしまい、信用できずにいた。

  • 何をどう頼んでよいか、わからないくらい仕事ができないと何度も訴えていたが、私が具体的なサポート内容を申し出ないのが悪いというニュアンスだった。

同日、B補佐から私のコアボラさんへのLINE
『12月の質問のことでも、みさとさん的にかなり精神的疲労があるかと思います。ここは議会を休むように〇〇ちゃんから12月議会は休むように言ってくださいませんか?ちょっと静観しましょう。思うことは(村上さんは)党への依存も強く、とてもその状態のままでは議員として危険です。自立した議員になってほしいのです。…みさとさんにも自立して欲しいし、ちゃんと自分に向き合ってほしい。自分の感情とも。』

  • 党が業務委託した職員から受けた加害に対して生じた集中力低下や事務処理能力の衰えに対し、党にサポートを求めたら「党への依存だ」「危険な議員だ」と言われ、もう何も党に言えないなと思った。

  • そもそもハラスメントに対する支援体制ができていないため、行き当たりばったりの対応で、被害者側が疲弊。
    声を上げた人が変人扱いされる状況に追い込まれた。
    ※12月議会一般質問は通告を取り消すよう党から指示があったが、不調の中、自分で再質問を考え乗り切った。
    ※この後、ある地方議員がLINE上でアウティング。
    さらに複数の支持者へデマDMを流した。


令和5年11月30日:ハラスメント対策室担当者からの聞き取り

21時~23時※文書の調整があり最終24時
聞き取り担当者は専門職ではないため、事前に資料提供していたが、聞き取りは長時間におよび、聞かれたくないことや、肝心ではないことまで聴取された。


令和5年12月末:党弁護士との日程調整

党が依頼した弁護士からヒヤリングの日程調整の連絡あり。
令和6年1月18日に行うことが決まった。


令和6年1月某日:ハラスメントガイドラインの説明

審議会は公認地方議員と推薦地方議員の2名。
フローのおかしさに気付き、連帯議員と幹事長に申し入れを検討
→申し入れたが実現せず。


令和6年1月18日:党弁護士からのヒヤリング(13時~15時)

※収支報告書では以前から党と関係がある弁護士事務所であることがわかった。
聞き取り内容について、私に関わった複数の弁護士から「性犯罪に詳しくない弁護士の可能性がある」と指摘を受けた。

  • ヒヤリング時に党弁護士から「〇〇氏はキスを2回してしまったことは認めている」と言われた。
    →ヒヤリング後、メールにて追加情報や確認事項をやり取りする。
    1月末まで。
    ※まだ自責の念が大きく、ヒヤリング時、自分が悪かったのではないか、迎合反応について上手く伝えられていなかった。

  • その後の審議内容は不明。


令和6年2月13日:1回目の離党届提出

被害→女性職員への報告→代表報告→党ヒヤリングまでに、すでに消耗。
れいわ所属のままでは活動に支障が出ていたため無所属になる決意をする。
※この内容により後日脅迫されることになる。

1度目の離党届

令和6年2月16日:党職員より「国策捜査」と脅しのような提示

ハラスメント対策室の担当者ではない人物(加害者の先輩)から、離党届を「批判文だ」とし、離党届の分離処理やSNSにバラさないなどの提示を受けた。
同日、被害届が国策捜査と言われ、党内が法廷闘争も辞さない動きになっていることを知る。

※スクショ参照

仲介議員を通して党からの要求

令和6年2月27日:党職員の発言に恐怖を感じ2回目の離党届提出

法廷闘争の動きに恐怖を感じ、一身上の都合に離党届を書き換え提出

仲介議員を通して党内に
法廷闘争論戦が巻き起こっていることを知る。

令和6年3月31日:離党受理の書類とともにハラスメント報告書が届く。同日離党。

  • 私に弁明の機会はなく、この1枚で調査は終了した。

  • 双方既婚者であろうがなかろうが、不適切なものは不適切ではないのか?

  • 長期間のやりとり?5F反応時の(令和5年8月11日〜10月1日)は長期間なのか?

  • 明らかに、一方的に同意を得ず行為におよんでいるにも関わらず、なぜ私の意に反して行っていないと結論付けたのか?

  • 二人きりで選挙カーを回す、業務中に私用で食事に誘う、ホテルに誘うことは、一方的にはハラスメントではないのか?

紙ペラ1枚の報告書
責任者の名前はない。

令和6年4月1日:離党公式発表→支持者からの離党バッシング


令和6年5月1日:被害者検察聴取

※不同意わいせつ罪の不起訴の割合は約8割。
起訴のハードルが高いのです。実害があってもです。 

書類送検に至るまで、被害者は様々な困難に直面します。
被害に気付く時点でかなり消耗して被害届さえ出せない人もいます。
弁護士や警察に相談して、難しいと言われて心が折れて立ち上がれないこともあります。実害があってもです。 

被害届を出すために、警察の聴取を受けます。
1日では終わりません。
現場見聞をします。
被害を再現して写真を撮るのでかなりの心労です。
混乱して自責の念に駆られながら(性犯罪は被害者は本来悪くなくてもです)上手く話せない中で警察の供述調書を作成します。
それを一言一句読み上げます。そして押印。
加害者の警察聴取が行われ、在宅捜査(逮捕せず在宅で捜査)の場合、送検までに時間がかかるので、被害者は疲弊します。
※警察で加害者の障害に配慮してほしいと言いました。
加害者が著名人?なので逃亡の恐れはないという判断になり在宅捜査でした。
書類送検の後、今度は検察の聴取です。
私の場合3時間半かかりました。
弁護士さんに同行してもらい、休憩時は半泣き状態でした。


令和6年6月12日:SNSで被害を告発

仲介議員を通して党から「お互いに傷付くのはやめまよう」と仲介議員を通して連絡あり。
告発はひとりの性被害者の訴え、次の被害者を生みたくない思い、ソーシャルアクションの意味があり、貫く決意をする。

仲介議員を通して党からの提案

令和6年6月15日:大阪道頓堀街宣 山本代表の説明後、誹謗中傷が激化

報告書の「〇〇氏の行為は明らかに不適切な行為であった」→「党内で何らかの不適切な関係性」に言い換え、算出根拠不明の「61日間、123時間の電話のやり取り」を説明。
※11月30日のヒヤリング以外は「みさとちゃんのことが心配だった」など個人的な電話や介護相談もあり、実質的なヒヤリングは11月30日の3時間、党弁護士ヒヤリングの2時間。
以後、誹謗中傷が激化。
※この代表が読み上げた紙を書いたのは私に脅しのような提示をした加害者の先輩であった可能性を内部の人から聞いた。


令和6年6月19日:嫌疑不十分の通知

※PTSDにより体重が10キロ減少し、体力的にも精神的にも限界であったために、検察審査会・民事は弁護士と相談し保留中。


令和6年7月3日:秋田能代おしゃべり会で支持者からの質問を拒否、拍手で決を取る

秋田の支持者から山本太郎代表へ「6月15日の街宣で、れいわ新選組支持者による被害者への二次加害を止めるようになぜ言わなかったのか?」という問に対しても回答を拒否した。


令和6年7月6日:審議会に身内が入っていたと訂正


令和6年9月28日:福岡街宣での質問に対し、代表が「個人間の問題」と発言

性暴力は個人間の問題ではない。
社会問題です。
現在、性犯罪・性暴力対策の
「更なる集中強化期間」です。

内閣府男女共同参画局 警察庁

令和6年10月4日:れいわ新選組に公正な再調査の申し入れ

党からの回答はありませんでした。
全構成員(予定候補者、地方議員)にも申し入れ内容をメールしましたが、問い合わせがあったのは地方議員3名だけでした。

                          令和6年10月4日

れいわ新選組
代表 山本太郎様
共同代表 櫛淵万里様
共同代表 大石あきこ様
副代表 木村英子様
副代表 舩後靖彦様
幹事長 高井崇志様

                       岩手県紫波町議会議員
                    元れいわ新選組 村上みさと

     公正な第三者委員会による再調査の申し入れについて

令和5年8月11日、盛岡市議会議員選挙中に起こった性暴力について、党に報告し、ハラスメント調査が行われましたが、以下の通り、党の対応に不合理な点が多いため、公正な第三者による再調査を求めます。

                記

⚫︎収支報告書から、党と以前から関係のあった弁護士事務所が聞き取りを行っていたこと。
⚫︎令和6年1月18日の聞き取り後、審議の内容は不明。被害者と加害者の聞き取りの整合性などの確認はありませんでした。
⚫︎党が聞き取りを依頼した弁護士は性被害について専門的でなかった可能性がある。
⚫︎ 聞き取り状況や、審議に被害者心理が考慮されたのか不明。
⚫︎ハラスメント調査中から「党は非を認めない。SNSにバラさない。週刊誌にリークしない。離党届は分離する。」など、被害者に不利な提示がハラスメント対策室の担当者ではない人物から行われたこと。
⚫︎被害届が出されたことを「国策捜査」と言い、被害者、警察、検察を混乱させたこと。
⚫︎「誣告罪の観点がある」と、被害届に対して党が干渉してきたこと。
⚫︎脅しのような提示、仲介議員を使って離党届を書き換えさせたことは、調査に含まれていません。(性犯罪、誹謗中傷に関連して、事情は警察も把握しています。)
⚫︎審議会のメンバーは党所属の地方議員、推薦地方議員。当時は加害者更生プログラムを行っている人物は入っていなかったと記憶しています。
⚫︎ハラスメントの調査を依頼し、被害者の救済、加害者の更生、再発防止、党の性犯罪の政策のアップデートを求めたが、いつの間にか「法的違法性の有無」に焦点が置かれていた。
⚫︎PTSDの治療中、ひとりで聞き取りに応じたため、焦点が法的違法性の有無に移っていたことに弱っていて気付かなかった。法的違法性は、不同意わいせつ罪の観点からも(嫌疑不十分は何らかの犯罪の嫌疑はあったが、起訴までの客観的証拠が足りなかった)相手にPTSDという健康被害を負わせている状況からも、違法性がないと結論付けた根拠が被害者にはわかりませんでした。
⚫︎ 一般的なハラスメントの概念からも、柏市議会議員選挙中に私用で電話をかけ、食事に誘うことや、二人きりで選挙カーに乗ること(盛岡選対に来なくてもいいと声をかけて鍵を取りに行った)、急に性的な行為を迫ること、選挙後「疲れたならホテルで休んでいけばいい」とホテルに誘うことは、ハラスメントに当たるのではないか。
⚫︎加害者には自分の行いを否認、矮小化する傾向があります。「相手から誘ってきたのに迷惑だ。」などと自身を被害者と位置づけていたり、「向こうもその気だった」など相手が非同意であったことを認めなかったりします。『加害者の認知の歪み』、被害者が陥る『恐怖に対する身体的反応」、医師の診断書、カルテ、相談記録などがきちんと考慮されたのか不明な点があります。
⚫︎6月15日道頓堀街宣にて代表が、報告書には「明らかに不適切な行為であった」と書いてあることを「党内で何らかの不適切な関係性」と言ったこと、算出根拠不明の「61日間、123時間の電話相談」「第三者」という発言がきっかけで、私が嘘をついていると、私への誹謗中傷が激化しました。また、党や構成員はそれを黙認し、8月に幹事長がメールを出すまで、被害を告発した人、それに寄り添おうとした人、その家族を危険な状態に晒し、今なお誹謗中傷を続けている支持者に対して何の対策も取っていません。
⚫︎事件当時、私は党の構成員。加害者とされる人は党から業務委託を受けた職員です。職務で盛岡を訪れている際に誘われた食事の席は、職務の延長上に位置付けられること、食事の際の内容も仕事の話であり、プライベートなものではありませんでした。
⚫︎ハラスメントが起こる背景には支配関係があります。加害者とされる人は私の選挙指導を行い、盛岡市議選を仕切る人物でした。また、当時任期開始1か月にも満たない新人議員だったため、加害者は業務上信頼している人物でした。信頼はしていましたが、性的な行為をしたいという関係ではなく、酔っぱらって訳の分からない言い分を口にしていた加害者は「議員には手は出さない」と言いつつ、急に性的な行為を迫ってきました。
⚫︎抵抗できない状態、関係性の憂慮、選挙最終日前日という特殊な環境下であったことなど、ハラスメントや性暴力に専門性のある人を再調査に入れてほしいです。
⚫︎「いかなる性暴力も許さない」「あなたに降りかかる不条理に対して、全力でその最善に立つ」という党の政策の言行一致を求めます。

                                以上

出典:公正な第三者委員会による再調査の申し入れについて
村上みさと

最後に:支持者からの誹謗中傷について

一部支持者の方々からの誹謗中傷の中に「スパイ」「工作員」「統一教会関係者」「浮気だ」「男女関係だ」「夫や子どもがかわいそう」といった内容がある。
「浮気だ」「男女関係だ」「夫や子どもがかわいそう」などと投稿した場合、悪質だと判断される可能性があることが弁護士に相談してわかりました。
私の告発が信じられない人も、二次加害とは何なのか、性暴力被害者が陥る反応や、再発防止はどうあるべきか、考えることはできるはずです。
私の口を塞ごうとしたり、落ち度を探すより、より良い社会を作る方向へ目を向けてほしいと願います。