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クズ星兄弟の日常【一気読み】

帯

introduction

「なぁ兄貴」
 寒風吹きすさぶ午前11時の歌舞伎町を、ただでさえ猫背の背中をさらに丸めて歩きながら、セイが前歯の一本欠けた口を開く。
「なんだ」
 俺はヤツの顔を見ないままぞんざいに応える。
 ヤツから俺に話しかける時、それは大抵ロクでもない内容だと知っているから。
「キャバクラとピンキャバって何が違うんだろう」
 やっぱりと心の中でため息を吐く。
「キャバクラはお触りNGで、ピンキャバはお触りOK。常識だろ」
「へー」とセイは、少し大げさに感心してみせる。
「じゃぁ、“ソイツ”はおっぱいも触らせてくれない女に大金貢いだ挙句フラれて、逆ギレして暴れてるってこと?」
「まぁ、そうなるな」
「ふうん、バカなヤツだねー。どうせ大金払うならさ、おっぱいも触らせてくれないケチな店なんかより、おっパブかソープでも行きゃいいのに」
 まぁ、確かにセイの言う通りだとは思う。だが、風俗に抵抗のある男は案外多いと聞くし、“ソイツ”だってまさか、自分がそこまでキャバ嬢に入れ揚げるなんて、最初は予想もしなかったんだろう。

 仕事の憂さ晴らしに、可愛い女の子とお喋りでもしながら一杯やろうくらいに思ってたに違いない。だが、相手はプロでここは歌舞伎町だ。たかが素人のオッサン一人、その気にさせてケツの毛まで毟るのなんて朝飯前なのだ。
 「あなたが好きよ」と騙すのが商売、まんまと騙された間抜けは素直に退場。それがこの街のルールだし、ルールも知らずに遊びに来て「騙された」と暴れるなんてのはもってのほかだ。

 だが存外そういう輩は多く、トラブルも少なくない。
 そんな時は俺たちの出番となる。
 俺の名前は葛生タツオ。今朝もボスから連絡を受け、弟分の星崎シンジとトラブル解消に向かっている“何でも屋”だ。

 何? そんなのは警察の仕事だろって?
 確かにその通り。でも、それはあくまで相手が“生きた人間”の場合の話だ。

 じゃぁ、相手が既に死んでいたら?

愛憎色欲渦巻く不夜城「歌舞伎町」には、様々な“念”が渦巻いている。
 因念、疑念、執念、邪念、情念、そして怨念。そうした“念”を抱えたまま死んでいった魂は、この街に充満する“陰の気”に囚われ、生者を呪う「悪霊」になっちまう。

 俺たちの仕事は、そんな風に死んだあとまで人様に迷惑をかける奴らを退治すること。いわゆる“霊能者”ってやつだ。

 信じられない? まぁ、その気持ちは分からんでもない。
 セイのやつは金髪リーゼントにスカジャン。俺は短髪にグラサン、無精ひげに黒革のコート姿。おまけに咥えタバコとくれば、どう見たって街のチンピラだもんな。
 実際、今のボスに拾われるまでは、俺もセイもこの街でくだを巻くだけのチンピラだったわけだが。いや、それは今も大して変わらねえか。

 俺たちは依頼主の店『cabaretclub Lady』に着いた。
 金文字筆記体で店名の書かれた黒地の看板の前には、背広姿のチャラけた中年男が立っていた。

「おぉ、来た来た。こっちだ“クズ星兄弟”」
 背広の男が俺たちを見つけて手招きする。“クズ星”は、俺の苗字「葛生」とセイの苗字「星崎」の星をくっつけたあだ名で、“兄弟”はセイの馬鹿が俺を“兄貴”と呼ぶのを街のやつらが面白がって、俺たちを兄弟と呼ぶうちに、いつの間にか定着しちまった。「星のクズ」と「クズの星」一体どっちがマシなのかね。

「状況は」
「それが、閉店後の掃除中にいきなり現れやがってよ。店を散々ぶっ壊した挙句に、逃げ遅れたウチの子と拉致って居座ってやがる」
 とんだ大損害だと、背広の男はこぼした。
「じゃぁ、“ソイツ”はあんたらにも見えたってこと?」と、セイが横から口を挟む。
「あぁ、ハッキリ見えたよ。だから最初は着ぐるみでも着てるイカレ野郎かと思ったが……」止めようと殴りかかったらすり抜けちまった。と、男は言う。
「着ぐるみ?」
「あぁ、人の姿じゃなかったからな。なんて言えばいいのか……“ヘドラ”っていたろ?公害怪獣の。あんな感じだった」
 ヘドラってのは、ゴジラに出てくる怪獣の名前だ。
「形が変わってるってのは結構ヤバイぜ。兄貴」
 それまでヘラヘラとニヤけていたセイが、眉根を寄せてこっちを見る。
 確かに急いだほうが良さそうだ。俺たちは店舗のある2階へ続く階段に向かう。

「ところで」
 階段の手前で足を止め、俺はスーツの男に振り向く。
「捕まってるのは、“ソイツ”から毟った例の女か?」
 男は一瞬ポカンとした顔で俺を見たあと、思い出したように「あぁ」と手を打つ。
「ミユキだったら野郎が死んだ日に“消えた”よ。警察にあれこれ聞かれるのが嫌で逃げたんだろうさ。捕まってるのは新人の弥生って子だ」

 なるほど、コイツはマジでヤバい状況らしい。

 「悪霊祓い」に一番大事なのは何だと思う。
 霊力? 悪霊に惑わされない強い精神力?
 ハズレじゃないがどっちも一番ってわけじゃない。
 じゃあ、一番大事なのが何かと言えば、そいつは“手順”だ。
 一神教であれ、多神教であれ、自然信仰や民間信仰であれ、人間てやつは多かれ少なかれ、宗教と切り離すことは出来ねぇからな。

 何?「自分は無宗教」だって?
 確かに「日本人は宗教がない」なんて言われるが、そいつは間違いだ。

 あんたらだって、お宮参りに七五三、大晦日には除夜の鐘を聞き、正月には初詣、節分には豆蒔き、盆には墓参りに行って、自分がくたばりゃ葬式をあげるだろ。そいつは全部、宗教行事じゃねえか。
 日本人にないのは「宗教」じゃなく「信仰」だ。“宗教がない”んじゃなくて宗教が日常に浸透しすぎて「形骸化」しちまってるのさ。

 ともあれ、信じるかどうかは別にして、殆どの人間は宗教と完全に無関係じゃいられねえし、そうした神事・仏事では“手順”が何より大事になる。
 何故ならそれらは神仏との“契約”だからな。そこには厳格なルールが定められている。
 そして、そいつは「悪霊祓い」だって例外じゃねえ。

 例えば生前、仏教徒だった悪霊はエクソシストの手順じゃ祓えねえし、逆もまた然り。何故なら死生観も神の捉え方も全くの別物からだ。
 だから各宗教・宗派ごとに「除霊」儀式の手順は違うし、霊能者ってやつはそれぞれの“手順”に沿って悪霊を祓う。

 ところが稀に、生まれてから死ぬまで宗教行事に一切関らねぇヤツがいる。そういうヤツらが悪霊化しちまうと厄介だ。
 なんせ、ヤツらは神仏と“契約”してねぇからな、霊能者の手順(ルール)が通じねぇ。
 だから、そういうヤツは「雑虗(ザコ)」と呼ばれ、霊能者から忌み嫌われるのさ。

 すっかり前置きが長くなっちまったが、そこで俺たちの出番ってわけ。
 俺たちは通称“ザコ専”「雑虗」専門の霊能者ってわけだ。

 「臭ぇ……」
 店に充満する悪臭にセイが顔を顰める。
 雑虗は独特の悪臭を放つ。それは例えるなら……。いや、やっぱ止めとこう。ともかく雑虗は臭い。それが霊能者に嫌われる一因でもある。
 しかし、コイツは今まで嗅いだ悪臭の中でも一際だ。

「兄貴、あれ……」
 グチャグチャに荒らされ、アチコチに「リーガンのゲロ」のような何かが巻き散らかされた店の中央。セイが指差す先に一体の悪霊がいた。
 なるほど、あのスーツ野郎が“ヘドラ”と例えたのも納得だ。ヘドラを知らない奴は、抹茶色のチョコレートフォンデュファウンテンを想像してくれ。

「完全に腐ってやがるな……」
 “ソイツ”は、ドロドロの体でじっとコッチを睨んでいる。
 その奥に目をやると、“何とか巻き”で盛りに盛った金髪がグチャグチャに解け、スパンコールがあしらわれた真っ赤なドレスをはだけた半裸の女が横たわっていた。
 息はあるようだが可哀想に。野郎の放つ瘴気に当てられて気を失ったのだろう。 

 「チッ」セイの舌打ちが聞こえた。
 コイツは女を雑に扱うヤツが大嫌いなのだ。半裸で気を失ってる弥生とかいう女を見て、相当ムカついたらしい。

 斯く言う俺も気持ちは一緒。だがコイツはあくまでビジネスだ。問題解決のためには冷静に“手順”を踏まなきゃならねえ。

 神仏との契約がない「雑虗」を祓うにも、そのルール自体は変わらない。
 俺はまずマニュアルに従い、手順その一「交渉」から始める事にした。

「おい!」と、雑虗に声を掛ける。
 樹の虚みたいな目が、明確な敵意を俺に向けた。
「テメェ、斎藤トシオだろ」

 この雑虗は生前、斉藤トシオという名前だった。
 工場の派遣社員で享年40歳。
 真面目で気の弱い男だったが、ある日、工場の先輩に連れてこられたこの店のキャバ嬢、ミユキ(源氏名)に一目惚れし、何とか気を引こうと給料をすべてこの女に貢ぎ、それだけじゃ足らずに会社から給料の前借り、消費者ローンに手を出し焦げつかせ、最後は闇金から借金を重ねていたという。

 だが、ミユキの方は斎藤を便利なATMくらいにしか思ってなくて、もう金が引き出せないと知ると、あっさりと捨てちまった。それもかなりこっ酷いやり方で。

 その翌朝、全てを失った斎藤は、わざわざミユキの住むマンションの屋上から飛び降りて惨めな生涯を閉じた。まぁ、よくある話だ。
 生前に深い恨みを残して死んだ人間の魂は、腐って穢れ悪臭を放ちつ。それがあいつ。哀れな斎藤の“成れの果て”ってわけだ。

 俺は、グラサンを外すと胸ポケットから取り出したタバコに火を点けて、吸い込んだ煙を深く吐き出した。
 ちなみに、グラサンはU0(幽霊)遮断レンズ使用で、タバコは瘴気を打ち消す成分を含んだ特別な葉が巻かれている。どちらも霊能者用の特製品だ。

「テメェ、ミユキとかいう女に随分入れ込んでだらしいな。それでこっ酷くフラれて死んだって?
でもよ、相手は男をその気にさせるプロだぜ。素人がどうこう出来る相手じゃねえって事くらい、テメェも薄々分かってただろ」

『うるぜえぇえぇぇぇぇぇ!!!』

 雑虗となった斎藤が叫ぶ。黒板を爪で引っ掻いたような耳障りで不快な声に、俺たちは思わず顔を顰めた。
『ミユギは、あの女は、オデのごどをやざじぐですでぎっていっだんだ!!げっごんずるなら、あなだみだいなひどがいいっで! 
ぞれなのに、ぞれなのにあのおんな……オデをウラギリやがっでぇぇ!!』
 ノイズ混じりの聞き取りずらい言葉で、雑虗は呪詛を叫び続ける。
『オデがいじもんなジになっだどだん、アンダみだいなクゾだぜえオッザン、ガネがながっだらダレもあいでなんがずるわけねえだろっで!!
 どっがにぎえろグズがっで!!
  ごのミゼのれんじゅうどわらいモのにじやがっで!!
 オデは、オデハ、ほんぎであいじでだのに……
だがら――』

 だから。

「だから、“ミユキを殺した”のか」
 俺の発した一言に、雑虗は一瞬怯んだような素振りをみせ、隣のセイも驚いたように俺を見た。
 証拠は何もないし、女、ミユキは雲隠れしただけかもしれない。
 だが、俺には確信があった。
 他の雑虗と比べても一際ひでぇ悪臭。原型を止めないほど腐り歪んだ魂。
 俺はこのおぞましい魂を“知っている”。
「兄貴、それって……」
「さっき、あのスーツ野郎が言ってたろ。ミユキはコイツが死んだ日に”消えた“ってよ」
「それじゃぁ……」
 あぁ、間違いねぇ。
「ミユキは“消えた”んじゃねぇ。コイツに殺されたんだ」

『オ、オデはわるぐない!!あいづが、あのオンナが!!』

「うるせぇ!」
 俺はありったけの大声で、元斎藤の耳障りで不快な声をかき消す。
「被害者ヅラすんじゃねえぞ斎藤。テメェ、ミユキを『本気で愛してた』と抜かしやがったが、返せねえほどの借金こさえて、金だの品物だの貢ぎまくったのは“あわよくば”ってスケベ心があったからだろうが!」
『ぢがう!!』
「違わねえさ。 女はな、男のスケベ心なんざ全部見透かしてる。
 特に歌舞伎町の女は何度も騙し騙されの修羅場潜ってきてんだ。テメエごときの安いスケベ心なんざ、最初からお見通しよ」
 話しながら横目でセイを見る。俺の意図に気づいたセイは、雑虗に気づかれないように、こっそり奥で気絶している弥生の正面に移動した。

「この街じゃ、惚れた腫れたはギャンブルと同じ。惚れさせ貢がせりゃ勝ち。惚れて貢いだら負け。勝負に負けてオケラになりゃぁ大人しく場から離れる。それがこの街で唯一絶対のルールだ。
なのに、テメェは負けた腹いせに女を殺しちまった」
 コートのポケットからメリケンサックを取り出して、右手に嵌める。
 人にも悪霊にもダメージを与える優れものだ。 

「こいつは重大なルール違反だぜ」

『オデはわるぐない!! オデはわるぐない!! オデはわるぐない!! オデはわるぐないいぃぃぃぃぃ!!』
 元斎藤だった雑虗は、俺の言葉など聞く耳持たぬとばかりに叫び続け、酒瓶だのグラスの破片だの、すでに半壊状態の椅子やテーブルまでもが、宙に浮き上がっては俺目掛けて飛んでくる。ポルターガイスト現象ってやつだ。
 だが、その殆どは俺ではなく壁や床に当たる。駄々を捏ねるガキが、手当たり次第に掴んだ物を投げるだろ? あんな感じさ。

 さて、手順その1「交渉」は決裂。そろそろ“手順その2”に移行しようか。

 交渉が決裂した時、アンタならどうする?
 答えは簡単。実力行使あるのみだ。
 そうだろう?

「セイ!」
 俺の声を合図にセイは店の奥で横たわる女に、俺は雑虗に向かって同時に駆け出す。
 不意を突かれ、一瞬たじろいだ元斎藤の懐に入り、俺はメリケンサックを嵌めた右の拳を思いっきり奴のドテッ腹ブチ込む。

『ゲボバッ!!』
 雑虗のドテッ腹が破れ飛び出した「リーガンのゲロ」を正面から浴びる。
 あぁ臭ぇ。だが動きは止めずもう一発、今度は渾身の右フックを横っ腹に捻り込む。先手必勝だ。
『グガァアァ!!』
 横っ腹を削られ堪らず、身を捩る雑虗。

「兄貴!」
 後方からセイの声が聞こえた。どうやら女を無事救出したらしい。
「そのまま外まで連れて行け!」
 セイに指示を出しながら、俺はステップバックで雑虗から一旦離れ、地面を蹴って勢いをつけると、右の拳をヤツの顔面に思い切り叩き込む。
 雑虗の上頭部は吹き飛び顔の下半分だけが残った。

『イデぇ…イデェ…イでェよおぉ……』
 雑虗が子供のような泣き声をあげる。
「あぁ、分かるよ。痛ぇよな」
 だが、その痛みは俺に殴られた痛みじゃない。俺の拳で、ヤツが生前味わった“苦痛”が、“心の痛み”が蘇っているのだ。

「今、楽にしてやる」
 俺はそう言って、拳を構えると雑虗、いや、「斎藤」の“心臓”を目掛け、渾身の右ストレートを振り抜く。心臓は心の臓、“心の宿る場所”だ。
 俺の拳はドロドロの身体を突き破ってヤツの“心”に触れた。そして斎藤は跡形もなく“此の世”から消え、後にはグチャグチャに壊され尽くした店だけが残った。

epilogue

 数日後、斎藤が飛び降りたマンションの貯水タンクの中から、ミユキの遺体が保守点検に来ていた職員によって発見され、警察は斎藤による無理心中と断定したと、社会欄の片隅に小さな記事が載った。今の日本はもっとショッキングな事件で満ち溢れていて、失恋の末の刃傷沙汰なんてありふれた事件ごときじゃ読者の興味を惹かないのだ。

『cabaretclub Lady』は現在改装中。ひと月後には全面改装して新規オープンすると、スーツ野郎は言っていた。
 数時間に渡り元斎藤に監禁された弥生は、身体にも命にも別状はなかったが、店を辞め田舎に帰ったらしい。まぁ、身も心も染まっちまう前に、この街から抜け出られたのが良かったのか悪かったのかは、これからのアイツ次第だ。

 セイの野郎はボスから振り込まれたギャラを握り締め、喜び勇んで馴染みのおっパブに行っちまった。どうもお気に入りの女がいるらしい。
 残された俺は一人、歌舞伎町の小便臭ぇ裏路地に経つ、薄汚れた雑居ビルの2階にある事務所兼自宅の、オンボロソファーに寝転びながらボスに言われた言葉を思い出していた。

「おめぇは本当に、この稼業に向いてねえな」

 これまで、100回は言われ続けたセリフだが、未だにその意味を俺は掴み兼ねている。

 そんな俺の思考を遮るようにスマホが鳴った。
 手に取って着信画面を見るとボスからだった。まったく、タイミングがいいのか悪いのか。

「仕事だ」と挨拶もなしに切り出す酒やけした銅鑼声にうんざりする。
「分かった。詳細を教えてくれ」俺はメモを取りながら、おっパブでお楽しみ中に呼び出されるセイの不貞腐れた顔を想像して、さらにうんざりした。

おわり

帯

続き↓


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