眠れない結婚前夜に思うこと

あと数時間で、28年間付き合った苗字が変わる。

子供の頃にさんざん「ゴジラ松井」とからかわれ、あまり好きではなかった苗字だけど、いざ変わるとなるとやはり少し寂しい。
世の中の既婚女性たちは皆こんな夜を越えて妻になったんだろうか、なんて考えるとなんだかグッとくる。

苗字なんてただの記号かもしれないけど、家族との血の繋がりが絶える訳じゃないけど、職場では「松井さん」のままだけど。

あたらしい名前を試しに書いてみては、なんか芸能人みたいな名前になっちゃうなと笑う。あと画数多すぎるだろと軽く絶望する。
何度も、何度も声には出さず口の中であたらしい名前を転がす。
あと数時間後に私たちは入籍する。

両家顔合わせの日は台風18号が日本列島に直撃し、都内もとんでもない大雨に見舞われた。
10年近くお世話になっている美容院で朝から髪をセットしてもらい、とっておきのプティローブノアーのワンピースとアクセサリーをまとった私は無敵だったので、雨なんてへっちゃらだった。

両親を前泊していたホテルまで迎えに行くと、やや緊張した面持ちの二人がいた。
会うたびに体がひとまわりずつ小さくなっているように感じる。ロビーのソファにすっぽり収まってしまっている姿が子供みたいだ。
オカンが両手に提げた大きな紙袋には広島のお土産がめいっぱい詰められており、前日からの雨でビショビショに濡れ今にも底が抜けそうだった。

せっかくのおめでたい席だから両親にいいところを見せたくて、お店はちょっと良い中華料理屋さんを選んだ。
どの料理もとても美味しくて、細やかな気配りも行き届いており、あと本当に偶然だけど料理には彼氏の実家の近くでとれた有機野菜を使っていることが判明して場が盛り上がった。
「このお店にしてよかったねぇ」と何度も彼氏に言った。

私の両親は本当に嬉しそうでよく喋り、彼氏はいつもどおり口数少なく、彼氏のお母さんは松井家のやり取りに笑った。

オトンが「ちょっとトイレ」とか言って勝手に会計を済ませていたのは面食らったけど、私が良い格好しいなんだからその父親が良い格好しいなのはよく考えたら当然で、なぜ先手を打たなかったんだと自分の甘さに腹が立った。
さらに皆のいないところで「二人で大事に使うんで」と札束まで渡してくるもんだから、かなわないなぁ、と思った。
こんなにも私のことを思ってくれてる両親に、私は何かをしてあげるどころか迷惑をかけてばかりだった。
「ありがとう」と「ごめんなさい」がまぜこぜで、今も書きながらめっちゃ泣いてて、だったら早く親孝行しろよと思った。親孝行します。

婚姻届を出すために月曜日は有休をとったのに、彼氏は金曜日から風邪をひき、私まで喉の痛みと鼻水が出てきた。
彼氏は身長180cm、既往歴なし、両目視力1.5のめちゃくちゃ健康優良児なのに、よりによってこの日にかよ…ともはや笑えてくる。
私たちらしいなと思う。
沖縄旅行は行きの飛行機は雷が直撃して飛ばず帰りの飛行機は台風で飛ばなかったし、広島旅行は私が食あたりで緊急搬送されたり車をオカマ掘られたり散々だったし、仙台旅行は私が急性胃腸炎でフラフラだったし、山に登ればいつも雨か曇りで何も見えないし、顔合わせも台風だし、ここに書ききれないくらい色んなことが2年の間にあったので、入籍日に風邪を引いてるくらいどうってことない。

彼氏のことを好きな理由ランキングの中でも「頑丈だから」というのはトップスリー内に食い込んでくる。
上にあげた身体的な頑丈さもだけど(私の体重で乗っかっても壊れないので素晴らしい)、どんなトラブルにも動じない精神的な頑丈さが好きだ。
いつだってこの人となら大丈夫だ、と思える。

鼻のつまった苦しそうなイビキをかいて寝ている彼氏の横で、私はスマホにチマチマ文字を入力している。
真夜中のラブレターとはよく言ったもので、普通に恥ずかしいこと書いているなと自分でも思うけど、あたらしい名前をくれる彼氏への気持ちを残しておきたかった。

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