わたしたちは何を見て生きているのか。
皆さまこんにちは。
500RYTヨガ講師で、
ヨガスクール校長の佑佳子です。
今日は夕陽が美しくて、駅のホームでひとり感動していたら、隣にいた女子高生や後ろにいるマダムたちも一緒に感動していたことに気づき、もっと感動してしまう…🥺💓そんな日でした。
「わたしたちは何を見て生きているのか。」という本日のタイトルですが、
本当は、
「わたしたちは何を見せられて過ごしているのか。」といった内容をお話ししていきたいと思います。
ヨガの哲学の中には、
と言った教えがあります。
おそらく、ヨガ以外のより良い人生を歩むための哲学や思想にも、このような考えや教えが、多く存在するのではないかと思います。
私ごとではありますが、私の家にテレビはありません。最近はテレビがないご家庭も多いというお話しを耳にしたりすることもありますが、私がテレビを持たない理由。それは、
情報に対して受け身でありたくないから
受験勉強の敵は月9のドラマだった私。
文字通り、テレビやドラマが元々は大好きなタイプなのです。
テレビ手放す何年も前のこと、当時の交際相手がアイスランド人だったのですが、彼は全く日本語が理解できず、時折テレビのニュースを見ては通訳を強いられ、そしてそのニュースの内容に反応し暗い顔をする私に、彼はこう言いました。
ちなみに、アイスランドでは警察の仕事は、警備的な業務以外に街の花の水やりや動物のケアなどが盛んなようで、とても平和な場所ということもあり、彼の口からそのような言葉が出てきたのかもしれません。しかしこの時から、私のニュースに対しての視点の持ち方が大きく変化したことを今でもはっきりと覚えています。
入ってきたニュース、
それが真実であるかどうかは、
誰にもわからない。
ということを思い始めたのです。
パンデミックだからこそ、手放した
人間がヒトの悪口を聞くのが好きなのは、
生存本能に対し、働きかけるから。
悪口のある会話の中から「身の危険になるような情報を事前に収拾できるかもしれない。」という、
本能的に首を突っ込みたくなってしまう性質を私たち人間は持っているのだそうです。
そのため、ビジネスシーンにおいても時にその対象の気を引くために、悪口的要素を取り入れるケースもあるのだとか…(こわい笑)
そして私は、
人間の持つこの性質を変えることは、
不可能に近いものであると判断しました。
一度テレビをつけたならば、
そこには、
✔︎不安を煽る情報の協奏曲〜♪
✔︎全く興味の無い人々のゴシップ。
✔︎心の整理整頓が極端に苦手な人々のヒューマンドラマ
一体、なぜそれを観なければならないのか?
そして、なぜかそれを見続けなければいけないような気持ちになっている私は、
この先の人生を心豊かに、
納得できる生き方をすることができるのか?
本当にこのままでいいのか?
などといった、気持ちが込み上げ…
引っ越しを機に、心を無に、冷静になり、
テレビを所有することをやめました。
テレビ無し歴は2年になりますが、
今現在の私の答えは「テレビは不要」です。
毎日、良質な情報を得る努力をしています。
ちなみに親友の一人は、
テレビ局勤務です☺️
そして私は、彼女の仕事を心から尊敬しています。
つまり…
テレビは節度が持てる人の持ち物
なのではないかと、思っています。
特にフリーランス独身タイプは、自分を律することをやめてしまったならば、果てしなくテレビを見続けることができてしまうのです。
だから、いつか生活の流れが変わってテレビを所有することもあるかもしれません。
入ってくる情報を選んでいかなければ、
確実に時間は奪われ続け、
明るい考えも簡単に黒く染められてしまうから、
気をつけよう❣️
そんなことを思う日🍮
本日も最後までお読みいただき、
誠に、ありがとうございます。
みなさまのスキ❤️&フォロー、
心よりお待ち申し上げます✨
それではまた次の投稿でお会いしましょう🧡
Namaste,
佑佳子
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