今年の目標は「自分の人生を楽しいもので埋め尽くす。そのために手を動かして進めていく」
2021年が終わり、2022年になった。
去年の目標を見ると、「とにかく休む」だった。
非常に重要なことだ。素晴らしくってnice choiceな目標だったと思う。
そして、それはまあまあできた気がする。休み方を少し見つけることができた。70点くらいかな。
そして2022年の目標は、「自分の人生を楽しいことで埋め尽くしていく。そのために手を動かす」、だ。
楽しくなるであろう、という目的を持った行動しかしない。
それは刹那的な楽しさではない。積み上げていくことによって、なかなか消えないような楽しさである。いわゆるストック的な楽しさである。
そして、それを積んでいくことは、多少の面倒くささを伴う。
例えばギターだって、弾いているときは楽しくなったりするけど、それに至るまでにまずギターケースから出したりするのがめんどくさかったりする。
他のことだってそうだ。
おそらく、積み上げていった時間と、楽しさの続く効果を感じられる時間は比例する。
刹那的に得た楽しさが、一瞬で楽しくなくなるのと同じように。
時間をかけていく、年齢を積み重ねるということは、そういう刹那的な楽しさのみならず、積み上げていきストックで楽しむ楽しさを享受することだ(ちなみに刹那的な楽しさを全て否定しているわけではない。それはそれで人間臭くて楽しくていいと思う。割合や没入度合いの問題だ。)。
そこで難しいのは、ただめんどくさいことを我慢してやり続ければいいわけではない、ということだ。
そこにちゃんと目的が必要だ。
こうすれば「楽しい資産」を積み上げられる、という目的。
そして、その目的の感じ方はひとそれぞれだ。自分にとっての楽しさ資産でなくてはならない。
また、そこに「社会的に認められるだろう」というのが入ると、自分が苦しくなる。「社会的に認められるだろう」から「めんどくさいことを我慢して」「資産を積み上げる」のは、自分が苦しくなる。
それはしない。
社会的に、29歳はこう、30歳はこう、みたいなことは焦りしか生まない。不可逆な時間にハードルを設定することは、焦りしか生まない。
ただ、自分が社会から見て「まっとうな」「大丈夫な」人間である、と思われるためにする努力。
全てがあまりに綱渡りだ。
定職についている人だって、一瞬でクビになることだってあるし、パートナーがいる人だって明日別れるかもしれないし、なんなら生きている人は全員、明日交通事故にあって即死するかもしれない。
そんな状況じゃ、大丈夫だよと言われたい、という不安をみんな持つと思う。
俺も持っている。流石に生きてはいたいので、その点の「大丈夫」は確保したいが、それ以外の大丈夫認定の要件が多すぎて。ハードルが高すぎて。
もうそうなったら最初から、全然大丈夫じゃない前提で生きていたほうがいい。
自分が大丈夫かどうかは、自分が決める。
別に誰か他人様に、「あなたは大丈夫な人ですね!」認定されなくてもいい。
あまりにだるすぎる。
僕は十分にイカれています。みんなのおかげで。ありがとう!!
特に一番悩ましいのが、人間関係だと思う。あらゆる悩みの根源だと思う。
友達が多いとか、彼氏がいるとか彼女がいるとか、結婚しているとか別居しているとか離婚しているとか、子供がいるとかいないとか。
一つ思うことは、それはあくまで状態であって、所有物ではないということ。「所有」しようとするから、執着が生まれるんだと思う。
なんで「所有」しようとするかというと、「他人からの大丈夫」を満たそうとするから。
人間関係を所有物のように扱うことで、「誰かからの大丈夫」をもらうような生き方、時間の使い方はしない。
長くなってしまったが、要するに、
自分への大丈夫は自分だけが出す。
そのためにできることに時間をコツコツ費やす。そうなっていくとあらゆることに手を出していると時間がなくなるから、できることを絞る。どういう風に絞るかというと、自分が楽しくなりそうなことだけ。自分がnice choiceと思うようなことだけに絞る。
そんな信念をより形にしていく1年にしていきたい。
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