自分のコンテンツを作る。そのために、スカスカな時間を受け入れる/「自分が作る」時間を増やす。

自分で考えたり、自分の意思からやる行動や休息を行うために、2つのことをすることにした。

1.スカスカな時間を受け入れる

無意識に、非常に無意識に、「(受け身で)何かをする」ことによって時間を埋めてしまっていることに気がついた。

そのため、俺はあえて1日の中に「何もしない時間」を積極的に作ることに決めた。

トイレに行くと、決まってスマホをいじってしまう。スポーツニュースを見たり、なんかまとめサイトを見たりしている。

そういうのをやめる。

2つ理由がある。一つは、脳みそが疲れてしまっていると思ったため。そして2つめはそうすることによって自分の考えや自分がどんどん無くなっていくと思ったためだ。

高校の卒業文集の、一度も話したことの無い先生が書いた文章に、「無駄無駄をオラオラすべきか」というものがあって、すごい共感をした(話したこと無い先生が、こんなことを考えていたのか、と思ってもったいない気分になったことを覚えている。)。

ざっくりした内容は、無駄な時間をとにかく現代の人たちは排除しようとする。絶えず「何かをしている」。そうした無駄な時間の排除(=オラオラ)に対して、疑問を投げかけるというものだ。タイトルの秀逸さに感動した。確かに、電車の中を見渡せば、スマホを見ている人がほとんどだ。


脳みそが過食状態になっている。しかもそれは無意識に、なんとなくTwitterとか2chまとめだとか、ニュースだとか、Googleで検索したり、乗り換え検索を見たりと、ほぼ何かの目的があるわけでも無く、ジャンクな情報をただなんとなく見る。

それは退屈になることを恐れているためではないか。「手持ち無沙汰」を許せなくなってしまったのだ。

何でも手っ取り早く、数十秒の動画をちらっと見る。「3分で分かる」「簡単に解説」で理解しようとする。。。

どんどんジャンクな情報・インスタントな情報に飼い慣らされてしまう。

それにより、脳みそはただ栄養が無いけど満腹状態になってしまう。

おれは、その状態を極力避ける。これは一種の禅だ。惰性で、受け身で情報を得ることは、なんとなくの安心と、脳疲労、そして、他者の価値観や目線の無意識の刷り込みをもたらす。これらとの戦い。

目的無く、無意識で情報収集を行わないようにする。

これはある意味の断食だ。苦しい戦いを強いられそうだが、頑張りたい。


2.「自分が作る」時間を増やす。

1と両輪で行う。受け身の情報吸収をやめて、自分が意識して脳みそを動かす。自分の脳みその声を聞く割合を増やす。

受け身の情報吸収をせずに、自分の求めるものをはっきりさせて、そのために情報を取りに行き、それから何かを作る。何かというのは、何でもいい。自分から出てきた言葉を作る。別にそんなたいそうなものでなくていい。

俺は受け売りオンリーマンにならないようにする。もちろん錬金術師ではないし、大きな流れの歴史の中の一部にすぎないから、これまでにあったことやものの流用はたくさんするだろう。しかし、その中でも、考えることをしたい。

結果がどうであろうと、目の前を通り過ぎさせていくだけでなく、手に取って考えたい。

手に取ってなにかをしたい。その結果がどんなものでも、それによって納得感が生まれるはずだから。

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