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まるで人形みたいな就活生


真っ黒なスーツに身を包み、黒髪に黒い四角い鞄を持って、合説に集まる就活生の写真。

この写真をみて、皆さんは何を思うだろうか。


私はその写真を最初見た時、「気持ちわるっ」と思った。

同じような年代の人が同じ格好(それも黒のリクルートスーツ)を着て、同じ髪型をして、同じような顔をして、同じような姿勢で歩く。

それはまるで「人形」のようだ。人間が、人形みたいに無機質な顔をして同じような格好をした姿を見て、とても奇妙だ。私は最初、そのような印象を持った。


私は、就職活動中である。


「就職活動」。私はこれが苦でしょうがないのだが、最も嫌なものは、「リクルートスタイル」だ。


真っ黒なジャケットに白いシャツ、黒のタイトスカート(またはパンツ)を着て、黒いバッグを持ち、肌色のストッキングと約5㎝の黒いパンプスをはく。寒ければベージュのトレンチコートを羽織り、前髪をタイトに斜めに分けて、ナチュラルメイクに、黒染めした髪を黒ゴムで一本に縛る。

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私は、このほぼ黒ずくめなリクルートスタイルが大嫌いである。


嫌いな理由は、「盛れない」から。ではない。(もちろん、リクルートスタイルをまとった自分を見て、「うわ~盛れてないな~」と思う時は多々ある。。。)


理由として一番大きいのは、自分の個性を消されてしまうような気がするからである。「就職活動」中の学生は、皆このリクルートスタイルをするので、この格好を見て、「この人は就職活動中の学生なのだ」と人から認識される。つまり、リクルートスタイルは、「自分が就職活動をしている学生」であることを世間の人に証明しているような、いわば「制服」である。


就活時、このリクルートスタイルを着なければならない理由は、何なのだろう。

服装・髪型自由にした場合、外見で就活生を判断することになりかねないから、外見を全部一律にして、就活生の内面をみやすくするため?


私は、「リクルートスタイル」にもっと違う意味があると思っている。


理不尽だと思うルールに、「ルール」だからと従わざるを得ないことが多々ある社会に出る前の、洗礼ではないか。社会人になる前の学生に対して、よくわからない社会の暗黙のルールに従うことを学ばさせる、通過儀礼としての「リクルートスタイル」だと考える。


だとしたら、リクルートスタイルは、「自分は社会の暗黙のルールに従うことができる、社会人になれます」と言っているようなものだ。もしかしたら、自分としては正しいとは思わないルールにも、社会のルールだからしょうがないと「従うことができる」、大人な人間です、と。

あのリクルートスタイルには、学生に対する「社会の圧」、「郷に入ったら郷に従え」という社会の圧が存在している。


だからこそ私は、就職活動の写真をみて、「社会の圧に、個人の個性を消されてしまう未来」を垣間見、気持ちわるいと思ったのだ。


p.s.

企業によっては、働き方改革として、勤務時は私服勤務を可能にしているところがある(営業は難しいみたいだが)。ある企業の座談会に参加した時、「入社したら自由な服装を着られるから、就職活動中はしばしの辛抱だよ」と言われたが、だとしたら就活生も私服でいいやないか!と思った。勤務時は私服okなのに、就活生にはリクルートスーツを指定する理由は一体何の意味があるのか。私はまだその意味をみつけられない。



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