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貧困地域のビデオ屋でのフリーター時代に目にした地獄

大学を卒業して半年間、斜陽のレンタルビデオチェーンでフリーターをしていた。ビデオ屋に身を投じていらい目の当たりにした新しい人種、それは貧困地域でお金の無さから心も貧しくなってしまった人たちだった。

子供を学校に行かせず朝からカード転売に並ばせるヤンキー親。事情の分かってない老母とボーっとした弟を引き連れて3人分のトレカ箱を売れと怒鳴る中年。まいど僕にボケとか吐き捨ててババアAVを借りてく87歳ジジイ。アニメを万引きするチーズ牛丼。開店ダッシュでレ落ちAVを奪い合うハゲ無職。どこで盗んだのかぜったい遊んでない新作ゲームを毎週売りにくる生活保護パチンカー。同じ店でバイトを16年続けて妖怪と化してしまった40歳同僚。露出変質者の露出部を逆に盗撮してゲラゲラ笑って見せ回る中年女同僚。

自分は環境にメンタリティをなびかされがちなので、半年間そういった人間たちと対峙していてまともな理性を保つことはむずかしく、僕は色んな夢や希望を包容していた大学という環境からはるか遠い場所に来てしまったと途方にくれた。地獄をみた、といっても自分が地獄みたいに辛い思いをしたわけではないが、眼前に常にあったのは或る種の地獄とそこにうごめく堕落した人間のさまだった。人はここまで荒み汚くなるのかと愁嘆すると同時に、一度堕ちれば二度と戻って来られなくなる生身の危機感がそこにあった。

ある時は床に人のウンチが落ちていた。こんな糞づまった掃き溜めを早く蹴とばして新たな地平へ駆け出したい、という衝動さえ気づけば薄らいでいた。何時間もアダルトビデオを棚に戻しながら、漫然とする頭のなかで自分がいま何をやっているのか?自分は何がしたかったのか?という問いがドロドロのスープに溶けてなくなっていく感覚が忘れられないものになった。

その半年強のフリーター経験で考えたこと…それはいろいろあるが、とくに心の余裕というものが人間生活の根本を左右することはよく分かった。経済的困窮で心の余裕をなくして己の欲で頭が一杯、他者や周りのことが考えられなくなって、倫理を破ったり法を犯したりする。そんな人間は揃いも揃ってイモリかヤモリのような眼をしていた。

でも必ずしもカネの貧困とココロの貧困はイコールじゃない。過去に訪れた島国パラオでは、所得が低くとも、それと全く異なる価値軸を持って幸せに暮らしている人々がいた。アフリカのマラウイなんかでもそうらしい。日本という国においてカネとココロの貧困がここまで相関しているのは、一度ドロップアウトした者に再起を許さず、金がないなら人生終わりだというイデオロギーに汚染された社会の精神構造に端を求めるものかもしれない。

あのレンタルビデオ屋で見たことは、大ぎょうにいえば日本の経済困窮の末路だろう。今後こういった人間性の頽廃がひろがったとして、政治の人が動きだすころには取り返しつかぬところまで堕落していると思う。

自分に関していえば、まさか身近にこんな世界があったとは予想外で、見識が深まり、見聞が広まり、意味ある経験にはなったとかんじる。ただあんなのは半年で十分だし限界だ。もう二度と、あの汚く、臭い、澱んだドブの底には戻りたくない。

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