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ファシリテーションの現場

人間誰しも、表立ってチャンチャンバラバラはやりたくないものですよね。

だから、チームの中で何となく腑に落ちないことや、「そうじゃないんだよなぁ」と思うことがあっても、その場では飲み込んでしまうことが多いもの。だからといって、感じた違和感はそのまま消失するものでもなく、いつまでもモヤモヤとくすぶり続ける。

こういう感覚は、規模の大小にかかわらず、チームの「あるある」ではないかと思います。

目的や目標がはっきり共有されておらず、皆が忖度し合って「大人の対応」をしている。楽しくない、生産性もあがらない。なんとかしないと…と思っていないわけではないけれど、日々に流される。そうこうしているうちに、もうのっぴきならない事態になってしまって…

外部ファシリテーターとしてお仕事をいただくのは、こういう局面が多いように思います。

ファシリテーターの現場とは?
何年たっても記憶に残っている、難しかったお仕事の一つを例にお話します。

環境づくりが仕事の3割

まず私がするのは、ワークショップの参加者が、役割や責任を脇においた「個人」として出会い直せる環境を提供すること
その上で、皆さんが自分の中にある違和感に正直になって、対立を避けたい気持ちを超えて、安全に対立を直視する支援をすること

組織横断的なプロジェクトや、M&Aなど、各々異なる背景や願いをもった人たちが集ったら、そこに対立が有って当然だということ、そして、対立を超えたところにしか、本質的な相互理解と協働の基盤はうまれないことをご説明します。

「そっか、そりゃそうだよね」と納得していただけたら、私の仕事の30%は終わり。

自分以外の人たちは何を気にしているのか? お互いの困りごとや歴史に興味を持ってよく話を聞いてみたら、そこには必ず共通の痛み・苦しみや、同じように思い描いている希望があることに気づいていただけます。

お互いに、自分の大切な人・もの・信条などを守ろうとして、自分の役割を全うしようとして一生懸命だったからこそ対立していたのだと理解できると、皆さんの間に自然と共感がうまれて、目の前にいる人達の見え方が変わってくる。場の空気が変わっていく潮目が訪れます。
そこまでいけば、仕事の60パーセント位が終わりです。
あとは、順を追っていくつかの重要な問いを共有するだけで、自然にベクトルがあっていくから。

どんなに準備しても、大事なことはその場でしかわからない

でもですね…、上記のことは、何度も経験してきてよくよくわかっていることなのですが、頭の痛い問題は、”この問いがいい。こうすればいい” というやり方は、その時その場にならないとわからないということ(笑)

もう何年も前のお仕事なのですが、今でも鮮明に記憶に残っているものがあります。

4000人を超える大きな組織の人事のご担当者20名余りを集めた、2日間のワークショップのファシリテーションをさせて頂きました。

元々11個のバラバラな組織が合併して、かなりな力業である程度制度や枠組みをそろえてから5年。
なんとか形は整ったものの、なかなか本質的な統合が進まない状況で、本部と各組織との人事ご担当者が初めて一堂に集結。
事務局のご発声でこの場が持てたこと自体が快挙とも言えるものでした。

キーワードは、「無意識化している対立」

事務局と何度か事前打ち合わせを重ねて、目的やゴールをすり合わせました。
参加者がお互いの状況や心情を共有して、わだかまりを超えることがワークショップの目的。
そして、この2日間で、これまで何年もずっと続いてきた、攻撃するか扉を閉ざすかという関係性を、普通に話し合える状態に変えることがゴールでした。

会場となったホテルの2階で、一日目のお昼ご飯。
皆さん、かなり打ち解けてきていました。
大きな窓からは春爛漫の水辺の美しい景色。皆さんと私の心を和ませてくれました。
でも、私のお楽しみはこの辺りまで。

頭と心の超集中!

そのあとは、事前に準備してきたものが役に立たないと判断して捨て去り、
「今、何ができるか?」「ここで最も効果的な問いは何だ?!」
参加者の休み時間の10分毎に、自分ひとりでブレストし、思いついた進行方法に対して事務局からのご承諾をいただく事の繰り返し。
一瞬一瞬がジェットコースターでした。

初日の夜は懇親会でした。
朝とは別人になっている皆さんが楽しそうに語り合っておいでの様子を横目に見ながら、ホテルの部屋に戻った私は、ベッドの上に今日のアウトプットの模造紙やら付箋やらを大きく広げて、皆さんの中にある共通のものを、どうしたら一目瞭然わかりやすく見える化できるか? 明日の進行をどうするか? 格闘していました。

そして、翌日。
本質的な話し合いに踏み込んだ2日目は、実にヘビーでした。

私がその場の一人なら、確実に腰が引けて逃げ出すだろうと思いました。
どこから手をつけたらいいのか途方にくれるほど複雑に絡み合う組織課題のジャングルの中で踏み止まり、大事にしたい人たちのために、このジャングルをなんとか切り開こうとしている参加者の方々に、心から尊敬の念を感じました。

一方で、私が関わらせていただくことはもう二度とないかもしれないから、
伝えるべきフィードバックはしっかり伝えよう!と腹をくくり、心臓に達するような、鋭くて太い矢を何本か放たせてもいただきました。

自分を許して、感謝とともに

なんとか2日間を終わって、帰りの空港まで向かう道。
「他にもっと効果的な時間の使い方があったのではないか…」と、悶々としていました。
進行途中のどこで自分が判断ミスをしたのかに気づき、なぜその選択をしてしまったのかも良くわかって、「あれが、今の自分の実力のマックスだったな」と受け止められました。

少し遅れた飛行機の出発を待つ混雑した空港で2日分の資料をまとめている時。
目的とゴールを合意しただけで、後は何をするのかをほとんど問わず、私に全てを委ねるという大きなリスクを取り、現場での度重なる急展開に快く同意してくださった事務局の皆さまへの感謝がひたひたと満ちてきました。

何年もたって、今、その時のことを振り返って感じるのは、自分の肩にひどく力がはいっていたこと。
参加者の皆さんへの強いフィードバックは、私の焦りの表れだったなぁという恥ずかしさ。
皆さんを無用に傷つけたかもしれないという後悔。

あの時と比べたら、少しは落ち着きとやさしさを増すことができただろうか?
自分を振り返りつつ、遠いところから、皆さんのご活躍を祈っています。

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